◆6月22日(月)雨のち晴
昼まで降っていた雨を吸い込んで土の色は濃いまま。直してもうねる髪を
「今日は水やりいらないな。せっかく来てもらったのにごめん」
「ううん。鍵返しに行くからちょうだい。嶋も彼女に連絡したら?」
「昨日別れた」
「え」
「美帆ちゃん今日自転車?」
「朝雨降ってたからバスで来たけど……」
「バス停まで、一緒に帰らない?」
美帆ちゃんは少し考えて、深くうなずいた。
どちらが鍵を返しに行くかで気遣いをやりとりした後、自分から言い出したじゃんけんで負けたので、俺が事務室に戻しに行った。そして待ち合わせた昇降口に向かうと、美帆ちゃんはスマホを片手にドアの脇で待っていた。
「誰かと帰る約束してた?」
「ううん。太一が地方大会の対戦相手決まったって」
「午後から抽選会に行ってた。勝ちあがりそう?」
「準々決勝が危ないかも。先週の練習試合で負けたみたい。行こう」
美帆ちゃんはスマホをブレザーのポケットに入れて歩きだした。
今日は俺も自転車をやめて徒歩で登校した。放課後に遊ぶほど仲の良い女友だちがいないから、彼女以外に女子とふたりで歩くのは初めてかもしれない。アスファルトに残っていた水たまりが空に広がる雲を映すのを見て、雲の色が午前中に比べて明るくなっていることに気づく。
「別れたって、向こうに新しい彼氏ができたから?」
ストレートな物言いが、自分の曖昧な態度と比べて
「彼女のせいっていうより、俺がそうさせたようなもので」
「どういう意味?」
余分な感情を含まない、純粋にわからないから質問したという感じ。わかろうとしてくれる態度に、誰にも話したことないのに、去年の夏以来ようやく知り合えたこの子に話してみようと思った。
「笑わないで聞いてほしいんだけど……。今まで誰かを好きになったことがないんだ」
美帆ちゃんは呆気にとられたような顔をした。自分で言っていても恥ずかしい。
「今までの彼女たちは遊びってこと?」
「いつも好きになるかもって思って付き合ったつもり。だから、大事にしたい、優しくしたいと思ったのは嘘じゃない。でも、それだけっていうのが、相手にも伝わってしまうみたい」
相手と等しい気持ちを渡せない。相手の望むことを考えても、自分から望むことがない。いつか虚しい気持ちにさせてしまう。
『私のこと好き?』
そう確認される度、自覚がある分うわべだけの言葉にならないように緊張して、不安にさせたことを謝るしかできなくて。
「付き合わなくちゃいけないわけでもないし、好きじゃないなら断ればいいのに」
「断る理由もなくて」
じとっとした目を向けられる。自分でもそれがよくないのだと感じているけれど。
「好きになってもらえるのはうれしいから」
ここまで打ち明けても、自分に対してずっと感じていたことを口に出すのは勇気がいった。
「恋愛感情がわからないなんて、
好きな人がいるとか、彼女が欲しいとか、それが当然のことのように話される。他人から教えられるわけでもないのに誰かを好きだと言えるのが、誰かを「好きだから」喜んだり傷ついたりするのが不思議だった。
自分にはその感情が欠片も見つからない。形のないものは探し方もわからない。それでも周囲に合わせて自分もそうであるふりをする。
自分を好きになってくれた子なら好きになれるだろうか。期待して付き合ってみて、そういう感情が欠落していると再確認するだけ。
自覚がある分いっそう人の顔色を窺うようになった。優しいと言われる度、薄情な本性を隠せている安堵と罪悪感を抱く。今も自分から話したくせに、美帆ちゃんにどんな反応をされるか怖くなって、途中から顔を見られないでいる。
「好きな人がいないってだめなこと?」
ゆっくりと隣を向く。伸びた背筋、前方を見据える横顔を目に映す。
「感情なんて無理に動かすものでもない。動かせるものでもない。欠陥なんて言わなくていい」
(かっこいいなあ)
こちらを振り向いて、その眉がひそめられる。
「嶋が笑わないでほしいって言った
「ごめん、そんな考え方があったんだって」
誤魔化したわけでも、空気を読んだわけでもなく、俺は自然と笑っていた。
「嶋の彼女、昇降口で待ってたとき嶋を見つけてうれしそうだった。だから、虚しいだけじゃなかったよ、きっと」
「そうだといいな」
「そうだよ」そう言った後、鼻で笑った。「知らない人を怒って半泣きにさせる方が、よっぽど情が欠けてる」
「誰の話?」
「私の話」
「理由があったんじゃないの?」
美帆ちゃんは意外そうに俺を見てから、また前を向いて話し出した。
「うちの高校が、バスケの大会の会場になって手伝いに駆り出されたとき、応援に来た女子が入口で固まってて、後輩が言ってもまた固まるから私が注意して……。友だちにも間違ってなくても言い方きついって言われた」
「でも、美帆ちゃんがはっきり言ってくれてよかったと思った人もいると思うよ」
「だと良いけど。でも、嶋なら上手に言いそう」
「どうかな。難しいと思う」
「さっき嶋の話、やっぱり私よりも恋愛経験豊富な人に聞いた方がいいんじゃない?」
「美帆ちゃんに聞いてもらってよかった」
「人たらし」
「本心だけど」
そう言うと、「これだから天然は」と呆れられてしまった。
正解を探し当てたわけではない。でも、夜から薄明へ、ぼんやりと周りが見渡せるようになった気がした。
「空が明るくなってきた」
美帆ちゃんが空を仰ぐ。たちこめた雲の合間から光が射し、濡れたアスファルトが光を反射した。
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