◇◇村上健司◇◇ 友情

「一颯は……もしかしたら克服しようとしてくれるかもしれない。でも……俺は白衣観音のスライドで倒れた一颯を見てる。せっかく記憶を取り戻して、これから自分の人生を歩めるのに、また過去に囚われる元と一緒にいるなんて……」

「でもな、月城さんにとっては、健司と別れる方が辛いかもしれないんだぞ?」

「俺……。一颯の心に迷いがあること、分かってた。でも洋太さんから一颯に電話がかかってきて、嫉妬して、今、一颯の気持ちが俺にあるなら、動かないようにしちゃいたいと……。だけど洋太さんは、婚約してても一颯の気持ちを、尊重して何もしていない」


 正直、負けている気がする。自分が幼稚だと思う。

「それは月城さんが洋太さんに恋愛感情がなかったからだろ? 健司の場合とは違う」

「でも……一颯に迷いがあることに、俺たぶん気づいてた。だから、だからこそ待てなかった。我慢できなかった。渡したくないと思った。焦ってたんだよ。自分の気持ちばっかじゃん……。すげえ反省して、一颯が一方的に婚約破棄する罪悪感が一掃されるまで、待とうと決めたんだ。そしたらこんな事実……」

「それ、白衣観音のこと、誰から聞いた? 自分で気づいたわけじゃないだろ?」

「洋太さん……」


 そこでナツは忌々しげに舌打ちをした。

「条件がそこそこ整ってる状態だと、衝動的に自分の願望が抑えられなくなるのが恋愛なんだよ。健司の場合、相手も自分に好意があるって、その条件は整ってた。冷静になって反省して、そこからだよな、相手のこと優先するのは」

「お前に真剣恋愛のイロハを語られるって不思議だな」

「たぶん、強烈な恋心の衝動性を知ってるのは健司より俺だよ。あの頃の自分見てるみたいだもん」

「……そうかも」


 大学に入ってすぐの、ナツの遅い初恋。一通りの体験をした後のそれは、大人の麻疹みたいに重くて厄介だった。

「洋太ってやつもお前と同じだよ。洋太が月城さんに何年も何もできなかったのは、彼女にその気がなかったからだ。でも健司には、こうやって致命傷になるほどの情報を叩きつけてくる。取られたくないからだろ」

 俺は俯いて毛布を握りしめた。

 もう今は一颯の幸せを一番に考えたい。自分がどんなに辛くても苦しんでも、一颯に幸せになってほしい。一颯は苦労したんだ。これからは誰よりも幸せになってほしい。


 ……でも、なんでその手助けをするのが俺じゃダメなんだよ。こんな運命の悪戯ってあるかよ。

「決めるのはお前じゃなくて月城さんだよ」

「……ナツ。アメリカの仕事、軌道に乗せるのにロサンゼルスに支社作るって話、出てたよな? お前、行けないだろ?」

「……俺は、今は日本を離れられない」

 ナツには、会社より大事なものがある。


「俺だってCanalsが大事だよ。時期の問題だし、みんなにも会社と別次元で大事なものはある。会社のためにも創業メンバーはいい融通の仕方をしたい。仲間だろ?」

 俺の思考を読んでいたような答えだ。

「アメリカには俺が行くよ。支社長として。あっちの方がテクノロジーが進んでるから、デジタル分野から行く可能性が高かったろ? 俺か枝川だったら、新婚になる枝川より俺の方が適任だ」

「ただな、それを逃げに使うなよ」

「だって……」

 日本の同じ会社にいれば、一颯が他の誰かを好きになって、他の誰かと幸せになるところを見なくちゃならない。考えるだけで頭が変になりそうだ。でも俺はそれを祝わなくちゃならない。


「最初にやるべき事は月城さんと品川ゼミナールを切り離すことだ。もう彼女に手出しができないように法的な措置を取る」

「ナツ、頼むよ。これから先も一颯のこと……」

「それは俺の役目じゃなくてお前の役目! ごちゃごちゃ考えすぎなんだよ。シンプルでいいだろ、両思いなんだからさ。問題が起こってから対処すればいいんだよ」

「……」

「ちょっと休め、健司。明日は幹部会議だぞ。そこでロサンゼルス支社のことは打診してみるから」

「ありがと」


 一応の方向性がまとまり、俺があれこれ吐き出して落ち着いたと見たのか、ナツはそこで帰宅した。最後にナツはニヤリと笑った。

「お前も初恋の子が最後の子になるんだよ」

 ぼんやりと、そうかもしれない、と思う。一颯と一緒に生きられなくても、一颯以上に好きになれる子に出会える気がしない。

 一颯の歩んできた道のりを知れば知るほど想いが募っていった。それは一颯が言っていた救済欲求なんかではない。

 泥沼に咲き、どっぷりと泥をかぶって泥まみれになった蓮の花。それでも雨で洗い流されれば、その色に染まることのない純白の蓮が現れる。あの頃よりもずっと強く、でもあの頃と変わらない優しさやしなやかに、どうしようもなく惹かれるのだ。だからこそ幸せになってほしい。

 なのに、一颯は俺といれば、いつまでたっても両親を失った事故と切り離された未来を歩く事ができない。

 俺はこの世で、一番一颯にふさわしくない人間だ。


 次の日の幹部会議でうちうちにだけれど、アメリカには俺が支社長として行くことがほぼ決まった。

 一颯を連れて行きたかったな、と思う。一颯が望んでいる二葉ちゃんの療養プログラムはアメリカで、確か西海岸だった。ロサンゼルスから通えない距離でもないかもしれない。大阪出張で今週は不在の一颯がいつも使うデスクを眺め、気づけば深いため息をついている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る