第7話 ラインの一日

 ラインの朝は早い。まだ日の昇らない頃、一日は始まる。

 ラインは寝起きの良い方ではないが、責任感の強さ故、寝坊したことはない。

 とはいえ、まだ夜の明けていない時間なので、主君も眠りの中なのだが。ラインが真っ先に始めるのは、朝の剣の稽古である。これはラインの日課で、一日たりとも欠かしたことはない。より強くなるため、より高みを目指して。どんな困難からも主君を守るための鍛錬だ。日々精進することで、ラインはエドゥアルトに、引いては国の未来に貢献したかった。

 そんな時間に鍛錬を積むラインに付き合ってくれる者は当然いない。孤独に鍛錬を終えると、ラインは汗を流して朝食を済ませ、エドゥアルトの起床の時間に合わせてエドゥアルトの私室前に待機する。

 これがラインの朝の一連の流れだ。

 ラインは毎日エドゥアルトの私室へのルートを変えて通っているが、エドゥアルトの私室の位置は変わらないため、どうしてもここへラインを一目見ようと女子が殺到する。なお、エドゥアルトとセットで見られると、良いことがあるというジンクスまであるらしい。

 遠巻きに黄色い声をあげる女子たちを尻目に、ラインはエドゥアルトが起きた気配を察してノックをする。

「王子、おはようございます。」

 エドゥアルトから入室を許可され、ラインは室内へと入る。

「今日は一段と黄色い声援が大きいな。ラインも家からそろそろ身を固めろと言われないのか?」

 寝起きのエドゥアルトはラインを冷やかす。

「ご冗談を。確かに家からは色々言われますが、私の立場をお忘れで?剣以外は能無しだと思われているくらいが丁度いいです。」

 二人は顔を見合わせ、皮肉げに笑い合う。

「まあ、ラインには選択の自由がある。その時になったら考えればいいさ。」

 エドゥアルトはそう言って話を終わらせると、身支度を始める。そして二言目にはこう言うのだ。

「ところで、よるはどうしてる?」

 これはもはや口癖というレベルを通り越し、病気の領域に達しているのではないかとラインは思う。

「いつものように、皆を看護していますよ。今なら、朝の体調チェックをしているのでは?」

 ラインはすらすらと回答する。というのも、恒例の質問なので、事前に把握しておかなければならない事項なのだ。

「また朝食もそこそこに仕事をしているな?よし、朝食をここへよるの分も用意させよう。俺はちょっと出てくる。」

 そう言い残すと、身支度を終えたエドゥアルトはラインを置いてよるの元へと行ってしまった。今日の女子たちの『ラインとエドゥアルトをセットで見る』チャレンジは失敗に終わったということになった。

 ラインは一人残された室内で、エドゥアルトが散らかした服を片付け、エドゥアルトの寝台に異変がないかをチェックすることも忘れない。

(とりあえず不審者の痕跡はなし、か。)

 たまに寝台の下に輩が潜んでいたりすることもある。ラインはその痕跡も見逃さない。

 程なくしてよるを連れたエドゥアルトが帰還する前に、ラインは姿と気配を消す。

「ラインさん、おはようございま〜す…あれ?」

 ラインの姿が認められないことに疑念を抱くよるに、エドゥアルトはそっと返す。

「大丈夫、ラインには聞こえているよ。」

 と。

 もちろんラインにはちゃんと聞こえている。が、返事はしない。気配を消している意味がなくなるから。

 いくらプライバシーのない王族とはいえ、恋愛くらいは邪魔しないでおこう、というラインの独自の計らいなのだが、そこから離れないのはやはり少しばかりのよるへの猜疑心と、エドゥアルトに不測の事態が起きた場合の対処のためだ。

 ラインとて人間である。こういう時、少しばかりよるへの優越感を覚えてしまうのも仕方がないことだ。寵愛の深いよるよりも、自分は信頼されていると。側に控えていることを微塵も疑わないエドゥアルトに深く感謝をしている。

