06(3)

 小さい頃はおとぎ話が好きだった。特にお姫さまが出てくる話は、絵がかすれるくらい繰り返し読んだ。

 ガラスの棺も、茨に囲まれた城にも、ほこりっぽい屋根裏にも、王子さまはお姫さまを見つけ出して末永く幸せに暮らしましたとさ。

 いつか自分にも王子さまが迎えにきてくれるのだろうかと夢見たりした。


 だけど、お姫さまになれるような、王子さまが見つけてくれるような選ばれた人ははじめから決まっている。ハルと出会ってからそう感じるようなった。


 王子さまが迎えにくる夢を見ているだけでは自分を見つけてもらえない。これから好きな人ができたら、自分から自己紹介をするような気持ちでその人に会いに行きたい。



 ○



『17時から閉会式をはじめます。教室は学級委員が施錠して、運動場に集合してください。キャンプファイヤーの近くは危ないので十分に間隔をあけてください』


 放送を聞いて、休憩していたクラスメイトたちが気だるさをまといながらも浮き立つように教室を出ていく。


「マコ行かないの?」

「ハルから着替えるから教室開けておいてって連絡来た。寧々は先輩待ってるから行って。私もハルが来たらすぐ行くから」

「じゃあ、先行くね」

「いってらっしゃい」


 寧々を見送った後、自分以外誰もいなくなった教室の電気を消して、窓側の席を借りて外の様子を眺める。

 空には夕焼けに染まったうろこ雲が広がる。グラウンドには後夜祭のステージが設営されて、校内の敷地を囲うように建てられた野球用のライトが明るく照らしていた。3階からでも移動するクラスメイトたちの顔がわかった。


 音を立ててドアが開く。忘れ物だろうかと振り返れば、白雪姫が顔をのぞかせた。


「白雪姫お疲れさま」

「疲れた。カチューシャのせいで頭痛い。電気点けないの?」

「なんとなく。外からの明かりもあるから」


 ハルは電気のスイッチから手を離して、私の前の席に座った。


「制服。それと、プレゼント」


 制服の入った紙袋を机の上において、シフォンケーキを渡した。


「ハルは今日何か食べた?」

「宣伝で回ってたら色々もらった」


 餌付けされている様子が目に浮かんで笑いをこらえる。他の役者たちはすでに着替えたけれど、ハルは宣伝や写真撮影で最後まで白雪姫のままでいた。

 お腹がすいていたのだろう。くたびれている姫は着替えないままシフォンケーキを食べている。


「りんごの味がする」

「おいしかったからハルにも食べてほしくて。そのクラスで生徒会の先輩にスカウトされた」

「やるの?」

「忙しいみたいだけど、興味ある」

「マコなら大丈夫」


 憂鬱や不安が消えていく。

 ハルといると時々息苦しくなる。けれど、ハルがいるから気持ちが晴れることがある。だって、ずっと一緒にいたんだ。


「おれもまた演劇部に勧誘された。てか誘拐された」

「詩ちゃんが写真送ってくれた」


 白雪姫をイスのついた神輿みこしに乗せ、レスラーの覆面をかぶったふたりがかついで廊下を歩く姿と、3人にスマホを向ける人たちの写真。神輿も覆面も視聴覚室で上映していた演劇部の作品に登場していたもので、宣伝のパフォーマンスだろう。もちろん写真は保存した。


「ハルこそあれだけの観客の前でやりきったんだから、大丈夫だよ」

「マコが生徒会入るなら暇になるか……。考えてみる」


 もふもふと食べている、目の前の幼なじみを見つめる。本人は不本意みたいだけど、本当に美少女だと思う。

 ぱっちり二重の目も、長いまつげも、白い肌も、ずっとうらやましかった。みんなに好きになってもらえるハルみたいになりたかった。


(でも、私は「私」にしかなれないんだ)


