◇◇村上健司◇◇ 対峙
ぼそりと落とされた呟きだったのに、底知れない決意を感じた。彼女も〝叔父さん〟を完全には信じきれていなかったんじゃないかと思えた。
月城と俺は手早く持ってきた荷物をまとめ、外に出る用意をする。俺はちゃんと自分のパソコンを通勤用のリュックに詰めた。
「あ、ちょっと待ってて」
月城をおいて隣の応接室に入り、思いついたものをリュックに収める。飾りのリビングボードが置いてあり、そこはちょっとした備品置き場だ。
「お待たせ」
多目的ルームから廊下に出ても無人だ。この階には夜中、見回りなんか来ないんだろうな。
「月城、夜中の一時過ぎにゲート抜けて、よく見咎められなかったな。警備員さんいただろ? てか、これから出るのが面倒だな」
夜中のゲートエリアは無人だろうが、そこに直結の管理室には防犯カメラのモニターがある。ずっと見張ってるようなことはないだろうが、動きのないはずの場所が動けば気づく可能性もある。
「まだ大丈夫かもしれないよ。外の喫煙所で
「えっ」
「自分が吸ったタバコで
「月城、用意周到――!」
そうやって夜中に見咎められずにビルに入ってきたのか。事件か何かなければ過去のモニターを調べることなんかないもんな。
「管理室、夜中はひとりみたいだからさ」
「調べてんなー。将来有望だぜ」
「副社長は?」
「え?」
副社長……。一瞬誰のことかと思った。思考が小学生時代のクラスメイトに戻っている。
二人でエレベーターを待っている時、月城が横から俺にちらりと、ほんのかすかなちゃめっ気を含んだ視線を投げる。
多目的ルームで対峙した時から、強い憎しみに満ちた目ばかりを向けられてきたから、こういう……わずかとはいえあの頃を彷彿とさせる瞳をされると、鳩尾のあたりに変な浮遊感が走る。
「どうやってIDカードなしでゲートを抜けたの? すっかり騙されたよ。もうCanalsの社員は誰もいないと思ってた」
「俺のランプの色が変わって外に出たのを確認してから退社したんだな?」
「うん、そう。いつも遅い副社長が四十二階で仕事するなんて言うから。出入管理ボードがあってよかったと思ってたのに。ビル外に出たのがわかったから」
「完全に騙し合いだったな」
「念の為、Canalsの出入管理ボード、見に行ったけど、もう誰もいなかったから安心してたのに。ねえ、どうやってランプの色を変えずに中に入ってきたの?」
「簡単なカラクリだよ。IDカードが折れたって言って、服部さんに管理室経由でビル内に入れてもらったの。人の出入りの多い時間帯だから、出る時は予備のIDカードで出たと思ってる」
「頭いいね。すっかり騙されたよ」
「お互いな」
やっときたエレベーターに乗るよう、右手をそっちに向けて月城を誘導する。
月城の態度が、軟化している。最初に顔を合わせた時じゃ考えられないほど打ち解けている。最初に憎悪を向けてきた時に、罵倒の言葉を使った流れから敬語に戻れないのか、副社長と社員、というよりは、同級生の言葉遣いに近い。胸が熱くなる。
記憶は失っていても、何年たっていても、あの頃仲が良かった月城一颯が戻ってきてくれたようであまりにも嬉しい。
月城の読み通り、上部が大きなガラス窓でできているゲート隣接の管理室に人はいないようだった。
月城はIDカードを使ってそこを抜ける。
そこで俺はハタと気づいた。俺は入った記録がないから、このIDカードが使えるのかどうかわからない。管理人室を通って外に出る予定だったのに、そこに人はいない。
もしIDカードを使って警報でもなったら……。
「無理だと思うよー」
月城はいたずらっぽい笑みを浮かべて腹の前で小さく手を振っている。
こんな時なのに、勝ち誇った笑みなのに、それがとてつもなくかわいく見える俺はなんなんだろうか。
「……もうっ。月城、これ受け取って。精密機器が入ってんだから、絶対に落とすなよ! 運送神経の問題だからな!」
「えっ……。待って」
通勤リュックを外す俺が、何をしようとしているのか把握したらしい月城は、慌ててその場に自分のバッグを置いた。
「いいか? 落としたら、それは壮絶に、壊滅的に、途方もなく、運動神経が鈍い、ってことだからな?」
「えっ!」
君はそこそこ負けず嫌いなんだよ。煽るとそれなりに力を発揮してくれるんだよ。
俺は自分の通勤用のリュックを月城に向かって投げた。ゲートのこっちと向こう。大した距離じゃない。短い放物線を描いたそれは、十分にキャッチできるものだ。
月城は両手で必死にそれを抱え込み、抱きしめるようにしてうずくまった。あぶねー、と声が聞こえるような動作だ。
「あっぶな」
「次、行くからな」
「えっ!」
俺の通勤リュックを抱えてしゃがみこんだまま、月城は助走をつけてゲートに向かう俺を、ぽかんと見上げていた。
まだスポーツ現役でよかったよ。俺はなんなくゲートを飛び越えた。高さより、距離がそれなりにあったところがコツがいった。
時刻は午前二時を過ぎている。それでも大通りに出ると案外簡単にタクシーが捕まった。いちいちナビをするのも面倒で、とりあえず実家の住所を告げ、近くまで行ってもらうことにする。二人の通った小学校の前を向けたあたりから、俺は月城の家までをタクシー運転手さんにナビする。
目的地に着き、カードで料金を支払うとタクシーを降りる。
目の前に他と似たような造りの邸宅がある。
「あるよ、月城、ちゃんと」
ただ、他と圧倒的に違うところがあった。人が住んでいない。
敷地内に植えられた木から、つる系の雑草が垂れ下がって伸び、腰あたりの高さの門扉にいく筋も覆い被さっていた。俺はその雑草を手で避けた。
「月城、ほら」
門扉の壁に〝月城〟という表札が現れる。
月城の表情が青白い街灯と月明かりに浮かび上がる。
まなじりが裂けるほど目を見開き、半開きになった口元をゆっくりと左手が覆う。驚きで声も出ないらしい。
飾り格子の門扉の向こう側は、玄関まで飛び石を使った通路になっている。両側は、庭ってほどの広さはないものの、それなりのスペースがあり、余裕を持って建てられた邸宅だとわかる。
昔は門扉の外側からでもリビングの様子がわかった。だが今は無理だ。人の背丈より高く雑草が生い茂っている。足を踏み入れる隙間もないほどだ。
月城たちが事故に遭ってから十二年。おそらく一度も、草刈りやら剪定なんかの手入れはしていない。
叔父さん、という人が、この家の存在を知らないわけがないだろうに。
「月城、行こう」
「う……うん」
はっきりそう答えたものの、彼女の足は動かない。月城の膝ははっきりわかるほどガタガタと震え、目には今にもこぼれ落ちそうなほど涙が溜まっている。
「大丈夫だ」
俺は再び月城の手を取った。震えの止まらない小さな手だった。
心細さを通り越し、恐怖を感じているだろう月城とはいえ、小学校当時ではとてもできなかったようなことができている自分に仰天してもいた。
俺が先に立って雑草を右手でかき分けて道を作り、左手をつないだ月城が、俯きがちについてくる。
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