第12話 こんどは中身をフリップガール
紗良とDOKANは実は同じぐらいの体格である。機体の微調整はほとんど不要である。しかし、この場合、たとえ、優勝したとしても千代田区から提示された「パイロットは千代田区関係者であること」との条件を満たすことはできない。紗良の自宅は埼玉県の戸田市だからである。
紗良はとっさの思い付きを口にした。
「選手登録には菊池紗良も追加するとしても、私がDOKANとして出場すればいいんじゃないでしょうか?ヘルメット被っていたら、きっとばれない」
意外なことにその場にいたメンバーはその思い付き自体を否定しなかったが、係長が小声でコメントした。
「体の輪郭でばれるんじゃないですかね?」
すかさずゲンジが補足した。
「いや、スーツは伸縮性が強いから逆に行けるかもしれない」
空気抵抗を減らすために競泳水着と同じ素材のスーツを装着している。強い伸縮性があり、元々も形状に矯正される。つまり、体形は無理やり補正されるので逆にばれない。
「だとしても胸はどうしましょうね」
「そこは試着してから確認しよう」
紗良は奥の更衣室に通された。残された男子だけで会合が始まった。
まず、ゲンジが発言した。
「えーと、その・・・紗良は発展途上だから、見えないんじゃないかな?」
次に係長が発言した。
「いえ、そこは個性なので、あえて何も言いませんが、スーツの中に隠れるサイズかと」
男たちはいつになく真剣な様子だ。そんな状況でもDOKANは一人でもぐもぐと間食を口にしていた。男たちは、結論としてスーツの「性能がよい」ので、紗良で問題ないという説明をすることとなった。しかし、ちょうどそのときだった。
『ダーン』
横の配膳スペースの机で誰かがマグカップをたたきつける音がした。
これに続いて『ふー』というため息のような声が漏れていた。
男たちが振り返った目線の先にはすでに競技用スーツに着替えた紗良が立っていた。鋭い眼光を光らせながら、口元の白い液体を拭っていた。飲んでいたのは牛乳だった。紗良はマグカップ一杯分の牛乳を飲み干したところであった。
「あ、もう着替えたんだ。早かったねえ・・・」
男たちは、会話に夢中になったために、紗良の様子に気づかなかったのだ。紗良が着替え終わって戻った後、冷蔵庫から牛乳を取り出し、飲み干して、マグカップを机にたたきつけたのであった。唯一、DOKANはそのことに気づいていたが、紗良に会話を聞かれたことより、自分の牛乳を飲まれたことに気が行っていて、周囲には何も伝えなかったのである。
紗良が先頭に、チームメンバーはテスト飛行のためにそのまま荒川河川敷に向かうこととなったが、紗良がDOKANの前を通過するとき紗良の持っていた機材ケースがDOKANの右足にぶつかった。DOKANは悶絶した。
「いててて。おれは無関係だろ」
その日、早速、荒川河川敷でテスト飛行が行われた。
DOKANのテスト飛行の時から変わっていない。機体は軽量化のために、自走用モーターがなく、自転車走行から始まる。所定の位置にたどり着いた紗良はヘルメットに備わった無線でゲンジからの指示を聞いていた。
「始めは自転車で滑走すると、一瞬、浮いたような感覚の瞬間が来る。それがスイートスポットで、その時にスロットルを全開にするとダントツに加速が早いはずだ。やってみろ」
「はい」
電光掲示板のランプが灯ると紗良は全力で漕ぎ始めた。すると一瞬機体が浮いたような感覚となり、そのとき、レバーをフルスロットルにした。
「ラップタイムは?」
係長がストップウォッチの表示を読み上げた。
「1周目45秒です。結構、いいスタートだと思ったんですが」
「いや、初速が出過ぎて、逆にコーナーで膨らんでしまったようだ。これはすぐに補正できるだろう」
ゲンジが説明した通り、紗良の機体は2週目が40秒。3週目が36秒とラップタイムが短くなっていった。横で見ていたDOKANがトランシーバーを奪った。
「おい、お菊。体を傾ける時に勢いがあり過ぎだ。機体がひっくり返るぞ。コーナーで回るときに体の軸を動かすな」
「ありがとう。やってみる」
ふだん、『ボクスカー』とか、ふざけたしゃべり方ばかりしていたDOKANが急にまじめな声で指示をしてきたことに紗良は驚いた。しかし、アドバイスを実践するたびにタイムは伸びていった。最終的なタイムは1周目が37秒。2週目以降が36秒と、何とかレースに出ても問題ないレベルとなっていた。
紗良は、練習のない日は戸田のボート上に出かけ、競艇ボートを眺めて、イメージトレーニングを重ねていった。
落車事故、推薦権剥奪、大学受験失敗、予備校での失恋からの空白の3年間を埋めるように、紗良の心身はホバーバイクレースのことで満たされていた。あっという間の3週間であった。
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