◇◇
◇8月1日(土)晴①
白の生地に赤の金魚が青の波紋を作って泳いでいる。
「お姉ちゃんも浴衣着る?」
勉強の休憩ついでにボトルに水を入れに来たら、志穂がお母さんに浴衣を着つけてもらっていた。「後ろ向いて」帯を結ぶため、お母さんに体の向きを変えられる。裏側にもまた金魚があちこちで泳いでいた。
「私はいい」
「友だちは着てこないの?」
「着ないんじゃない?」
浴衣はお母さんのおさがりがあるものの、聞くのもなんだか恥ずかしくて、迷った末にTシャツにパンツを合わせた普段の格好にした。
玄関のチャイムが鳴り、ふたりが動けないので私が出る。小花の散らした浴衣姿の蛍ちゃんがいた。
「志穂はまだ着付け中。あがって待ってて」
「おじゃまします」
蛍ちゃんも妹みたいなものだ。志穂の着付けが終わるまで、ジュースを出して話し相手になってもらう。
「太一は家?」
「雫さんと花火見に行くって、お昼から出かけた」
「もう落ち込んでない?」
「うん」
野球部は全国大会に進めず、太一たちには予定より早い夏休みが来た。試合に負けてから空元気だったけれど、復活したみたいならよかった。
「できあがり」
お母さんが帯から手を離し、志穂がくるっと回るように振り返る。
「蛍ちゃんお待たせ。行ってきます」
友だちの家に集合するらしく、妹たちはまだ日差しが強いうちからゲタを鳴らして出ていった。
お母さんが浴衣を入れていたケースを片付けながら、「ほんとに浴衣いいの?」と聞く。
「うん。これで行く」
「美帆は今年も千尋ちゃんたちと行くの?」
「別の友だちと」
『花火大会行かない?』
オープンキャンパスの帰り、駅に貼られていた花火大会のポスターを眺めていたら、嶋に誘われた。
もうすぐ日の入りの時刻でも空はまだ明るい。電車も混雑していたけれど、それ以上の花火会場である河川敷の人の多さに、どこから集まるのかと毎年驚く。電車はその最寄り駅でどっと人を降ろし、身軽になって再び発車した。
嶋に教えられたひとつ先の駅で降りる。ホームを出た正面の壁際に嶋は待っていた。姿を見て今さら戸惑っていると、嶋がスマホから顔を上げて私を見つけ、柔らかく笑った。
私たちのほかにも高台にある公園に向かう人影があった。浴衣を着ている女の人を見て、浴衣の方が正解だったかと自分のラフな格好を見下ろす。階段を上るのは大変そうでも、ゲタの鳴る音にまたひとつ夏を感じた。
公園では屋台が数店出ていた。あちこちでレジャーシートを広げて場所取りをしている。お弁当を広げる家族の後ろに嶋が用意した2人用のシートを敷く。遠足みたい、と持ってきたお菓子をあけた。
日が暮れて暗くなった夜空に、時間通り花火が打ち上がった。河川敷で見る迫力には負けるものの、人でごった返している場所で見るよりも花火をゆったりと眺めることができる。
赤、緑、黄色、青、紫。夜空に鮮やかな花が咲いて、お腹に来るような音が響き渡る。打ち上げの間にお菓子をつまみ、受験勉強や息抜きの方法やとりとめのない話をする。
花火が開いた瞬間、光に照らされる横顔をそっとうかがう。嶋が今日私を誘った理由も、終業式の日の言葉の意味も、わからないままそれ以上聞けないでいる。
自分でも認められなかった感情を覚えておくと言ってもらえてうれしかった。それなのに、私は恥ずかしさが勝って素直になれず、みんなの気持ちを背負っていたら潰れるとちゃかした。
『美帆ちゃんだから』
動揺して言葉が出ない私に、『鍵返してくる』と嶋は何事もなかったように微笑んだ。
その日の帰り道はいつもと変わらない世間話をして別れた。オープンキャンパスでも、それぞれ受けた講義や模試の結果の話をして、あの日のことについて何も触れなかった。
友人として私を慰めるために言っただけ。嶋はたらしだからあり得る。でも、特別がわからないと言う嶋にとって、自分は特別だと聞こえたのも自意識過剰ではないと思う。
花火大会が終わった。荷物を片付け、駅へと向かう人の流れに加わって歩く。この駅からならそれほど並ばずに電車に乗れそうだ。次の駅では長蛇の列になっているだろう。
「昔はもっと穴場だったのに、去年より人が多くなった」
「でも、河川敷に比べたらずっと少なくてゆっくり見れた」
人込みが苦手だと言ったら、嶋は高台の公園で見ようと提案した。人込みが苦手なのは本当でも、嶋とふたりでいるのを知り合いに見られたくないという気持ちもあった。感覚的にオープンキャンパスは学校に行くのと同じようなものでも、花火大会は違う。プライベートの時間の意味合いが濃い。
だけど、嶋はよかったと笑う。嶋こそ私に気を遣って楽しめたのだろうか。そんなことさえ聞けないまま、私たちは駅で別れた。
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