◆6月15日(月)曇
梅雨入りが発表された先週から雨の日が続いていた。
今日はくもりでも前日の雨でグラウンドがぬかるんでいるため、体育はサッカーから卓球になった。ペアでラリーの練習をした後、1セットの勝者がそのまま台に残りミニゲームが始まった。
体育館の卓球台が置いてある2階のスペースは1階よりも蒸し暑く感じる。隣のクラスの卓球部に負けた俺は次の人にラケットを渡して、また自分の順番が回ってくるまでスペースの端、棒が縦に配列する手すりの前で休憩する。
下では女子がバレーボールをしていた。先生が2人1組のパス練習を止めて集合させる。とぎれとぎれに聞こえる声と動きから、サーブのやり方を説明しているようだった。
その後みんながコートの周りに並び、美帆ちゃんだけエンドラインに立った。左手でボールを上に放り、上体を反らして右手を後ろに振りかぶりそのまま肘をのばして打つ。ボールはまっすぐ飛んで向こう側のコートの真ん中に落ちた。
続けて2球目、3球目とサーブを打つ。コントロールしているみたいでどれも違う方向に落ちる。
「女子はバレーか」太一が隣に座った。
「美帆ちゃんが手本でサーブ打ってる」
先生が何か言うと、美帆ちゃんはラインから数メートル下がった。
前方に高くボールを放ったと同時に助走をつけてジャンプ、体を反らして全体重を乗せるように右手でボールを叩く。バシッと乾いた音が響き、ボールはさっきより威力を増して床を強く打った。拍手が起こる。
「かっこいい」
「相変わらず逃げたくなるようなサーブ」
目を見張る俺と違って太一は反応が薄い。
「ライン際に落とすサーブもえぐいぞ」
「美帆ちゃんの試合、応援に行ったりする?」
「大会が部活と被らなかったら。美帆が他校の女子に写真頼まれて、俺カメラ役したことある」
「すごい」
下ではサーブ練習が始まった。他の女子より頭ひとつ出た身長、長い手足。モデルみたい。
太一から美帆ちゃんの話を聞きながら、まるで家族のように何でも知っていると思った。
『水やり、美帆に頼んだ』
2週間前の朝、太一は謝って、そう続けた。
太一は野球部の部長で、加えてこの高校は野球の強豪校。地方大会が迫っているのに、水やりをしていたら最初から練習に出られない。
そもそも俺がくじびきでこの期間を当ててしまったのが悪い。水やりの初日、文句は何も言わず、でも気が急いているような様子を見て、翌日ひとりで当番をすると申し出たけれど。
彼女の増元さんと同じぐらい、太一の話に登場する幼なじみ。しょっちゅう叱られるという話も聞くけれど、嫌いだとかマイナスな感情はにじまない、言葉にしなくても信頼しているように聞こえる。
そして、幼なじみの話を聞く度、去年の夏の日を思い出してしまう。増元さんの隣で笑っているのとは別の、今にも泣きそうな表情を。
話してみたいと思った。
だから太一の話を断らなかったし、水やりを月曜と水曜で分担してもよかったのに俺からは言い出さなかった。
シャワーヘッドから水が出る音と葉が水滴を受けて揺らす音に、離れた場所から声が重なる。
「体育の時間、太一とさぼってるの見えた」
「さぼってないよ。休憩」
「休憩ねー。見て。虹」
太陽を背にして美帆ちゃんがホースの水で小さな虹をつくる。肩に近いところにある7色の断片はつかめそうで、つかむことができない。
「美帆ちゃんの話聞いてた」
「よけいなこと言ってない!?」
水を止めて勢いよく叫ぶから笑ってしまう。太一に連れられて初めて言葉を交わした日もこんなやりとりがあった。
「太一も前に同じこと言ってた」
「お互い恥ずかしい昔話を知ってるから」
「幼なじみっていいね」
自分にはそういう存在がいないから、美帆ちゃんと太一のような気の置けない関係がうらやましい。
「妹も男の幼なじみがいて、太一と美帆ちゃんみたいに高校生になっても仲良くしたらいいな」
「太一にとって私は男女とは別の幼なじみ枠だって。あまり身長も変わらないからよけい女子扱いされない」
「モデルみたいだよね」
