◇7月9日(木)晴②

 放課後。2年生の下駄箱の近くで立花さんを待ちかまえる。今は嶋との噂が立つとか周りの目は無視だ。


「佑弦先輩どうしました?」


 2年生の女子が靴に履き替えてから嶋に話しかける。


「立花さんっていう野球部のマネージャーの子知ってる?」

「去年同じクラスでした。2年の廊下で掃除してましたよ」

「ありがとう」


 嶋がお礼を言うのに合わせて、その隣で私も頭を下げる。元カノも微笑んで小さく頭を下げた。ふたりにぎくしゃくしたところはみられない。別れてもこうして話せるのをすごいと思う。


(私はもう自分から先輩に話しかけられない)


 去年の夏、1学年上の先輩に告白されて付き合った。男子バレー部は部員も少ないしあまり強くなかったけれど、いつも真面目に練習していた人だった。かわいげのない後輩の自分なんかに、緊張した面持ちで『付き合ってください』と言ってくれた。付き合って、のんびりやで少し天然が入っている人だと知った。

 先輩が遠方の大学に合格したと連絡をくれたとき、「どうしたい?」とこの先の選択をゆだねられた。半年付き合っても自分の気持ちが彼にないことにきっと気づかれていた。

 だから私は、好きじゃないのに付き合っていた嶋にえらそうなことを言える立場じゃない。


「立花さんが来た」


 小声で隣から話しかけられ、意識を目の前の事に戻した。




 昇降口から正門とは反対側にある来客用の駐車場。今の時間人の通りがなく、話を聞くにはちょうどよい場所だ。


「部活の準備があるんですけど」


 大きな目は真っ直ぐ私たちをとらえる。親しくない3年生ふたりを前にしても毅然としている。気が強いのは前回から変わりないようだ。

 声をかけたとき、名乗る前から立花さんは私を覚えている反応だった。その瞬間の強張った表情は、困惑でも疑問でもなく、そんな顔をさせる何かが彼女の中にあることを直感した。

 これから部活なのはわかっているのであまり時間をかけないつもり。まるで後輩いじめのようなこの場面を誰かに見られたくないし、そもそも回りくどいのは嫌いだ。


「太一のスマホから雫にメッセージを送った?」

「……先輩には関係ないじゃないですか」


 駆け引きもごまかしもなく、立花さんは潔く認めた。こちらが虚を突かれたほどだった。


「私は直接関係ないけど、幼なじみと友だちが困ってる。それとも、太一があなたに聞いたら答える?」


 暗に太一に告げ口するぞと脅してみる。もちろんそんな気はなくても、この一言が効いたらしく立花さんは黙った。やってはいけないことをした自覚はあるらしい。


「今回のやり方はなりすましも悪いけど、大事な大会前に太一を戸惑わせてどうするの。マネージャーだって部員でしょう」

「言われなくてもわかってますよ。だけど」


 大声じゃなくても、その声は日陰によく響いた。


「中学のときからずっと好きだったんです」


 大きなエネルギーを真正面からぶつけられたみたいな衝撃だった。この子のしたことは自分勝手で、決して褒められることじゃない。それでも、うつむいた顔を上げて好きだとはっきり言った彼女のことをうらやましいと思ってしまった。


「好きな人に彼女がいるのと、諦められるのは別だよね」


 立ち尽くす私の代わりに、嶋が立花さんに声をかける。


「今回のこと、俺たちは太一に言う気はないし、立花さんに無理に言わせるつもりもない。でも、理由を話せば太一は怒らない」


 寄り添うような優しい言い方に、立花さんは素直にうなずく。


 理由を話せば、太一はその気持ちに応えられなくても、うれしかったと言うはずだ。ばかだと言いたいくらい人がいいんだ。


「好きになってもらえてうれしくない人はいないと思う」




 立花さんが部活に戻ってからも、私たちは陰になっている駐車場に留まっていた。グラウンドでは野球部がランニングをはじめている。遠目で先頭を走っているのは太一だとわかった。


「嶋について来てもらってよかった。私は非難だけして、立花さんの気持ちに寄り添えなかった」

「立花さんのしたことはだめだけど、そこまで人を好きになるってすごい。感心してしまった」

「私も。立花さんが告白しない限り、太一は気づかないだろうけど」

「今は夢の中まで野球のことでいっぱいだから」

「授業中に叫びながら起きたんでしょう」

「タケの呼びかけに反応してしまったって。日曜日の試合応援に行く?」

「雫と行く」


 雫の名前を出して、嶋に言わないといけないことを思い出した。


「来週の水曜日にバレー部の引退試合があって、水やり雫に代わってもらった」

「わかった。引退試合って何するの?」

「3年対後輩で試合。最後に部長が挨拶しないといけなくて、かっこいい言葉なんて思いつかないから憂鬱」

「かっこいいとか気にしないで、美帆ちゃんがみんなに伝えたいことを話せばいいと思う」


 千尋や人づてに聞いた嶋の話で、度々出てくる「優しい」という言葉。以前は聞き流していたけれど、実際に話すようになってそれを実感した。嶋は優しさでできているような人だ。人に寄り添ってその気持ちをくみとる。欲しい言葉をくれる。

 ただ、誰にでも平等に優しいということは、特別がいないともいえる。嶋と付き合った人は自分が好きなぐらい好きになってもらいたくて、だけど特別になれないことに気づいてしまう。気づいてしまえば、その優しさを上回る寂しさに耐えられなくなってしまう。


 つらいのは相手だけじゃない。嶋も欠陥があると自分を責めていた。人のせいにしないのは、やっぱり嶋が優しい人だからだと思う。

 いつか嶋が自分のことを責めなくてもいい日が来ればいい。野球部の練習を眺める整った横顔を見ながら、願いに近いような気持ちで思った。

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