◇◇村上健司◇◇ 問題
「まさかここにも……じゃないよな?」
枝川が自分の耳の近くで人差し指をくるくる回した。盗聴器がないかと聞いている。
「いくらなんでもここには仕掛けられないだろう。一応セキュリティロックもあるし有人管理のマンションだし」
「でも一階で結構な広さの専用庭があるじゃん? あの辺の茂みから入るとか……まあ無理か」
枝川が、ソーラーの常夜燈が照らす庭に視線をやり、以前、昼間に来た時の様子を思い出そうとしている。
専用庭は、高い茂みと、その向こう側の忍び返しのついたフェンスで囲まれている。
「あいつらがいるから庭付きにしたんだよね。あ、今はあんな調子だけど、あいつら不審人物には容赦ないから」
俺はドアが開きっぱなしのベッドルームの方を顎でしゃくった。
ナツと枝川がきたにも関わらず、猫用ベッドで眠っているのはミケとチャピだ。遅すぎたのと、一度俺が戻ってきたからか、首を伸ばしたものの出迎えてはくれなかった。
「なるほどな」
「でも庭のセキュリティには特に気ぃ使ってるよ。庭も部屋もスマホから確認できるカメラ付けてるし、庭から人が入れば警報もなる。二匹で留守番の時間も長いからさ。猫が出入りできる隙間は開けてるけど」
「盗聴器、会社にだってあるとは限らないだろ? てか、あるって考える方が可能性は低い気がするけどな。警備員さんも巡回してくれてるし、やっぱり今となっちゃ最強なのが見通しのいいガラス張りよ。設置も難しいだろ」
ナツがコーヒーカップに入ったカプチーノを手に取りながら口を開く。
「そう思うよ、俺も。だけど絶対に鳴らないと思ってた不正アクセスの警告音が鳴ってから色々考えてたんだよ。M&Aの関係で、断ってもやたらしつこい会社があっただろ? ああいうのが案外危ないんじゃないのかなって」
「健司はそこがやってるって思ってんの? しつこいのは品川ゼミナールだよ。中規模の大学受験専用の進学塾だ」
「そんなしつこいんだ?」
ナツがコーヒーカップを持つ手の動きを止める。
「うん。一番しつこいのはそこ。正式に三回断ってる。まだ話は終わってない的な事言ってるけどな」
枝川は過去、買収や統合を持ちかけてきた会社やその規模を正確に覚えている。情報セクターのトップとして抜かりはない。だからナツは海外での新規事業に全集中できる。うちこそタスク管理が完璧だよ。
「でも俺らそこまでの技術持ってないよな。技術の会社じゃあるまいし、流出して困るような特別なスキルなんてないだろ」
「そうなんだよな。あるとすればアイデアくらいなもんかも。ナツが始めてるアメリカやオーストラリアの学生による幼稚園児のプログラミング教育とかな。提携幼稚園結構増えてきただろ?」
これは日本で成功し、Canalsの年商を大きく伸ばした仕事だ。それを原型に、今、海外でも始めている。
「まあな。でもそんな……なぁ。犯罪まがいのことしてまでうちの会社が欲しいもんかねぇ」
「今までも他がやらない事、幾つも最初に手掛けてきたから、うちの会社ごと子会社にしようとしてる、とか?」
俺はM&Aに対応している枝川に振ってみた。
「んー。わかんないな。でも買収話は他からもガンガンくるじゃん?」
「なあ、健司。なんか不審に思うこととか、心当たりがあるんじゃないの?」
ナツの言葉だ。
「なんでそう思うわけ?」
「いや、すぐ盗聴器なんて突飛な心配し始めるし。M&Aじゃないか、とか。でもお前のそういう野生の勘みたいなのって妙に当たるからな、昔から」
「自然児だよな」
枝川も同意して笑う。
「でもぶっちゃけ、確証がなくてまだ言いたくないんだろ? なんか考えがあって自分のパソコン、多目的ルームに置く事にしたのかな、って思ってさ」
つき合いが長いぶん、ナツは俺の言動に鋭い。めちゃくちゃ鋭い。
