◇8月1日(土)晴②
改札口を出て自転車置き場に向かう途中で後ろから太一に名前を呼ばれた。同じ電車に乗っていたらしい。どちらともなく並んで歩く。
太一が花火大会での出来事を、時折笑いながら話す。蛍ちゃんの言った通り、もう落ち込んではない様子だ。
太一は私と違う大学を志望していて、合格すれば初めて進路が別れる。自転車で一緒に走るのも残り数えるほどなのだろう。夜道を進みながら花火大会が終わった後と似た寂しさが胸を過る。
「夏休み入ってから雫に会ってないけど、元気だった?」
「塾で1日中絵描いてるって」
「コンテストで入賞しても、雫は油断しないんだろうな」
「うん。嶋は元気だった?」
「なんで知ってるの」
「嶋から聞いた」
思ったのと違って太一の態度は普通だ。水やりを頼んできたときに、『嶋は彼女いる』とおせっかいを焼いていたのに。
「もっといじってくるかと思った」
「本気をいじったらだめだろ」
「……そういう話、まだ嶋としてないんだけど」
「嘘!? 嶋ごめんマジごめん」
太一はやっぱりばかなぐらいがちょうどいい。
家に着いたと嶋にメッセージを送った。一旦はスマホを置いて、時間をおいてからもう一行付け加える。
[電話してもいい?]
いつもより心臓の鼓動を早くさせながら、メッセージアプリの画面を開いたまま返事を待つ。
「おふろあがったよー」
下から志穂の声が聞こえて「わかった」と叫ぶ。パジャマを抱えて階段を下りかけたところで、自分で設定した着信音が聞こえた。
「後で入る!」
階段の下に向かって叫び、誰か聞こえたのか確認せずに自分の部屋に戻る。画面に表示された嶋の名前を見て、勢いのまま通話ボタンを押した。
「もしもし」
『こっちからかけたけど、今大丈夫だった?』
「うん」
自分から電話してもいいか聞いたのに、どう切り出すか考えていなかった。沈黙に焦って言葉を選んでいると、スマホ越しにふっと吐息が聞こえた。
『さっき太一から必死な声で電話かかってきた』
今柔らかく笑っているのだろう。想像できて、あれだけ躊躇っていたのにすっと口に出た。
「終業式の日の、続きを話そう」
立花さんの件は、嶋がいなければ角が立ったまま話が終わっていたと思う。白黒つけることが良いことばかりじゃない。正しさがすべてではなく、人や状況によって正しさは異なる。押しつければ煙たがられる。自分も何度か苦い思いをしてきた。
でも、嶋なら答えてくれるから。話を聞きたいと望んでも、
『引かないで聞いてくれる?』
「引かないし、笑わない」
『かっこいい』
「嶋自身がしてくれたことだよ」
嶋は私ばかり褒めてくれるけれど、自分がされてうれしかったことを返すだけ。
『お兄ちゃん電話中?』
電話の向こうで女の子の声が聞こえる。
『外行く。おやすみ』
カーテンを引く音。窓を開ける音。網戸をずらす音。窓を閉める音。
『最初美帆ちゃんは太一が好きって勘違いしてた。近くでふたりを見てるのつらくないのかなって。……自分なら大事にするのに』
ざっと履物がコンクリートを滑る音。
『自分じゃなくても、太一みたいないいやつに大事にされるはずの子なのにって』
音楽が大きくなって遠のくように小さくなって消えた。車のオーディオだろうか。それから微かに息を吸うような音が聞こえた後、こぼされたのは言葉ではなく躊躇う気配だった。その続きは謝罪か、自虐めいたせりふになりそうな気がして、言わせたくなくて、
「嶋はやっぱり優しいと思う」
私の気持ちを受け止めると言ってくれたことと、その言葉で十分だった。あの日、嶋の優しさに私は、私の片思いは救われた。
友情にしては過分で、愛情にしては足りない。このぼかした関係を他人は中途半端だと言うのだろうか。けれど、自分たちの感情を、誰にもとやかく言わせはしない。相手を思う気持ちがいずれ名前を変えても、このまま変わらなくてもいいと思える。未来のことなんて誰にもわからない。だから私は今の気持ちの先へ進む。
「志望校知り合いいないから、嶋がいたら心強いんだよね」
『……俺も』
「明後日の補習行く?」
『行く。美帆ちゃんも?』
「うん。じゃあ、また明後日』
『うん。――ありがとう』
ごめんよりありがとうの方がいい。おやすみ、と同時に電話を切った。
深く息を吐いた後、パジャマを持って1階に下りる。ちょうどトイレから出てきたお母さんとはちあわせた。
「美帆が下りて来ないから、今お父さんがおふろ入ってる」
「ごめん。その後入る」
スマホを部屋に取りに戻り、リビングのソファーで待つことにした。体は疲れているのに今日がまだ終わってほしくなくて、目を擦りながらスマホで撮った花火の写真の整理をはじめる。
柳の花火の写真の後、間違ってボタンを押したみたいで、空ではなく地面の写真が残っていた。甲の部分が太いクロスのサンダルと、レザー風のローカットスニーカーが片足ずつ写っている。
今日撮った花火以外の唯一の写真を消去しないで、次の写真へと画面を指でスワイプさせた。
ブルーモーメント 森野苳 @f_morino
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます