第8話 ラインとエドのやり取り1

 その日、エドゥアルトはよるにダンスの手ほどきをしていた。それは前々から自分がやると買って出ていたので、特におかしなところはなかった。

 ラインはその様子を見守っていたが、この日はよるはダンスに身が入らず、どこかうわの空だった。それを指摘したエドゥアルトは、珍しく誰にも何も言わずにダンスホールを後にしたのだ。

(怒っている様子ではなかったが、何かあったのだろうか。)

 ラインはエドゥアルトの後を追い、ダンスホールを誰にも気づかれないように後にした。ラインは自分の仕事はエドゥアルトの空気になることだとすら思っている。

 程なくして、エドゥアルトに追いつくと、早速どうしたのかを尋ねる。エドゥアルトは早足でどこかへ向かっていたが、やがて角の空き部屋を見つけると、そこへ吸い込まれるように入っていった。

 ラインも部屋へ入り、静かに扉を閉める。それを確認したエドゥアルトは、第一声にこう言った。

「危うくよるを襲うところだった。なんだあの可愛い生き物は?!」

 ラインはまた始まった、と思ったが、これは誰かに話さないといずれ爆発する類の感情なので、ラインは静かに耳を傾ける。エドゥアルトはというと、あの冷徹王子と謳われた感情のなさはどこ吹く風で、床でのたうち回っている。

「王子、よるさんと何があったかは存じませんが、とりあえず落ち着いてください。」

 ラインはあくまでも冷静に対処していく。

(この様子を見られたら、次に冷徹の名がつくのは私の方かもしれないな。)

「これが落ち着いていられるか!よるがあんなかわっ、可愛い発言を!!」

 これは相当重症だ。と、ラインがそろそろツッコミを入れようかと思い始めた頃だった。一応その可愛い発言内容を聞いておかねばならない、と思い立ち、嫌な予感を抑えながらもエドゥアルトに再度尋ねる。

「おおかたよるさんにうわの空な事を指摘なさったんでしょうけど、どうして王子がダメージを受けてるんですか?よるさんに襲い掛かりたいのは今に始まったことじゃないでしょう。」

 さらりと流すラインだが、ラインとて若い男性だ。好きな女性ができたら、自分だってこうなる可能性はゼロじゃない。過去にマリエッタといういい例もあったし。ただ、エドゥアルトがここまで取り乱すのはそんなに頻繁に起こることではない。いつもなら、大体可愛いからとキスをおねだりして、平静を取り戻すのに。

「ふふ、ふふふ。」

 エドゥアルトは平静を保てなさすぎて、今度は不気味な笑いを始める。今回はどうやらだいぶ尋常ではないらしい。

「よるに、なんでうわの空なのか聞いたんだ。そしたら、なんて答えたと思う?」

 確かに、椅子に座らせたよるにエドゥアルトは何かを問いただしていた。しかし、よるがなんと答えたかは、よるの声があまりに小さ過ぎて流石に距離のあるラインまでは届かなかったのだ。

(あれが聞き取れていたら、私は完全に気持ちの悪い生き物だよな。)

 そう思いながら、ラインはさあ?と答えるしかなかった。察するに、エドゥアルトはどうやらその先を聞いて欲しいらしい。

「俺のことをカッコイイと思いながら踊っていたせいだって言うんだ!はちゃめちゃに可愛い!!どうしたらいい?襲うしかないだろ!?」

 なるほど、そういう事か。ラインは納得した。普段よるからは、エドゥアルトはキスしてもらうことには慣れていても、面と向かってカッコイイと言われた経験がないのだ。普段言ってもらえない褒め言葉に完全に舞い上がっているという状態のようだ。

(確かに、好きな人から褒めてもらえたら、こうなるかもしれない。)

