◇◇村上健司◇◇ 悔恨

 けれど洋太は芸能のスクールに合格はし、仕事ももらえるようになる。

 数年後には品川家はかなり状況が上向いた。洋太の母も、家事をかなりやれるまでに回復し、洋太の芸能活動も軌道に乗る。二葉も少し前向きになり、通信制の高校生になった。そして一颯は国立大の情報関係の学部に進学した。

 洋太にとって、一颯に恋愛感情を抱かない事が、いかに不自然な事かは、なるほど理解できる。


 通常時でさえ一颯に二度も恋をしている俺からすれば、洋太の状況で、そうならない確率はゼロ、空中をなんの器具も無しに歩くのと同じくらい不可能な事に思える。

 洋太は、父親に対し、もやもやしながらも結局、本心では感謝していることがひとつあった。一颯が大学を卒業する時に、自分との婚約を紙面に残る形で決めてくれたことだ。そして一颯がその書面にサインをしてくれたことに、天地がひっくり返るほどの衝撃と喜びを受けたそうだ。


 品川は、自分の血を引く洋太に品川ゼミナールを譲りたい。だけど、高校すら出ていない洋太には、現実的にはあまりに難しい。

 育ててもらっているという負い目のせいで、品川に従順で、高度なプログラミング技術を持っている一颯が伴侶であってくれれば、これ以上都合のいいことはない。品川はそう考えたに違いないそうだ。

 今から思えば、父が月城姉妹を引き取ったのは、理系に強い一颯の成績表を目にしたからに他ならないだろうと、洋太は瞼を伏せた。

 このあたりまでは、俺が想像していたものと、それほどの乖離はない。思っていた以上に、洋太が品川の悪事とは無縁だった事が意外といえば意外だ。


 驚くのは洋太の主張だ。

〝二人で父の不条理に耐えてきた。締め付けに耐えてきた。自分が一颯を想ったのと同じ想いを、なぜ持ってくれなかったのだろう〟

「弱いながらも、一颯ちゃんを親父から守ろうとしてきた」

「たとえば、どんなところで?」


 とにかく品川は自分と一颯を管理したがった。自分が芸能スクールの一年目、一颯が高校生の頃から、二人は携帯で品川と位置情報を共有することを求められた。最近はアプリで管理されている。

「じゃあ、一颯がどこにいてもすぐにわかるってことか。引っ越しも」

「今は違います。一颯ちゃんは自分の位置情報をアプリ内で変えている。そういうソフトを自分で作って叔父さんの目を長いことかいくぐってきた。僕のスマホにもそのソフトを入れようとしてくれた。でも僕だけでも親父の監視下にいれば、一颯ちゃんがバレた時には不具合だと説明できると思った」

「守る、ってそういうこと? 一颯の盾になってくれてたんだ……」

「今回は動きましたよ。父の位置情報アプリを逆手に取って、僕が一颯ちゃんの実家が焼失なんてしてないことを突き止めた。Canalsの応接に行ってから、父の動きをアプリ上で見張ってたら、会社とは無関係の場所に足を運び、長時間とどまっている事を知った。世田谷だ。気になって直接行ってみて……どんなに驚いたか想像つくでしょ?」

「洋太さんが、一颯の実家の焼失が嘘だと知ったのは、やっぱりつい最近……」

「そう。だからそれはすぐに一颯ちゃんに電話で伝えたよ。でも一颯ちゃんは知ってた。つい最近知って、そこから本格的に父を信じられなくなったんだね。僕も行って卒アルを見て、あなたに教えられたんだと悟りましたよ。おおかた記憶も戻ったそうですね」


 品川と同罪だと思っていた。実家の焼失を装うという大罪を、洋太は一颯に対して犯していると認識していた。それを隠しているくせに、一颯を大切にしているなんてどの口が言うんだ、と思っていた。

