◇◇村上健司◇◇ 悔恨
「そうだな。全部終わったら一緒に暮らそう。二葉ちゃんも呼んで。アメリカでのプログラムがいくらかかるのかわかんないけど、Canalsはもっとでかくするよ。俺、稼ぐから」
「うん。わたしも健司が大事にしてるものは一緒に大事にするよ。夕凪ちゃんとももっと仲良くなりたい。Canalsのためにいっぱい力を尽くす」
「そうだな。でも一颯が犠牲になるような守り方は、俺絶対に許さないからな」
「ありがと。じゃあさ、もう特別に、とっておきの秘密、教えちゃおっかなー」
「え?」
「日記に書いてあって思い出したんだけど、健司が行くってわかってたから、わたし、K大を目指してた……らしい」
「え! 感激すぎるんだけど」
「うん。あとさ……」
「何?」
「やっぱ、これはいいや」
「なんだよ」
「健司の方がずっとイケメンだと思うなっ!」
一颯は、くるっと俺に背を向けた。
「マジか!」
ようやくいくぶん心が軽くなる。
多少無理して笑いながら、一颯を背中から抱きしめる。
俺がモデルに勝てるかよ。あ、もっと若い頃はヨット雑誌のモデルならたまにやったな。あれは甘いマスクのナツと一緒だったからな。
早く全てが解決すればいい。きれいごとを並べたって、俺は結局、それまでは洋太に嫉妬するのだ。
それから俺たちは抱き合ってしばらく眠った。俺はほとんど眠れずに、一颯のあどけない寝顔を見ていた。
数時間が経ち、朝日が昇る。台風一過の目の覚めるような青空だった。
俺と一颯は一緒に近所のスーパーに買い物に行き、一緒に飯を作る用意をする。
しばらく恋人関係からは離れる事にした。だから、俺としては今日だけは一颯とデートらしいデートがしたかった。それも本心だけど、部屋にいて手を出さないのはかなり苦しい。
なのに、男心のわからない一颯は、小学校時代のリベンジをする! と張り切り出した。ルーから作るカレーだ。一颯のヘルプとして、彼女の指導のもと、野菜を切りまくる。
あの時とは全く別物だ。店で出されるものと遜色ないくらい美味いカレーを一緒に食べ、一緒に片付けをした。
ミケとチャピはすぐに一颯に懐いた。
お前ら主人をどっちだと思ってんだよ、と愚痴りたくなるほど、一颯にまとわりついて撫でることを要求するミケとチャピだ。
「こいつら、野生を忘れてるな」
「仔猫の時に拾ったんでしょ? 健司の家猫だよ。それにお客さんが好きな猫もいるよ。いつもいる人はその状態が慣れちゃって、必ず構ってくれるわけじゃないじゃない」
ミケとチャピ、それぞれを両手で撫でる一颯。笑顔の一颯。この光景が日常になり、ミケとチャピにとって一颯が〝お客さん〟じゃなくなる日が一日でも早く訪れてくれますように……と願う。
充分すぎるくらい幸せなひと時なのに、キスどころかいちゃいちゃすることもなし、ましてやセックスなんてもっての他で、辛くないといえば大嘘になる。
でも、一颯の気持ちを尊重する事が、何よりも大事だ。
夜遅く、車で一颯を会社の借り上げ社宅まで送る。
必ず俺の腕に取り戻すと決めているのに、借り上げのマンションに入っていくその背が離れていくのと比例して、不安は募っていった。
月曜日から、一颯は大阪に出張だ。オフィスにいても数日は一颯の姿が見られない。
自宅マンションまで戻り、地下にある専用駐車場に入れようと減速した時、その入り口の下り坂中央に、ふらりと人影が出てきた。俺は慌ててブレーキを踏む。
「何してんですか、危ないですよ」
ウインドウを下げ、入り口を封鎖するように立ち尽くす人影に向かって、叫ぶ。まだ若い男性のようだ。
「こんばんは、村上副社長。いや村上健司さん」
「えっ?」
樹木の間に設置されたライトだけの深夜の暗闇で、自分の名前が呼ばれて驚く。その後、人影が開いたウインドウの近くに立つ。
「ちょっと話しませんか? 村上健司さん」
「品川、洋太さん……」
「すぐ近くの――で待ってますよ。車、入れてきちゃってくださいよ」
歩いて二分のところにあるファミレスを指定された。
洋太を車に乗せてそのファミレスにいくこともできたが、一颯が今さっきまで座っていた助手席に洋太を乗せることに抵抗があった。
俺は了承の返事をすると、いったん車を車庫に入れ、洋太が待つ、ファミレスまで歩いた。
洋太は入り口近くのわかりやすい場所で俺を待っていた。
テーブルの上にはコーヒーのみ。俺もドリンクバーでコーヒーを取ってテーブルに戻る。
「こんな時間に何をしてたんですか?」
「あなたと話がしたかったんです」
探偵か何かを雇って俺の住所を割り出したのか。これなら引っ越した一颯の住所もすでに知れている可能性が高い。予想はしていた。だから夜遅い帰宅のビジネスマンが多く、人通りが遅くまで耐えない場所を選んだけれど心配だ。
「なんなんですか? いきなり」
「一颯ちゃんに対して、ずいぶん強引なことをするんですね。あの人が百パーセントの気持ちであなたに応えたとは考えにくい、と思ってます」
「……いつから俺らを見張ってたんですか?」
「ここについて、しばらくあなたの部屋あたりを見ていたら、一颯ちゃんと二人で出てきた。二人でスーパーに行って食材らしいものを買って部屋に戻りましたよね。一颯ちゃんは料理が上手いから」
「それってストーカー行為ですよ」
「話がしたかったのはあなたです。そうしたら、もう一颯ちゃんとこんな事に……。僕と婚約してる状態で、あの人がすんなりあなたと関係を持つとは考えにくいです。相当強引な手法をとったんじゃないですか? 彼女の気持ちも無視して」
反省しきりの痛いところをつかれ、言い淀む。
「……少なくとも同意のもとだよ。彼女も俺を好きだと言ってくれている」
「冷静に考える余地さえ与えず、むちゃくちゃに揺さぶった結果でしょ? 僕は一緒に暮らしている時だってそんな事はしたことがない。いつだって彼女の気持ちを最優先に考えてきた。今の時点で僕に気持ちがないことはわかっていたから、無理につき合ったりもしていない。親父はそれが気に入らないんですけどね」
これに対しては、返す言葉が見つからない。この人なりに、一颯を品川から守ってくれていたのか。しかも自分の気持ちを抑え、一颯を優先している。
「婚約はしてても、一颯ちゃんの気持ちが僕に向かない限り、無理に結婚するような事はしないつもりだったよ。でも君がこんな強引なことをするなら考えを改めるべきかな、って」
「……一颯の気持ちは今、俺にある。無理に手を出したら……俺は何をするかわからない」
物騒な言葉が転がり出て、自分で仰天する。
「そんなこと、するはずがないでしょう。一颯ちゃんの気持ちを無視するような事。自分のことばっかり考えてるあなたとは違います」
「正直に言います。今回の事は性急過ぎたと反省している。一颯が心の整理をするまで、距離は保ちます」
「気持ちの強さでは僕はあなたに勝ってます。あなたは一颯ちゃんのためにCanalsを退職することなんてできないでしょう? でも僕はいつでもモデルをやめられる。一颯ちゃんと結婚できるならね」
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