◆6月23日(火)晴②
振り返って机を目立たないぐらい小さくたたく。頬杖をついた頭が少し揺れても、目が開かない。その間も先生は席の順番に当てていく。
「問3嶋、問4七瀬」
太一の隣の席のタケも見かねて呼びかける。
「太一」
「セカンド!」
教室が笑いに包まれた。体を起こした太一はよくわかっていない顔であたりを見まわす。
「夢の中でも野球がんばってるんだな。でも今は英語がんばろうな。あ、今のも英語か。答え違うけど」
「すんません!」
先生も呆れながらも笑顔を浮かべて、5問目に太一の後ろの席の生徒を当てた。
太一は3限目と4限目の間の休み時間に早弁していたのに、昼休みに購買でおにぎりとパンを買った。よく食べる。
普段購買のドアは開け放さたままでも、夏は冷房をかけるために閉められている。太一の手がふさがっていたので、先に購買のドアを引いて押さえた。
「ありがと。嶋は息するようにこういうのできるからすごいよな。美帆もほめてた」
太一と美帆ちゃんの間で自分の話が出ているなんてちょっと気恥かしい。プラスの印象でよかった。
なぜか美帆ちゃんは俺のことを女たらしだと勘違いしている
「俺も嶋みたいに自然とかっこいいことできる男になりたい」
「俺は太一みたいになりたいけど」
「でた。たらし」
「ほんとなんだけどなあ」
廊下で後輩が太一に挨拶する。これまで体育会系の厳しい上下関係に縁がなかったので新鮮だ。といっても、「何買ったんすか?」と後輩から話しかけるラフな雰囲気で、きっと太一のあたたかい人柄がそうさせるのだと思う。
教室に戻ればタケたち弁当組は先に食べていた。俺と太一もイスを移動させてそこに加わる。
「嶋って谷口と付き合ってんの?」
近くで固まっていたグループのひとりが、イスの向きはそのままに、体をこちらに向けていた。その声が案外通って他の女子のグループの視線まで集まる。
「付き合ってない」
「だよな。嶋の前の彼女ってゆるふわ系だし、逆のタイプ」
「あんなきついタイプ、わざわざ選ばねーだろ」
「きつい?」
「バスケの大会で、応援してた女子に邪魔って怒ってたって、後輩から聞いた」
「美帆は理由なく怒るやつじゃない」
思わず太一を見る。歯を見せてにっと笑い、しらけた空気を変える。
「でも怒らしたら恐いのは本当。それより、どこで嶋と美帆が付き合ってるって話になったん?」
「今朝彼女から誕生日おめでとうの前に嶋のこと聞かれた。ひどくね?」
「ふはっ。誕生日おめでとう」
それからハッピーバースデーの合唱になった。女子たちも笑いながらおめでとうと言葉が交わされる。自分も笑顔を作っておめでとうと祝った。
恋愛の話に限らず、盛り上がっている場面で自分は一歩引いてしまうところがある。浮かないように周りに合わせてふるまうことが、自分にとっての自然だった。
ノリが悪いというか、自分の感情でさえ表現することに昔から苦手意識がある。そういえば自分の好きなものもすぐに思いつかないかもしれない。
だから、太一みたいになりたいというのは、本人はお世辞だと捉えたけれど、本音だった。太一とは3年になって初めて同じクラスになった。その前からタケつながりで時々話すこともあって、からっとした晴れみたいな性格に好感を持った。
けれど、たった今、純粋な憧れとは違う、ひりつくような感情が生まれている。
「太一。立花が来てる」
タケに言われて太一が立ち上がる。女子が教室の後ろの扉に立っていた。太一につられるように視線を廊下へ向ける。
「どうした?」
「さっき先生と会って――」
今日の部活のことをはきはきと敬語で説明する。違う学年の教室に来るというのも結構勇気がいると思うのに、堂々としている。
「浮気か」
「増元さんに言いつけてやれ」
「野球やめる以上にねーよ」
友だちの野次を受けて太一が俺らの方に振り返ったその一瞬、マネージャーの子の表情が無くなった。太一が話を続ければ元に戻った。友だちは気付いていないようで、この夏の予定を話している。俺だけ見てはいけないものを見てしまったらしい。
「このままじゃ彼女と花火大会行けないまま高校卒業する」
「まず彼女作るところからだろ」
「おまえもだろ」
「実は、昨日彼女できた」
「おめでとう」
「男だけのアオハル同盟の部長だろ。なにやってんだよ」
「卒業します」
「そんな同盟あったんだ。じゃあ俺も」
「嶋はどうせすぐやめるから入れてやらん!」
「えぇ」
「嶋ならすぐまた彼女できるって」
これまでこういった
俺、彼女欲しいって思わないんだ。今この場で言い切る勇気はさすがにないけれど。そう思ってもいいんだって教えてくれた人がいたから、今日は気持ちが軽い。
窓の外を見ると空が青く、日差しの強さはもう夏のもの。この晴天が嘘のように、明日から雨の日常に戻る。
当番がはじまる前は、雨で水やりの回数が減るのを期待したのに。いつの間にか降らないでほしいと思うようになっていた。
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