 一颯と洋太は、同じように品川に管理され、同じように苦しんでいた。

 さらに洋太は、多感な時期に何かの原因で引きこもるようになり、それに対し家族の誰もが放置していたところを一颯に救われた。

 洋太の方には共闘意識や連帯感、一颯を慕う気持ちが芽生え、それが強い恋心に繋がっていった。

 でも一颯は、洋太の事を弟のようだ、と話してくれた事がある。面倒を見ていた時期に生まれた感情かもしれない。そこまでの背景があるから、洋太に恋愛感情はなくとも、他の種類の強い気持ちがあるんだろう。


 だから強要され、おかしな催眠状態にされて婚約の書面にサインをさせられても、騙されただけだと洋太を簡単に切り捨てる事ができない。

 そこに俺が、嫉妬と焦りから強引な行動に出てしまった。

 洋太が知っていたのかどうかはわからないが、一颯が、大学時代に他の誰かに恋心を抱いていてさえも、彼女の気持ちが自分に向くのを黙って待っていた。何年間も。婚約は大学の卒業時だと言っていたから、その時はまだ紙面上ではなんの関係もなかったにしろ、気持ちは一颯にあったはずだ。

 一颯にとって、この目の前のきれいな男は、真に大事な存在なのだ。だから……俺への気持ちを口にしたすぐあとにキスした時、「裏切りだ」と、涙を流した。

 俺はなんて幼稚だったんだろう。二十六歳という年齢の男がやる所業じゃない。

 視線は、カップの底に残ったコーヒーに落ちたままだ。

「一颯ちゃんは小学校の時からあなたが好きだったんでしょう?」

「え?」

「一颯ちゃんの机に〝目指せK大〟と貼ってあった。あなたは中学からK大の付属で、大学はそこだと決まっていたんでしょう?」

「そうですね」

「皮肉な運命だと思うな。一颯ちゃんの気持ちを最優先できないあなたには似合いの結末なのかもしれない」

「はい?」

「相応しくない、って言ったでしょ? 村上健司さん」


 それは……そうかもしれない。一颯の気持ちを深く考える余裕がなかった。

「性急な行動に出たことは反省しています。今は、きちんと気持ちの整理ができるまで待つと約束ーー」

「一颯ちゃんの同級生で当時の想い人だと知ってから、調べましたよ、あなたのこと。昔、一颯ちゃんに白衣観音の話をしたことがありますよね? 小学校の頃です」

「え?」

「彼女が見たかったものは白衣観音だ。遠くから見ると山の上に人が立つかのように見える不思議な観音像だ」

 一颯が、二葉ちゃんと席を替わった理由があの観音像?

「ずいぶん……相当に時間をかけてあなたのことをくまなく調べた。一颯ちゃんを本当に幸せにしてくれる人物かどうか。あなたが何かのセミナー講師をやった時のアーカイブがネットに残っていた。白衣観音の話をしていましたよね? 子供の頃に見たものなのに、忘れられない。自分にとって強烈にインパクトがあった。仕事をする上で、顧客にはそういうインパクトを与えられるようになってほしい、みたいな話でしたよ」


 確かに白衣観音の話は、インパクトの実例として使ったことがある。

 思い出すのは、新入社員も多かった社内での新規事業の説明で、最後にちょっとその話をした時の事だ。一颯は倒れた。

「きっと小学校であなたが家族旅行で受けた衝撃を友達に話したんでしょう。一颯ちゃんに直接語ったのかもしれない。それを彼女は覚えてて、どうしても白衣観音が見たかった。そのために、妹の二葉ちゃんとサービスエリアで席を交代した。見やすい位置にね」

「……」

 確かにあまりの衝撃に興奮し、小学校で白衣観音の話をした覚えがある。一颯に喋ったのかどうかは覚えていないけど、彼女が聞いていた可能性は高い……かもしれない。

俺のそばにいると、一颯は不幸になるのか? 事故のことを思い出すのか? それでも俺は自分を優先するのか……? 自分より一颯を優先すると誓ったばかりじゃないか。

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