 そういう主君だからこそ、これからも仕え続けようと思わせてくれるのだ。

 朝食をよると共に済ませていつものようにキスのおねだりをしたエドゥアルトの前に次に姿を現すのは、よるを送り出し、軍議の前に一人になった時だ。

「ライン、よるが毎日可愛くて仕方ないんだが。」

 最近のエドゥアルトは、かつての冷徹ぶりをよるは知っているのかと聞きたくなるほどに甘々なのだ。だからこそ、周りもよるのことを尊敬の念で見るのだが。

「王子にも良き人が見つかって良かったとは思いますが、キャロライン姫を無碍にしては、セント国との同盟に大きな支障が出ませんか?」

 ラインの言っていることは正論だ。ぽっと出のよるを嫁にしたいがために、今まで積み上げてきた同盟国との信頼に泥を塗ることは国益を損失するということだ。

「まあ、俺は元からキャロラインとの結婚は破談にするつもりだったから問題ないが、セント王をはじめ、キャロライン本人も認めんだろうな。アルフレッドという厄介なおまけもついてくるしな。」

 そこまでわかっていてなぜ、とラインは思う。だが気持ちは理解できる。王族だからと国益を優先し、キャロライン姫と結婚したところで、エドゥアルトの今の状態からして到底よるを諦めるということはできないだろう。そこで考えれられる妥協案はよるを愛妾として扱うしかないが、それではエドゥアルトの気持ちは納得できない、ということなのだ。

 愛せもしない、キャロライン姫に対してもそれは失礼な対応ということになるだろう。

 エドゥアルトは、言動はやや尖って見えるが、どこまでも自分に正直な結果だとラインは思っている。決して根っから冷徹なのではなく、むしろ、根が良い人間だからこそ、自分が良くないと思ったことは実行できないタイプなのだ。

 そして国を背負うにあたっての理想を高く掲げ、それを実現しようと邁進する良き器の持ち主だ。

 ラインはそれを知っているからこそ、世間に何を言われようともエドゥアルトに忠義を尽くすのだ。

「まさに荊の道ですね。でも、やり遂げるとおっしゃるのでしょうね?」

 エドゥアルトは不敵に笑って見せて

「もちろんだ。こんな程度でへこたれる俺だとでも思ったのか、ライン?」

 と、答えた。

 でしょうね、と皮肉げな笑みを返し、これから訪れるであろう困難に備える決意をする。

 昼は適当に合間を見て済ませ、軍議などに参加するエドゥアルトが一日健やかに過ごせるように警護する。あれだけエドゥアルトが心を砕く、よるに関してラインはどうしてもにわかには信じられずにいた。それは『異世界』というワードだ。服装も、文化も、そして考え方も何もかもが違うよるは、確かに異世界から来たのかもしれない。だが、よるの暮らしていた異世界に考えが及ばないため、その謎は深まるばかりだった。

 だが。とラインは考える。いっそ異世界から来たというのであれば、むしろこちらに害を及ぼす危険性がない可能性がある。

 今はこの国の役に立ちたいと奮闘するよるを見守ることにした。

 軍議が終わると、エドゥアルトはラインを相手にして稽古をする。剣を交わしながら、その日の出来事や、これからの事など、言葉少なくではあるが、交わしていく。

 その中で、よるのことをとりあえずは見守ると伝えると、

「やっと認める気になったか。よるに悪意はない。安心しろ!」

 と返ってきた。

 エドゥアルトは、今までたくさんの人間を観察してきたこともあり、人を見る目はそれなりに確かだ。そのエドゥアルトをして認めさせたよるはなかなかのものということになる。

 ラインは主君のそれを信じている。しかし、それを盲信するのは危険だということもわかっている。だからこそ、時には疑うことも厭わない。

 そうしているうちに夜は更けて、今日も和やかにエドゥアルトはよると共に夕食を摂っている。あんなに感情を見せることの少なかったエドゥアルトが、誰かに感情を露わにしていることが、嬉しくもあり、行き過ぎなのでは、と思ったりもした。ああも感情豊かな人物だったということは、ラインですらよるが現れるまで知らなかったのだから。

 その後は政務をこなすエドゥアルトの許可を得て、夜半前に部屋を辞す。

 そこからひとときのラインだけの時間を過ごすと、また次の一日に向けて身体を休ませる。

 休むときだけは、マリエッタから送られた年季の入ったリボンを解いて。

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