06(2)

 体育館は舞台以外照明が消されているので、前の方の客席しか顔が見えないものの、舞台裏のカーテンの隙間から見える範囲ではほぼ満席になっているようだった。


「すごい人」

「3年の劇が終わったら帰ってくれないかな」

「無理だね」


 げんなりするハルに即答する。けんかした日、私と和樹君以外にも白雪姫は目撃されたらしく、美少女の白雪姫が知れ渡ってしまった。男だけれど。


「セリフ合わせしなくて大丈夫?」

「緊張してるって言ったら、マコにはげましてもらっておいでって言われた」


 あの数の観客の目が自分に集まるのだ。出番がない私まで緊張してきたから、主役のプレッシャーははかりしれない。でも、私は緊張をほぐすおまじないしか知らない。


「手のひらに『人』って書いて飲み込んで」

「書いて」


 人に書いてもらうやつだっけ。疑問に思いながらも差し出された手のひらに『人』と書くと、「くすぐったい」と手をつながれる。


「飲み込んで」

「こっちの方が効果ありそう」


 いくら幼なじみとはいえハルは男子だ。見つかればからかわれるかもしれないと渋っていたら、「だめ?」と首をこてんと傾けてくる。今は誰が見てもお姫さまだからいいかとハルの思うままにさせる。私も脳がバグっている。


 ロミオは仮死状態のジュリエットが死んだと勘違いし、毒薬を飲もうとする。3年生の劇もいよいよクライマックスだ。


「原稿とお花ありがとう。……怒ってごめん」

「おれもごめん。今回は焦って失敗した」


 私がハルにあたってしまうのは今までも何度かあったけれど、謝るとこうして笑ってくれた。だけど『失敗』ってなんだ。『今回は』ってどういうことだ。


「マコは、和樹君が好き?」


 詳しく聞こうとする前に緊張した声で尋ねられた。舞台袖も照明が落とされて暗い。『離れていかないで』と、あの夜マンションの外廊下で言われたときみたいだと思い出す。


「和樹君は優しい人だと思う。でも、私はまだ『好き』がわからないのかも」


 優しくしてもらって浮かれて、どきっとするときもあった。でも、ハルに和樹君を取られて怒っていたのに、今ハルと仲直りできてほっとしているぐらいだから、自分にはまだ恋愛は早いみたい。


「ハルに敵うわけないのにはりあったのが間違ってたんだ」

「おれと比べることが間違ってる」

「だって、昔からかわいがられるのはハルだから。嫉妬がふつふつと」

「えぇー」


 改めて考えると相当理不尽だ。ごめん、ともう一度謝る。


「みんなに好かれるハルみたいになりたかったんだ」


 悲壮感たっぷりの音楽を最後に舞台の照明も落とされた。拍手が体育館に鳴り響く。

 幕が下りてから舞台が薄明るくなる。3年生が反対側の舞台裏に道具を運び終われば、今度は私たちのクラスが準備をする。


「おれは」


 大道具係たちの俊敏な動きを目で追っていると、つながれた手に力が込められた。


「お人好しでがんばり屋のマコが好きだよ」


 隣を見ればハルがふわりと笑う。ちゃんと見ていてくれる人はいる。


 12時前。舞台の準備が整った。


『次の発表は、1年1組白雪姫です。ストーリーの大筋はみなさんがよく知る物語ですが、時々ぷっと吹き出してしまうようなしかけを散りばめています。ちなみに出演者は全員男子生徒です。子どもから大人まで楽しんでいただけたらうれしいです』


 朝一番に渡しに行った原稿を放送部が読み上げる。「よっしゃ、がんばるか」「緊張する」お妃さまと鏡が舞台に出る。つないでいた手をそっと離される。


「がんばるから、ちゃんと見てて」


 舞台の向こう側へと歩いていくハルは誰が見てもお姫さまなのに。なぜだか女の子に見えなかった。




 最初にスポットライトは舞台の右側、鏡に向きあう王女を照らす。せりふを言う前に笑いが含まれたどよめきが立つ。


「鏡よ鏡、世界で一番美しい人はだあれ」

「とりあえずお妃さまじゃないっすね」

「正直に言わないとたたき割るわよぉ」


 ごついお妃さまがバットを取り出す。現役野球部の力強い素振りに笑い声が起こる。


「もう一度聞くわ。鏡よ鏡、世界で一番美しい人はだあれ」

「世界で一番美しいのは、白雪姫でございます」


 舞台の左側にも追加のスポットライトが照らす。花畑の絵を背景に、造花を持って座る白雪姫が登場した。


 あれ男子? 美少女。パパ、白雪姫かわいーねー。


 観客席にさらに大きなどよめきが起こる。つかみはうまくいった。ハルはまぎれもなく美しいお姫さまだ。


 有名なストーリーに沿って話は進み、時々観客席から笑い声が聞こえる。舞台裏にいる私たちもハラハラと見守りながら、それでも物語に夢中になっていた。


 王子さまのキスで目覚める場面は、ふたりの顔の近さが際どくて歓声があがった。本当にしたのか終わったら聞いてみよう。




 劇は無事に終わり、大きな拍手に送られながら幕が下りた。

 役者たちにお疲れさまと言う暇なく、次のクラスのためにすばやく舞台を片付ける。運ぶだけなので今度は私も手伝った。


 教室へ人も物も移動してからようやくほっと息をついた。クラスメイトたちの表情は達成感に満ちている。私も雑用は大変だったけれどがんばってよかったと思えた。


「劇よかったぞ! せっかくだから衣装のままクラス写真撮ろう」


 感動している担任のかけ声で、教壇の前側の机をよけてみんなで並ぶ。もちろん最前列は役者たちだ。私は端におさまった。

 全体写真を撮った後そのまま写真撮影がはじまった。ハルの前には撮影会かと思うような列ができている。私もハルの写真を親から頼まれたけれど後にした方が良さそうだ。


 教室のスピーカーから流れていたBGMが止まり、放送が入る。


『生徒会より連絡します。ベストカップルに出場するみなさんは中庭に集合してください』


「忘れてた。壱! ハル! 行くぞ」


 写真撮影がストップして、みんなに応援されながらやる気みなぎるお妃さまと、ファンサービスのようにこちらに手を振る王子と、「もう疲れた」と遠い目をしている白雪姫は退場した。

 残った人たちも残りの時間を楽しもうとばらばらと教室を出ていく。私と寧々も教室を企画の続きを周ることにした。


 1年4組のおばけやしきは、和樹君はあまり怖くないと言っていたけれど、人気みたいで行列ができていた。私の希望で私たちも最後列に並んだ。

 中に通されると、暗くて細い通路を歩かされるせいか、いつもの教室と違って広く感じる。おばけが見た目だけじゃなくて動きも本格的で結構怖かった。演劇部の指導の成果だ。壁から手が出てきたときにひとつだけ手をふってくれた。


 おばけやしきを出て次はどこに行くか相談していると、廊下の窓から中庭を見下ろす人たちが増えてきた。私たちも空いていたところに並ぶ。


 ダンス部の恋人、野球部の小学校からのバッテリーの後、王子さまが白雪姫をお姫さま抱っこして登場した。ハルの笑顔は輝いている。開き直っている。

 寧々が中庭にカメラを向けてシャッターを切る。私撮ろうとしてみたけれど、上からなのでうまく全身が写らない。ハルが着替える前に撮らせてほしい。

 中庭にいる人のなかでうちの白雪姫がダントツでかわいかった。

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