 毒りんごのレシピはもういらない。

 寧々とハルが好きだと言ってくれた自分を、前よりも好きになれそうだった。


「なに? 食べかすついてる?」


 私の視線に気づき、親指で口元をぬぐうハルに、私は自然と笑いかけていた。


「私が意地はってたせいなんだけどさ。ハルがいなくてつまんなかった」


 外から歓声が聞こえた。キャンプファイヤーに校舎の2階に届きそうな大きなオレンジの炎が燃えている。後夜祭が始まった。


「マコ」

「もう着替える? その前に写真撮らして」


 写真を撮るなら電気を点けるか。立ち上がろうとすればその手をぎゅっと握られた。とりあえずイスに座り直す。


「おれがんばったよね」


 うん、とうなずく。


「がんばった。白雪姫が一番かわいかった」

「それはちょっと微妙だけど。化粧もお姫さま抱っこも我慢した」

「えらかったね」

「じゃあ、ちょうだい」


 ハルは赤いリボンのカチューシャを外して私の頭につける。「私には似合わないよ」カチューシャを両手でつかんで外そうとすると、かわいい顔が近づいて、瞬きするくらいの刹那、唇に柔らかいものが触れた。

 停止していた脳が間もなく状況を飲み込んで、ガタガタと大きな音を立てながらイスごと後ずさった。


「な、なんで!?」

「ごほうびなんでもいいって言ったから」

(誰もキスされるなんて思わない!)


 それでも言い返せられなかったのは、


「俺だって男だよ」


 そう微笑んだのが、劇が始まる前に見せた、私の知らないハルだったから。


「……その格好で言っても美少女でしかない」

「まあね」


 もっと他に言うべきことがあるのに、混乱して別のことを口走る。どくどくと早い鼓動の音をかき消すようにスピーカーからのんきな音が流れた。


『みなさん文化祭お疲れさまでした。これから、企画の投票の結果を発表します。まずは飲食部門――』


 3位からクラスとお店の名前が発表される。飲食部門の1位は寧々と行った大正風のカフェだった。


『続いて舞台部門。3位――』


 最初に呼ばれたのは2年生のダンスをしたクラス。


『2位、1年1組「白雪姫」。優勝、3年3組「ロミオとジュリエット」』


 ハルと顔を見合して、喜び半分、残念半分でタッチする。優勝候補には敵わなかったものの、2位は大健闘だ。

 その後展示部門、イベント部門の発表が続く。


『そして、ベストカップルの優勝は――おとぎばなしから出てきた、王子と白雪姫でした!』


 途端、私のスマホが鳴り出した。


『ハルまだ着替えてない!?』


 スピーカーにして電話に出ると、向こうも盛り上がっているのか、翼君の声にかぶさるように歓声が聞こえる。


「まだ着替えてないよ」

『表彰式出るから、着替えずにグラウンドに連れて来て!』

「だってさ」

「帰りたい」


 しかめつらをしても、やっぱり白雪姫はかわいかった。




 表彰式が行われる外のステージ前は人で混みあっている。まだ仮装したままの人が多いなかでも、白雪姫が通ると視線が集まる。


 明後日から元の学校生活に戻る。仕事に追われながらも今日を楽しみにしていた。色々あったけれど、準備の時間も含めて文化祭が楽しかった分、終わりが近づくと寂しさが胸に迫ってくる。


「ハルー! 賞状もらいに行くぞ!」


 クラスメイトたちのかたまりから翼君が叫ぶ。


「マコ、今日は一緒に帰ろう」

「うん」


 にこっと笑ってステージへ駆けていく後ろ姿に何かが足りないと思う。カチューシャをつけられたままなのを思い出して慌てて外したときには、大勢の人が壁になってハルは見えなくなっていた。


 白雪姫のキスで目覚めたものは?


 達成感と寂しさと、心細いような、自分ではまだ名前の付けられない感情を胸に、初めての高校の文化祭が終わろうとしていた。



 end

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