美帆ちゃんはぽかんと口を開けて、「たらし」としかめ面になった。ほめたのに。
「嶋の妹はいくつ?」
「小学4年生」
「離れてるんだ」
「美帆ちゃんは兄弟いる?」
「妹がいる。中学3年で、太一の妹と同級生」
「太一はお姉さんもいたよね」
「あそこの三兄弟仲いいよ」
家が近いなら家族の付き合いもあるだろう。美帆ちゃんも太一のことを何でも知っているみたいに話す。うらやましい。またそう思った。
俺が彼女と帰る約束をしているから、事務室にある倉庫のカギを俺が取りに行き、美帆ちゃんが返すようになっていた。
水やりを終えて待ち合わせの昇降口に向かう。彼女はいつもドアの前で待っているのに、今日は見えない。スマホに連絡も来ていない。黙って帰るような子じゃないし、急用でもできたのだろうか。
小さな足音が聞こえたと思ったら、美帆ちゃんが昇降口から出てきた。ドアの近くで突っ立っている自分に気付き、驚いた顔をする。
「彼女さんが自転車置き場にいるの、窓から見えた」
「行ってみる。ありがとう」
彼女は電車通学だけど、俺が自転車だからそっちで待っていたのかもしれない。美帆ちゃんも自転車通学なので一緒に向かう。
美帆ちゃんの言った通り、彼女は自転車置き場にいた。
あ、と隣から息が漏れる。
自転車小屋にいるのは彼女だけじゃなかった。離れていて話し声までは聞こえないけれど、彼女の正面には男子がいて、その横顔が懸命に彼女に何かを伝えている。
見つかるとお互いに気まずくなりそうなので、黙って校舎の方へ戻る。美帆ちゃんも後から付いてくる。多分俺が美帆ちゃんの立場で、あそこにいるのが自分に関係ない人たちでも、告白中に自転車を取りに行きにくいだろう。
自転車置き場が見えないところまで来てから足を止めた。
「美帆ちゃんまで帰りづらくさせてごめん」
「私のことはよくて。あれ、いいの?」
「邪魔するのも悪いから」
彼女が困っていたら違ったけれど、彼女も男子を見つめて真剣に聞いているように見えた。告白を邪魔するのは野暮だろう、と。
しかし、自分の態度が今の状況にふさわしくないと気づいたのは、美帆ちゃんが何か言いたげな顔をしたのを見てから。
「いつもみたいに昇降口で待ってる」
取り繕うように笑えば、美帆ちゃんは、うん、とだけ答えて自転車置き場に向かった。美帆ちゃんはあの中でも取りに行ける人だった。むしろ俺を気にかけて付いてきてくれたのかもしれない。
何と言えば、どう反応すれば正解だっただろう。そう考えている時点でどうしようもないことに思いいたって、来た道を戻りながら苦笑がもれた。
それほど待たないうちに、彼女は走って昇降口に来た。
「待たせてごめんなさい」
「何かあった?」
何も知らないというように遅れた理由を質問する。彼女の視線が下に向き、告白してくれた日のように、肩にかけたスクールバッグの持ち手を両手でぎゅっと握る。
「佑弦先輩」
「なに?」
「私のこと好きですか?」
「好きだよ」
「……ごめんなさい。面倒くさいこと聞いちゃいました」
寂しげな微笑にやりきれなくなる。また、きっと、正解じゃなかった。
歩きの彼女に合わせて自転車を引きながら、いつもより元気のない彼女の話を聞く。何をすれば喜んでくれるだろう。思考停止の欲求に抗って考えを巡らす。
「前見たいって言ってた映画公開されたから、土日に行く?」
「行きたいです」
話の切れ目に提案すると、ようやく笑顔を浮かべてくれた。
それから駅に着くまで日曜日のデートの計画を立てた。彼女は遅れた理由を話さなかったし、俺もそれ以上聞かなかった。
彼女が駅に入るまで見送ってから自転車に乗る。家まで残り半分というところでハンドルを握る手の甲、頭に水滴が落ちた。家に着くまで小雨でいてくれと鉛空を見上げる。
彼女はひとつ下の後輩で、去年保健委員で同じになって、4ヶ月前に告白された。
そのうちあの子の口からも同じようなせりふを聞くのだろうか。
そのとき自分も同じことを思うのだろうか。
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