 ラインは昔、マリエッタから剣の腕前や稽古について褒めてもらえた時、確かに気持ちが高揚するのを感じていた。

「何があったかはわかりました。しかしその流れであの場で襲ったら絶対前言撤回ですよ。カッコイイどころか幻滅です。」

 エドゥアルトはわかってるよ、と言いながら

「だからこそあの場を離れるしかなかった。とても冷静にはなれなかったからな。」

 と、ラインには本音をこぼした。

「賢明なご判断かと。で、この後どうなさるおつもりで?まだそんな状態でよるさんのところへ戻れないでしょう。」

 エドゥアルトはそれを聞くと、いやしかし、と少しトーンダウンした。

「とりあえず顔を洗ってくる。そして何か飲んで落ち着こう。時間もない。よるも一生懸命ついてきてくれているんだ。とりあえず母上の前で失態は避けなければ、俺たちの未来がない。そうだろ?」

 ラインはこういう時、エドゥアルトの切り替えの速さを素直に尊敬する。激情に駆られていた先ほどまでの様子とは別人のようだ。感情を放出した後、次にすべきことを正確に導き出せるこの能力は、本当に生まれ持ったものだとさえ思う。そしてそれは国の未来に必要な才能だと。

「聞いてくれてありがとう、ライン。俺一人では、何も解決できなかった。ラインがいてくれてこそ、俺はこの国の未来として成り立っている。本当にそう思うんだ。」

 エドゥアルトは、昔こそ命を助けた時くらいしかこの言葉を口にしなかったが、よると出会ってからなのか、ポツポツと折に触れてラインに感謝を述べるようになった。

 汚れ役に回ることの多いラインは、礼を言われることに慣れておらず、むず痒い気持ちになっていたのだが、最近はそれも素直に受け入れられるようになってきた。しかし、ラインは忘れない。

「やめてください。そんなことを口にすると、また要らぬ噂を招きます。好き勝手な噂を流されるのは、懲り懲りですよ。」

 もちろんこれは本心ではないのだが、ラインなりの決まり文句で、いつもの皮肉である。

 エドゥアルトもそれは知っていて、お互い皮肉げなニヤリとした笑いをして見せる。

「それでこそラインだ。これからも頼むぞ。」

 そう言ってすっかり落ち着いたエドゥアルトと共に部屋を出る。

 お互い笑い合いながら部屋を出てくるところを見た貴族女性たちはまた要らぬ噂をし始めるのだった。

 こうしてエドゥアルトが上機嫌にダンスホールに戻ると、よるはなぜか泣いているようだった。

(なぜだ、ライン!?)

 目線を送るが、ラインは首を横に振って答える。

 ラインもすぐにエドゥアルトの後について行ってしまったため、よるがなぜ泣いているのかなんて見当もつかない。

(もしかして、怒ってると思っていたのかな?)

 問題があったとしたら、そこだ。エドゥアルトは何も言わずに退出した。それを勘違いしている可能性は高い。

 その後二人の様子を見守っていると、エドゥアルトが懸命によるを宥めているようだったので、やっぱりその辺りだったかもしれない。

(想い合う二人、か。)

 ラインは二人を羨ましく思ったことがないわけがない。でも自分はそれでいいのだと思うことにしている。いつかエドゥアルトが言っていた。

『大海を知る良いチャンスだ』

 と。ラインの海は未だ広く、未知数のものもたくさんある。まだまだ出会う可能性もたくさんあるのだ。気長に待ちながら、ラインは今日も世話の焼ける主君と、その想い人を見守るのであった。

 ドレスを仕立てた時、よるがリボンを気にしてくれているようだった。しかし、エドゥアルトはラインの過去を明かすことなく、気遣いは不要だと諭してくれていた。

 そう、今の私には新しいリボンはまだ不要だ。

 この大海で私はまだ腕を磨かなければならないのだから。

 いつか新しいリボンを選んでくれる人が現れても、国の未来を守れるようになるまでは。

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ライン 安倍川 きなこ @Kinacco75

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