◇◇月城一颯◇◇ 覚醒
「えっ……。そんなはず、ないよ……」
「月城、今住んでるところの住所言えるか? 車取ってきたから送るから」
「でも敵……」
そんなはずはない。あの頃と同じように、若いスーツ姿の男性陣の中心で笑う男の人の影が、視界の隅にちらつく。あれは誰? 似ている。歳は全然違うけど、まとう空気が同じだ。
「敵ってなんだよ、ちゃんと説明したじゃん、起きようぜ。俺、超寒いんだけど」
「うーん……」
わたしの下に敷いてあるふかふかの羽毛布団が引っ張られるから、取られないようにしっかりくるまる。足が寒いなあ。どうしてこんな中途半端な長さなんだろう、この布団。それになんか、男っぽい匂いがするのはどうして? 嫌な匂いじゃない。その人らしい温もりに、ほんの微かな男性用パフュームのような……。
「おーい。住所言えないと、送ってけないじゃん」
「忘れた。記憶喪失なの」
「えっ? マジで言ってんの? 記憶喪失って新しいこと覚えられないわけじゃないよな? すごい複雑なコード操ってるやつがなんで」
コードかあ。
「それは得意」
「もう……またこのパターンなのかよ? 記憶喪失って、どういう……?」
疑問の言葉を呪文のように呟く誰かが、わたしの体を起こした。
「わたしの……布団」
取られないようにぎゅっとつかむ。
「月城の布団じゃなくて、俺のダウンジャケットなの! 下に敷いとかないと変なダニとかいそうじゃん。貸したまま車取りに実家に帰ったから。外、めっちゃ寒かったんだぞ」
「ありがとう」
「いいかげん起きろってー。酒二杯でここまで泥酔できるやつって初めて見たわ。何が『わたし、結構強い』だよ」
その後、わたしは誰かに背負われた。さっきの、男っぽい匂いの布団――でもかなり匂いが薄まっちゃったみたい――に頬が乗る。おんぶされて進んでいるらしい。小さな子供の頃を思い出す。
「パパ……」
そう呟いた時、一瞬、歩く人の足が止まった。
車の後部座席にそっと横たえられ、肩までさっきの布団が丁寧に被せられる。車が発進した気がする。
状況から、誘拐されたと判断してもおかしくないのに、頭の隅ではちゃんとわかっている。この車を運転している人はぜんぜん危険じゃないから、わたしは何も心配することはないのだ。
「月城月城。ついたぞ」
「うーん……どこに?」
「月城が住所言わないから、仕方なく俺の家に連れてきたの」
「悪いやつだなー。お持ち帰り?」
「違うよっ! そうされたいのか、お前はっ!」
思わずカッときたような強めの声に、わたしは目を覚ました……らしい。
「えっ?」
わたしは目を開けた……らしい。頭が朦朧としていて、今の状況がよく理解できない。わたしは車の後部座席から身を起こした。
「あれっ?」
「やっと起きたかー。ほら、今度はちゃんと歩いてくれよ」
「ここ、どこ?」
「だから俺のマンション!」
「村上……くん。いや……副社長だ」
「プライベートの時は村上くんでいいって」
「どうしてプライベートでこうなって……?」
そこで急速に脳が覚醒を始める。四十二階の多目的ルームからわたしが昔住んでいた家に連れていかれ、そこで知ったあまりにも衝撃的な事実から逃れようと、空きっ腹にお酒を一気飲みしたところまでが、ムービーのように脳内展開された。
「えっ? わたし寝ちゃったの?」
「そう。しかもぜんっぜん起きなかったの! だからもう俺の家に連れて来るしかなかったんだよ。実家が近いから車取ってきて、俺んちに帰ってきた」
「そ、そうか。ごご……ご迷惑おかけしました」
「それはいいんだよ。月城、めちゃくちゃな一日で、精神的にも肉体的にも疲労が限界なのはよくわかるから」
いや……。それは村上くんも同じだと思う。
「でもな。悪いけど俺も寝てなくて結構限界。この後すぐ月城のことを家まで送るのは事故りそうで怖いから、一回寝てもいいか?」
「そ! それはもちろんでございます! あ、ていうか、送ってもらわなくても大丈夫だから」
「酒が抜けてなくて危ないし、俺もまだまだ聞きたいことがあんの」
聞きたいこと……。そりゃそうだよな。
村上くんの家は、こじんまりしたモダンなマンションの一室のようだ。
キーをかざしてオートロックを抜けると、そこは吹き抜けになっている。真ん中に竹が何本もセンスよく伸び、その足元を熊笹と玉石が取り巻くセンスのいいエントランスフロアが広がっている。和洋折衷で超クールだ。村上くんに似合っている。
「ここの突き当たり」
エントランスフロアから一番遠い、一階の角部屋のようだ。
「ただいまー」
ひとり暮らしだろうに、習慣のように普通に声を上げる。
……ていうか、玄関に女性用と思しき厚底のスニーカーが置いてあった。
村上くん、同棲してるの? 彼女がいるところにわたしを連れてきたの?
