◇◇村上健司◇◇ 対峙
やっぱり月城は、記憶を失ってから、このアルバムを親族から見せてもらったことがない。普通だったら、アルバム類なんて、記憶の復活のために一番先に見せるべきものだろう。
最初に俺が卒アルを出した時点で、それに見覚えがあれば、反応したはずだ。でも月城はなんの反応も示さなかった。
いや、それ以前に、もし渡されていれば夢中で見入っただろうから、自分と同じクラスに村上健司という、両親の事故を起こした加害者と同姓同名の男子がいたことに気づくはずだ。
月城に、記憶が戻られちゃ困るのだ。それが俺の存在だけなのかどうかはわからない。いや……月城が事故にあった当時はまだ中学二年だ。のちに俺がCanalsの副社長になるだなんて、予想だにしないことのはずだ。俺は関係がない。
なら、なんだ? どうしてだ?
月城の様子を見ると、ページを繰る細くて白い指が小刻みに震えている。
「月城……?」
「わたし、幸せそうだね。ほんとは幸せだったのかな、この頃。パパもママも生きてて、
「病気?」
「うつ病。両親が亡くなってからうつ病と失声症、両方を発症してる」
「失声症……って、声を出せないってこと?」
「……そう」
ここまで話してくれるってことは、俺のことはもう疑っていない? 俺の話を信じるまではいかなくても、話を聞く余地があると、判断してくれたってことなのか?
「免許も見る? たぶんだけど未成年無免許運転で人身事故を起こしたなら、年齢的にもゴールド免許は無理じゃない? 偽造じゃない。なんならこの免許持って免許センターに行こうよ」
月城は黙って俯いていた。
「俺の事、信用してくれる気になった?」
「わかんない……。頭の中がぐちゃぐちゃで。だってここ数年、ずっとCanalsの副社長、村上健司が両親の仇だと思ってた」
「つまり、今回のCanals社員の個人情報を流出させようとしたのは、俺への復讐だったって事? たまたま、どこかで俺の名前を目にした。両親を死亡させた被告の名前と同じ。年も近い。で、俺を窮地に陥れようとした? 月城ひとりの判断?」
「……」
「違うよな。さっき叔父さん、って言ったもんな。対峙することがもしあったら、年齢は偽ってるから、その証拠として偽装の身分証明書を見せられる、なんて言ってたもんな。誰かに指示されてるんだろ? 俺が両親の仇だって入れ知恵されたんだろ?」
月城はかすかに開いた唇をわななかせ、放心している。
俺は椅子から立ち上がり、長テーブルをまわって月城の隣にきた。そこで月城を目線が近くなるようにしゃがんだ。
「月城は、おそらくそいつのことをめちゃくちゃ信用してる。でなきゃこんな犯罪行為に手を染めたりしない。そういうやつじゃなかった」
「……そんなの。わたしのことなんてわかんないじゃない。……仮に、ホントに一時期クラスメイトだったとしても」
わかるよ。その一時期、俺はずっと君を見ていたから。
「なあ、月城。記憶って全然ないのか? 全く覚えてないのか?」
「ううん……。両親と妹の事ははっきりとじゃないけど、覚えてる。あとは、事故の前後とか、ところどころ具体的に覚えてる事もある。それはわたしの創作なんかじゃない」
その中に俺はいなかった。当たり前か。
でも、それなら、もしかしたら記憶は戻るかもしれない? 少しは覚えているなら全くの白紙状態よりは、糸口みたいなものはあるように思える。なのに、その叔父さんとやらは、アルバムさえ見せなかった。
いや、実家に行って、アルバムを見ないなんて、そんなことがあるのか? 実家なんてアルバム以前に記憶の宝庫だ。
まさか実家にも連れて行かなかった?
