◇7月9日(木)晴①

 梅雨明けを迎えた今朝、いつもより早い時間に学校へ到着した。自転車置き場まで野球部の掛け声が聞こえてくる。1試合目がこの日曜日に迫っていた。


 生徒たちがちらほらと昇降口へと歩いていくのを横目に、ひとり中庭に向かう。

 昨日、あじさいの枝にひっかけてストラップを切った。ばらばらになった石を慌てて拾ったけれど、誕生石の水晶が見つからない。嶋がまだ探そうと言ってくれたのを断ったくせに、こうして根元のあたりを探している。

 地面に落ちた色あせた水色の花びらが目に映って、たちまち惨めな感情が込み上げてくる。もうやめよう。立ち上がって、脇目も振らずに昇降口へ向かった。




 昼休みに引退試合のことでバレー部の顧問から呼び出されていた。去年の様子を思い出しながら当日の流れを確認していく。


「最後に挨拶頼むな」

「千尋に代わってもらったらだめですか?」

「谷口の方が後輩も気が引き締まるだろう」

(先生から見ても私は後輩に怖がられてたってことか)


 千尋は副部長で、ムードメーカーで、私とチームメイトの緩衝材になってくれた。私よりも後輩と仲がよかったし、千尋の方がふさわしいと思うのに。


「それにしても、谷口と話すのは久々だな」


 担任でも教科担当でもないから、先生と話すのは本当に久しぶりだった。父親と同年代の先生で、先生自身も私たちと同年代の娘が他校にいるらしい。練習はとても厳しくても、娘に言われて清潔感を一番気を付けているあたり、かわいいおじさんという印象だ。


「山崎なんてたいした用もないのに職員室に来るぞ。この前は『私も水やりデートしたい!』なんて叫んで」

「恥ずかしい子ですね」


 デートなんて甘ったるいものではない。暑いし、汗もかくし。それでも最初と比べて嫌ではなくなっていた。

 千尋が言っていたのは冗談だとわかっていても、嶋と帰った日みたいに、男女がふたりでいるとすぐに周りはそういう意味につなげてくるのがうんざりする。太一のこともことあるごとに飽きるぐらい言われた。いっそのこと直接聞かれた方がさっぱりした。


『太一先輩と付き合ってるんですか?』


 職員室を出て、腕時計を確認する。昼休みが終わるまでまだ時間があった。


 違うクラスというのは用事があっても入るのに少し遠慮がちになる。教室の前まで来てからスマホでメッセージを送ればよかったと気づく。一旦教室のドアから離れようとしたところで、友だちと話していた嶋と目が合った。立ち上がってここまで来てくれる。


「太一なら今購買」

「嶋、今いい?」


 嶋は一瞬驚いたような顔をした後、廊下に出よう、とうながした。


「太一になりすまして雫にメッセージを送った人わかったかも」

「誰?」

「マネージャーなら太一が練習している間でもスマホを触れる。それで、中学生のとき私に太一と付き合ってるか聞いてきた子が、今野球部のマネージャーしてるの思い出した。名前ははっきり覚えてないけど……」

「立花さん」

「それだ」


 なぜ嶋が名前まで知っているのだろう。その理由に思い当たって、思わず一歩退く。


「元カノ?」

「違う。実はあのメッセージを送った時間帯に立花さんが部室にいたかもしれないっていう話があった。太一にはまだ行ってない」

「やっぱり。本人に聞いてみようと思う」

「聞く!?」

「あっちだって先輩の私に直接聞くような根性ある子だし、雫も太一も大事な時期なのに、またわずらわしいことが起こっても嫌だから。それで、できたら嶋もいてくれない?」


 自分は言い方がきつくなるかもしれないから、嶋がいたらうまくとりなしてくれるだろう。そして、私があのメッセージの話をしたのは嶋だけで、それぐらい今自分は嶋を信頼していた。


「行くよ。俺も気になるから」

「巻き込んでごめん」

「頼ってくれてうれしい」

「……ありがとう」


 さすが天然のたらし。私の方が照れくさくなって視線を伏せる。放課後昇降口で集合する約束をして、自分の教室に戻った。


 雫は一番後ろの席でじっとスマホを見ている。また変なメッセージが届いた? 心配で後ろから近づけば、画面に映っているのがイルカの写真だった。

 頭の中で絵を描いているのだろう。邪魔しないように黙って隣を通り過ぎようとしたら、澄んだ瞳が自分を見上げる。


「引退試合の日は決まった?」

「来週の水曜日。あ、さっき嶋に会ったのに水やりのこと言うの忘れた」

「私が代わろうか?」

「いいの? 助かる」


 雫はイスに座っているため、普段よりも高い位置から見下ろすことになる。まっすぐな黒髪が電灯の光にあたって天使の輪っかを作っていた。


「あれから変なメッセージ来てない?」

「うん。美帆ちゃんに迷惑かけてごめん」

「迷惑だなんて思ってない」


 迷惑だと思っていたら動かない。そうしたいからしているだけ。ただそれだけ。

 予鈴が鳴って席に着く。いつもより少し早起きしたせいか少し眠たい。机に頬杖をついて先生を待つ。

 ストラップが切れたのも、水晶が見つからないのも、もう終わりにするべきだというお告げだろうか。最初からどうこうしようなんて思ってないし、それならこの気持ちを消す方法を教えてほしい。


(昨日嶋によけいなことを言わなくてよかった)


 なりすましの話で、嶋たちたちは太一と雫を別れさせたい誰かが送ったと予想した。マネージャーの存在が頭になかった前提で、雫が男子にかわいいと言われているからと、雫のことだけを言っただけだった。

 窓の外から蝉の鳴き声が届く。まぶたを閉じるとささやかな風を感じた。また夏が来る。

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