わたしはそのスニーカーを凝視し、身体とともに心も固まった。そこから自分の中で昂っていた気持ちが緩やかに雪崩を起こし始める。急激に周りの色が失われていった。
「あ、忘れてたわ……もう、あんまり想定外のことが起こり過ぎて」
「え……」
「おお、チャピ、ミケ。昨日は悪かったな」
村上くんの足元に黒と茶色の猫がすり寄ってくる。
「寝るとこ、どうすっかなー。あ、月城入れよ」
黒い方の猫を抱き上げた村上くんは、すでに靴を脱いでたたきに上がっている。
「で……でも」
わたしはサイズの小さいスニーカーに視線を落としながら、戸惑いまくった。
「警戒しなくたって平気だって。忘れてたけど今日、ひとりじゃなかったんだよね」
「きょ、今日?」
そこでリビングの奥の部屋から、明らかに村上くんのものだと思われるぶかぶかのトレーナーにスエットを着た、ものすごくかわいい女の子が、目を擦りながら出てきた。わたしより明らかに幾つも下。もしかしたら高校生かもしれない。村上くんってそういう趣味か!
「もう! こんなに遅いならそう言っといてよ。心配するじゃん。何度電話しても出ないし」
がらがら声に千鳥足なのは、まだ目がぜんぜん覚めていないからだ。わたしの姿が見えていないからだ。
「予定外の連続でさ。悪かったな、
「あのっ! わたし、失礼しますっ!」
踵を返そうとしたわたしの腕を村上くんが抑える。
「ちょっと待って」
「ふぇ?」
そこでやっと目を覚ましたらしい女の子が〝意味不明〟を表す声を上げる。
「お
「いや、これには深いわけが」
わたしのドアノブを掴む手が止まった。
お兄?
「やだ! お兄、お持ち帰りなんて最低なことしないよね? 彼女なの?」
「いや、まだ彼女じゃ……」
「まだ?」
「……い、いや」
わたしは、珍しくしどろもどろになっている村上くんと、超絶にかわいい女の子を見比べた。兄妹にしては似ているところがない。スタイリッシュと荒々しさが共存する、ちょっと稀な雰囲気を持つ村上くんに対して、この少女はバービー人形のように、どこまでもかわいらしい。
「え、妹さん? 彼女かと……」
一緒に住んでるのかと……。
「まさか。ヤですよ、こんなデリカシーのない男。あたし、村上
「とんでもないです。わたしの方が……。あ、わ……わたしはお兄さんの会社の社員で、月城
「月城……」
夕凪ちゃんはなぜかわたしの苗字を小さく呟いて、眉間に皺を寄せた。
「月城、酒飲んで自分ちもわかんなくなったんだよ」
「あーね。あたしにミケとチャピの世話を頼んどいて、二人で仲良く徹夜で酒盛り!」
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