「今までどうしてたんだ? 中二で親がいなくなったなら、誰かに保護されて、育ててもらってたってことだよな。妹の二葉ちゃんだって難しい病気になっちゃったんだろ?」
「そう。記憶を失った娘と、生きることに絶望して声を出せなくなった娘。すごく大変な娘二人を引き取ってくれたのは叔父さん夫婦。自分の息子がひとりいたけど、その子と分け隔てなく育ててくれた」
「恩があるんだ」
月城は黙ってうなずいた。
「じゃあ今回、こんな危ないことを月城にやらせようとしたのは、どうして?」
「……わたしが、被告人の村上健司を、すごく恨んでるのを知ってるから。……わたしの無念を晴らそうとした」
俺から視線を逸らせたまま、月城はぽつりと答えた。まだ俺を完全に信頼はしていない。俺の言葉よりも、育ての親の〝叔父さん〟の方が強い。
今の言葉は百パーセントの本心じゃなく〝叔父さん〟を庇っている。なぜそう思うのかって、月城は、自分を優先して人の迷惑を顧みない性格じゃないからだ。
俺への復讐のために個人情報を流出させるなんて、ネットに晒された他人に絶大なる悪影響が及ぶ。そんなことを、いくら俺が憎くても自分の判断でできる人間じゃない。
どうしても復讐したいなら、ピンポイントで俺を狙うはずだ。ハッキング能力が高く、元が割れない自信があるんだろうから、俺の個人情報だけを晒せばいい。それこそ銀行口座でもなんでも。捏造だってできるはずだ。
「耳に優しい情報じゃないと思う。でも現実的に考えてみてくれよ。その叔父さんは、どうして今まで月城に、たとえばこの卒アルを見せなかったの? 他の写真は見た?」
「見てない」
「どうして? 普通、記憶喪失になったら記憶を回復させようと、アルバムとか録画とか、そういうのから始めるもんだろ?」
「……無くなったから。わたしと妹が入院してる間、誰も住んでない実家が火事になって、全部燃えたの」
「なんだって?」
月城の家は、世田谷にある俺の実家の近くだ。あのあたりで、家屋が全焼するような大火事があったなんて話は聞いたことがない。
「月城、その目で見たの?」
「事故で足の骨を折って、入院中のことだよ。実際は見てない。新聞記事で読んだだけ。叔父さんが写真を何枚も撮ってきてくれた。月城、って表札は燃え残って地面に落ちてたよ。その後ひとりで行ったけど、全焼だったからもう片付けられて更地になってた」
「それ、場所はどこ?」
「江戸川区の……」
「見て。月城」
俺は卒アルの最終ページを開いた。そこには俺たちが卒業した学校の住所が記載されている。
「え……。世田谷?」
「そう。月城は世田谷の小学校で俺とクラスメイトだった。いくらなんでも公立の小学校で、江戸川区からここまで通うのは現実的じゃないだろ?」
「え、待って。どういうこと?」
「月城の家、どこだか俺わかるよ。学区内で、実家からそう離れてないから。月城の家は江戸川区じゃない」
「わ……わけわかんないよ」
「行こう、君の家はおそらくまだある」
「ええっ……」
しゃがんでいる俺と椅子に座っている月城。はっきりと視線が絡んだ。澄んだ瞳。昔はドキドキしたその瞳に、今は鎮痛な色がこびりついている。
月城の身の上を聞いたからそう見えるわけじゃなく、最初に会った時から、どこかで感じていた。明るくはきはきした喋り方をするのに、瞳の奥には何か得体の知れない暗さと寂しさ、そして危うさがあった。光と影が混在する印象は人を、いや、俺を惹きつける。これも相手が月城だからかもしれない。
「行こう、月城」
俺は立とうとしない月城の手の甲を上から握り、無理に立ち上がらせた。びくりとして一瞬振り払うような動きをする彼女の手は、結局そうはしなかった。
彼女は助けを求めている。そう思えて、振り払われるのがすごく怖いのに、離せなかった。
「そこに行けば家族の思い出が眠ってる」
「行くって……。夜中だよ」
「不法侵入だ。夜の方が都合がいいだろ」
「……」
「てか、夜中じゃなきゃ入れないよ」
「わかった」
「あ、でも月城を待ってる人がいるの? 妹さんは?」
「一緒に暮らしてるけど、今は喉が腫れて入院してる。入退院の繰り返しなの。だから今はひとり」
「そっか」
「確かめたい」
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