◇6月17日(水)晴

 梅雨の晴れ間で久しぶりに青空を見た。ドアを開けて太陽の光に目を細める。

 家の脇から自転車を引いて道に出ると、向かいの家から太一が出てきた。


「おはよう」

「美帆ちょっと待って。一緒行こう」


 太一は駆け足で駐車場に周り、大きなスポーツバックをカゴに入れて自転車に乗って出てきた。ペダルを踏みだし横に並ぶ。目元にかかる前髪が風で上がる。


「付き合って1年のプレゼントって何がいいと思う?」

「もう来月か。雫に聞けば?」

「考え込ませてしまった」

「雫らしい」

「やっぱ形あるもの欲しいからさー。春休み臨時バイトしたし、ペアリングとかもいいなって思ってて。で、選ぶの付き合ってくんない?」

「なんで私? 雫と行きなよ」

「サプライズにしたい。誕生日プレゼント選ぶのは来てくれたじゃん」

「私もプレゼントを買う目的があったのと、雫が欲しがったからって絵の具を選ぼうとしてたから」


 雫の誕生日は2月。太一は迷いに迷った末に、手首の部分にボアがついたベージュの手ぶくろを選んだ。


「嶋に幼なじみいいねって言われたけど、こんな場面見たらやっぱりいらないって言いそう」

「嶋いいやつだろ?」

「人たらし。息を吸うように気遣う」

「男の俺でもときめくときある」


 私と太一みたいに妹たちもずっと仲良くしてほしいと嶋は言っていた。あのときはあえて言わなかったけれど、成長すると太一のことで冷やかされる日も、くだらないと思いながらも話しかけられなくなった時期もあった。

 けれど、太一は気にしなかった。高校生になっても私たちの距離が離れなかったのは、太一が変わらなかったからだ。


「もし雫が告白される場面を見かけたらどうする?」

「誰に告白されてた!?」

「もしもの話だって」

「……隠れて様子見る」

「想像できるわー」

「もしもの話だろ。本当にもしもの話だよな?」


 恋人が誰かに告白されているのを見たら、動揺するのが自然な反応だろう。


『邪魔するのも悪いから』


 強がりでも無理した態度でもない。あんなときでもいつもと変わらない気遣いをみせた。




 放課後、私の方が先に倉庫に到着した。鍵は嶋が持ってくるので、ベンチに荷物を置いて待つ。ベンチの後ろに植えられているあじさいの花が先週は黄緑だったのに、青や紫に色づいていた。SNSに投稿する習慣もなく普段写真をあまりとらない方だけれど、涼し気なパステルカラーがきれいだったのでスマホで撮影した。


「ごめん。お待たせ」


 嶋が隣にリュックをおろす。そして、私が読んでいた大学のパンフレットを見て驚いた。


「美帆ちゃんもそこ第一志望?」

「嶋も?」


 嶋もベンチに座るので、パンフレットをふたりの真ん中に寄せる。今のページには学科の紹介が簡潔に載っていた。


「進路指導室でもらってきた。俺は経済学部」

「私は心理学科」

「心理学科の授業っておもしろそう。他学部でも出られないかな」

「模試の成績はどう?」

「CとBを行ったり来たり」

「いいな。私Dだから夏休み猛勉強しないと」

「美帆ちゃんは部活あったし、これから成績伸びるよ。同じ文系だし情報交換しよう」


 嶋が柔らかく笑うのを見て、「なんか不思議」と口をついて出た。


「今月まで全然話したことなかったのに、進路の話までしてる」

「俺は美帆ちゃんと話してみたいと思ってた」


 私は嶋の顔と名前は知っていたけれど、嶋は私のことを知らなかったと思っていた。


「そうやって女子ひっかけるの?」

「誤解!」

「天然なんだ」

「美帆ちゃんが俺のことどう思っているかよくわかった」

「悪口言ったつもりないけど、なんかごめん。水やりしようか」


 脱力している嶋に謝り、仕事をはじめようと立ち上がった。


 午後の時間帯は中庭に校舎の影ができる。自転車通学で毎日日焼け止めを塗っているとはいえ、日に焼けるとすぐに肌が赤くなるので、ホースを調整してできるだけ影に入りながら水やりをする。


 反対に嶋のいる側は影がなくて暑そうだ。白いシャツが日差しを反射している。

 それぞれ端から水やりを進めて、声が届くところになってあらためて尋ねた。


「私のこと前から知ってたの?」

「太一がよく話すから」

「どんな話?」


 よけいなことを言ってないといいけれど。顔をしかめてしまうのは仕方ない。


「増元さんと付き合うまで、美帆ちゃんに協力してもらったって」

「あれは相談料取ってもいいぐらい」


 太一にはカウンセラーの練習だと調子よく丸め込まれた。


「最初雫とふたりで話すのは緊張するから私もいてほしいとか、メッセージうざがられてないかとか。雫に告白する前日も報告しに来た」


 シャワーの水の音だけが耳に入り、沈黙が落ちていることに気づく。視線を横に向けると嶋も私を見ていた。初めて会話した日もこういう瞬間があった。


「美帆ちゃんも好きな人のこと太一に相談する?」

「人に相談するほど悩んだことない」


 一緒に美化委員の仕事をするようになって、嶋とはクラスや家族の話といったとりとめのないことを話してきた。警戒心は大分薄れたけれど、ストラップのこととか、隠し事を見透かされそうで緊張する瞬間がある。


「俺の相談にものってほしい」

「嶋が悩むようなことで私が相談にのれる気がしない」


 笑って流そうとして、一昨日の出来事が思い浮かぶ。


「月曜日のあれ、告白だったの? 彼女に聞いた?」

「聞けなかった」

「まあ聞きづらいか。気まずくなかった?」

「少し。日曜日どこに行くかで話つないだ」

「デートするぐらいならもう気にしなくていいんじゃない」

「だといいけど」


 彼女の方こそ嶋のこと好きそうだったし、心配いらないだろう。嶋の言う相談も話の流れで言ってみただけだろう。そんなふうに楽観的に思い込んでいた。

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