「んー……」
正直、返答に詰まる。
「警備員もいないしガラス張りでもない多目的ルームが、そこまで安全だとは思えないもんな。社員のIDカードで開くのはそれを持ってない外部犯には障害だろうけど、それはいつものフロアだって同じことだ」
「警備員、そっちにもまわしてもらう? それってできるのかな?」
ナツの言葉を受けて枝川が問う。
「いや、それは難しいし、とりあえずいいかな、って思ってる」
四十二階はほぼ無人だ。見晴らしがいいから応接室として使っている会社が多い。うちは天井までの間仕切りで内部がつながっている二部屋を借りている。ひとつは新入社員面談などの多目的ルームで、もうひと部屋が応接室だ。
Canalsオンリーのフロアにも応接はあって、そっちに人を通すことのほうが圧倒的に多い。こっちを使う時は、よほど機密性の高い案件や事情のある場合だ。
終業時間中でもほとんど人がいない。警備員の周回は極端に少ないと、ビル管理会社から説明を受けている。
「……何で多目的ルームにお前のパソコン? 俺のだって同じ情報が入ってると思うけど、俺のはいいの?」
「んー……」
枝川の問いに、今は簡潔に答えられない。
そこで助け舟を出してくれたのがナツだ。
「いいよ、健司。思った通りに動けよ。この件は健司に任せよう。な? 枝川」
「……了解」
腑に落ちない表情ながら、枝川も俺を信用しての答えを返してくれた。信頼関係に感謝しきりだ。
「名簿だのこれからの新規事業だの、流出させちゃ困るものに関して、俺ができることある? もっとブロックかけたほうがいいよな」
ナツは会社が今の規模になってからはデジタル統括に関わりがなく、新規事業の立ち上げに忙しい。ラグビーでいえばナツたち新規事業の開拓は攻め、デジタル統括は守りだ。思いつけば誰でも攻めにまわれるのがうちの会社の強みかもしれないけど、ナツの提案事業は実際多い。
「二人とも一応、できるだけパソコンは持ち歩いて。あとパスワードの変更もしょっちゅうな」
「了解」
「おー」
解散したのが午前四時近くになっていた。ナツは枝川を家まで送って行き、そのあと自宅に帰る。大学卒業当時、ナツはヨットをやっていた都合上、葉山に住んでいた。だけど、事情があって都内にマンションを借りた。今回みたいな事態はそうそうないだろうが、やっぱり何かあった時は近くてありがたい。
数時間眠って出社する。さすがに眠い。めちゃくちゃ眠い。
浅見さんに何杯コーヒーをお願いしてしまったことやら。いつもは自分で飲みたいときに勝手に淹れるけれど、俺の足取りが危なっかしいらしく、今日はわたしがやります。と宣言された。
実のところ、足取りが危なっかしいのは〝寝不足だから〟は一因に過ぎない。
「はい。副社長」
「あ、ありがと」
デスクの上にマイカップのコーヒーを置かれる。
「浅見さん、この間言ってた、海外事業部からのコードの要請だけど。難しくてできない、って言ってただろ? あれ、やれそうだよ。こっちにまわして」
「あ、あれ、できました」
「えっ! すごいな。大変だっただろ?」
「……いえ。実は遅くまで残って四苦八苦してたら、月城さんが手伝ってくれました。そこだけは得意分野なんです、って言ってました」
「ええっ……ほんとに? めちゃくちゃ複雑じゃない?」
「わたしも正直びっくりしました。でもそれに似たコード作成が大学の卒論に使ったのと似てる、とかで。そこだけはたまたまできる、ってなんか強調してました」
「へえ、強調……」
「まあ、卒論がそれだったなら、そこだけできても納得ですけどね」
「そうだね……」
「失礼します」
浅見さんは副社長室から出て行った。
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