◇◇村上健司◇◇ 悔恨

 ここでもまた痛いところを……。一颯は何より大切な存在だ。命に変えられるくらい大切だ。でも、それとは別の場所にCanalsも家族や友人もいて、それは同じ次元で比べることができない。

「教えておきたい事があるんですよ。あなたが一颯ちゃんに相応しくない、って情報をね」

「なんですか?」

「一颯ちゃんが二葉ちゃんのうつ病を気にしてるのを知ってますよね? 家族旅行の時、パーキングエリアで、後部座席の左右を変わってしまったから、二葉ちゃんは母親の死の瞬間を目の当たりにした。一颯ちゃんはそれをとても悔いている。どうして彼女は、そんなことをしたと思います?」

「どうしても興味を惹かれるものが、その先の高速から見えるって知ってたんじゃないですか?」

「村上さん、一颯ちゃんと小学校が一緒ですよね? 僕は父と違ってタンスの金庫なんかに興味はない。一颯ちゃんの実家がまだあるって知って、それを見つけた時、彼女の部屋だけは見に行った」

「まさか……日記を盗み読みしたんじゃ……」

「日記? そんなのあったんですね。あったとしたってそこまでの彼女のプライベートを勝手に暴いたりしませんよ。どんな部屋で暮らしていたのか、純粋に興味があっただけ。その部屋には、記憶を失っている好きな人の情報が詰まっている」


 日記に気づいていないのか。この人の言い分を信じるなら、抽斗を開けたり、クローゼットの中を覗いたり、そこまではしていない? 俺は胸を撫で下ろした。

 洋太はコーヒーを口にする。あまり香りのしないコーヒーだった。

「一颯ちゃんのアルバム類と、小学校の卒アルだけは、丹念に見せてもらいました。クラスメイトの中に、一颯ちゃんの両親を事故で死なせた男と、同姓同名の人物がいると知った。父がCanalsを買い取るために利用しようとした副社長の名前と一緒でした。でも僕は、Canalsの副社長と一颯ちゃんの同級生が同一人物じゃないかと結論づけた」

「親の主張よりも自分の推論を信じた?」

「まあそうですね。父は、Canalsの副社長は年齢をごまかしてると主張してるけど、Canalsの副社長が一颯ちゃんの同級生だとすれば、ごまかしてはいない事になる。そっちの方が自然でしょ。このネット社会で人身事故を起こした人物が、急成長してる会社の副社長なんて、当時の同級生とかからすぐにタレ込まれるよ。親父は卒アルなんかに興味はなかったはずだから、一颯ちゃんの同級生に村上健司って人物がいたことは知らない。負い目があって親父に従順な一颯ちゃんだ。丸めこめると思ってたんでしょうね」


 洋太は卒アルを見た時に、一颯の両親を無免許運転で死に至らしめた人物と、Canalsの副社長が別人だと自分で気づいた? 親父には一颯と同じように、無免許運転を起こしたのはCanalsの副社長、本人、つまり俺だと教えられていた? 一颯と同じように騙されていたってことか? 

「洋太さん。洋太さんは、いつ、一颯の実家が焼失してないと知ったんですか? 世田谷の一颯の実家に行ったのはいつ?」

「まだ実家があると知ったのは一週間前の深夜だよ。直接、一颯ちゃんの実家に行って知ったよ。リビングのガラス窓が割れてて。手を突っ込めばクレセント錠が回せたんですよ。村上さんがやったんですよね? 自分の無実を証明するために一颯ちゃんを連れて」


「い……一週間前まで、一颯の実家は焼失したと本気で思ってた? 一颯と同じように?」

「そうです。Canalsの応接室に行ったことでいろいろ、不審に思うことがありました。一颯ちゃんが、買収が進んでいるCanalsの事情を知るために一時入社をしてるでしょ?」

「えっ……」

「でも入社からしばらくしたら、連絡がつきにくくなったと父が焦っているように見えた。応接で会った時は態度がいきなり変わってて、Canalsの副社長は両親の事故の犯人ではないと言い出す。僕にはあの時はなんの話だかわからなかった。あなたも買収の話を何度も断っている、とか言っているし。なによりめちゃくちゃに好戦的だし」


 ちょっと待て。洋太は穏便にCanalsが買収されると思っていたのか? その先鋒として一颯が一時入社したと? 一颯がハッキングをやらされていることも知らなかった?

 いや……ちょっと業界に詳しい人間なら、Canalsは創業メンバーの結束が固く、勢いにも乗っていて、簡単に買収に応じることはないとわかるはずだ。一颯もCanalsを調べた時に、無理だと思った、と打ち明けた。

 品川ゼミナールの専務の肩書を持ってはいても、洋太は業界のことにも、なんなら自社の事にすら興味がないんだろう。あくまで彼にとって本業はモデルなのだ。

「一颯ちゃんの態度もおかしい。とにかく父は一颯ちゃんのプログラミングの才能を利用しようとしてる節があるから、そこはすごく心配してた。応接で会ってから、『お願いだから叔父さんにCanalsの買収を踏みとどまらせてくれ』って何度も電話がかかってくる。一颯ちゃんから電話がくることなんてそうそうないのにね」

「あの……。俺が、品川さん親子に対して抱いている認識と洋太さん自身が、わりと乖離してる気がするんですよね。一颯が品川家に引き取られてからの洋太さんとの関係性を、聞かせてもらってもいいですか? それから、僕への攻撃材料があるなら攻撃してくれていいですから。相応しくない、ってさっき言ってましたもんね」


 主犯は品川だ。一颯が事故にあって家が焼失したと教えられた時、洋太はまだ十五歳だった。でも一緒に暮らしていたのなら、品川の一颯への強引なやり口を見てきたはずだ。洋太にも相応の罪があると思っていた。でも彼は本当に何も知らなかった? そんな事があるのか?

「いいですよ」

 洋太は語り始めた。

 記憶を失った一颯が、放心状態の二葉ちゃんと品川家にきた時、品川家もまた大きな問題を抱えていた。品川の妻であり洋太の母親も、ほぼ、うつ状態に近かったそうだ。一颯が叔母さんは身体が弱く、伏せりがちだと語っていたけど、そういう事だったのか。


 なぜ叔母さんがうつっぽくなったのかは、父親の会社を受け継いだ品川の強引なやり口と、息子の登校拒否のダブルパンチだったんだろうと、洋太は考えている。

 そこに、難しい症状の姪が二人舞い込んできた。しかも品川は、自分の実家とも、一颯の父である実兄とも不仲だった。品川にとって一颯も二葉ちゃんも今まで会ったこともない姪だったそうだ。洋太も一颯に会ったのはこの時が初めてらしい。

 買収によって業績を伸ばす品川ゼミナールとは裏腹に壊れかけている品川家を、一颯はせめてもの恩返しにと、懸命に立ち直らせようと奮闘し始めた。

 自分たち姉妹を引き取ってくれたことに絶大なる感謝と共に、巨大な負い目も感じていたらしい。


 不慣れな朝飯作りから家事全般までを、一颯は学校生活の傍ら担うようになった。ひとつ上の洋太に対しても、学校に行きたくないなら他の道もある、と親身になって探した。

 家族でさえ、不登校という自分の状況をほぼ顧みない中、一颯だけが将来を心配してくれる。事実上一颯のためだけに洋太は立ち直り、芸能の方向で頑張り始めた。今までほとんど中学に通うことのなかった不登校児が、普通高校に通い人並みの青春を送ろうと願うには、中三半ばは時期的に遅過ぎた。

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