◇◇村上健司◇◇ 問題

「淹れてくる?」

「いや、今のでもうあったまったよ。サンキューな。早く話聞きたい」

「ソフトに自信はあるよ。社の情報だけは何がなんでも守らなくちゃ」

 デジタル統括本部のトップとしてそれは絶対だ。

 俺は社の機密情報、及び社員名簿に自作のセキュリティをかけた。万が一にも誰かが不正に情報にアクセスしようとした時に作動して防御し、流出を防ぐソフトだ。事が起これば俺のスマホに連絡がくる。


 既存のものも入れているけれど、そういうものはハッカーに研究され尽くしていると思ったのだ。まさかCanals程度の会社にハッキングを仕掛けられるとは思ってもいなかった。だから俺の猛勉強の時間は無駄に終わり、ソフトは永遠に活躍の機会はないはずだった。

「何に不正アクセスされたんだ?」

 枝川が聞く。

「社内名簿だ。うちの社員の名前、年齢、住所、電話番号に顔写真」

「流出してないのは確実なんだよな?」

 さっきの枝川と同じことを今度はナツが聞く。

「ああ、それは間違いない」


 二人も勉強はしているから、細かく見れば不正にアクセスされたこと、防御できていることは理解できるはずだ。けれど誰がやったかはわからない。

「社内の人間じゃないよな? 社内のパソコンからじゃないんだろ?」

「そう。社員のパソコンにまで不正アクセスのソフトを入れると、業務フローが重くなる」 

「だよな……。じゃあ社外の人間ってことか?」

 ナツが聞く。

「社外のパソコンからアクセスされたことは間違いない」

「うちが狙われたのかな? それとも無作為にアクセスしてたらうちのに引っかかった?」

 枝川が聞く。


「無作為にしちゃ、わりとピンポイントじゃないか? 確かにうちはまだ弱小ベンチャーだけど、今まで何度もM&Aで狙われてる。俺たちは必死すぎてその実感が薄いけど、加速度的急成長で、IPO(新規株式公開)できればそれも最短の部類だ。最近は雑誌の取材も増えてきた。目立つのかも知れない」

 月城と最初に会った時にも、Canalsを知っていた。しかもめちゃくちゃ褒めていて、キャリア採用の第一候補だと話してくれた。


「だけど、もし本当になんらかの意図があってうちの会社を狙ったんだとしたら、今後もそういうことが起こり得るかも知れないってことなんだよな? 健司」

 ナツが聞く。

「少なくとも社外からのアクセスは無理だと今回のことでわかっただろう。やるならセキュリティソフトの入っていない社員のパソコンを使う必要がある。でもそうすれば誰のパソコンからアクセスしたかがすぐにわかるし、それも難しい。みんなパスワードかけてるからな」

「オフィスがガラス張りでよかった。侵入はかなり難易度が高いだろ。こんなとこで役に立つなんてな」


 茶化すように枝川が薄く笑う。

 今のところ大事に至っていないこと、社員ではなさそうなところが、ナツと枝川の気持ちを少し軽くしているようだ。

「当面、社員にはこのことを伝えるのはやめよう。あと明日、緊急に役員会を開いて役員には認識しててもらう」

「そうだな。早い方がいいよな。午前中だ。リモートでもいいから出られる時間をみんなに申告してもらおう」

 早くも情報セクターの枝川が役員のスマホにその旨を一斉送信している。

 そこで俺はばばっと二つの事に思い至った。


 万が一これを仕掛けてきたのが超凄腕のハッカーだったりしたら……。狙われるのは俺のパソコンか枝川のパソコンかもしれない。社内名簿とは別に、社員から経営側の役員まで、詳細なデジタルデータをすべて網羅して管理しているのは俺か枝川のパソコンだからだ。

 でも、今のところ社員名簿だけで、そこにはまだアクセスされていない。

 サイバーセキュリティで外部からのアクセスが難しいとわかったら、直接このパソコンでパスワードを探ることになるんだろうか。そこまでハッカー事情に詳しくはないが。少なくとも外部からやるよりは難易度が下がる気がする。

「枝川、しばらくパソコン自宅に持ち帰ってくれないか」

「わかった。健司もそうする?」

「いや。俺は四十二階の多目的ルームに置いて帰る」

 ばばばっと思い至った事の二つ目だ。

「は? なんで? あっちはうちの警備員の担当外じゃーー」

 枝川が疑問を呈したところで、俺は人差し指で自分の耳をちょんちょんと差した。ふたりは息を飲む。俺の意図にすぐ気づいたのだ。盗聴器が仕掛けられている恐れがある。


「あっちのほうがガラス張りのここよりは安全か。健司は枝川と違って飲みに行くことも多いしな」

 ナツが不自然な間を作らずに返答してくれる。

「へへへー。だって俺もうすぐ結婚するしー。外で飲むより家がいいしー」

 枝川は大学時代からつき合ってきたサークル仲間のリカちゃんと同棲中。もう入籍も決まっている。

「聞いてねえっーつーの!」

 ナツよりは遅いけど、まだ二十六だぞ、枝川。どうして俺の周りはこう結婚が早いんだ!


「まあ、今どうのこうの言っても始まんないし、せっかく夜中に集まったからラーメンでも食って帰るかー。いや店やってねえかー」

 二人とも盗聴器があるかも知れないことを考慮し始めてから、いきなり話題と口調が軽くなっている。

 ナツがまた寒そうに両腕を高速でさすっている。よほど急いで来たんだろうな。だけどよくアウターもなしに外を歩けたな。

「俺んち来いよ。ナツんちも枝川んちも、家族や彼女に悪いからさ。こんな夜中じゃさ」

「俺、自分ちの車で来たぞ。夜中なら駐禁されないと思って」

「なるほどな」

 だからナツはそんなに薄着なのか。

「緊急の時のためにビルの駐車場、月極で借りといた方がいいかなー」

 そんな事を話し合いながら、俺たちは周りがガラス張りの廊下を歩きながら、ナツの車に向かった。これから作戦会議だ。

  

 俺のマンションに着くと、ナツは来客者用の駐車スペースに車を停めた。乗っているのは相変わらずランクルだ。親に買ってもらった初代は弟のものになったらしいけど、結局自分で買ってもランクルだ。

 話が話だから酒じゃなく、コーヒーにする。

「何がいい?」

「あ、それだよな。じゃ、カプチーノ」

 ナツが弾んだ声を出す。

「俺はカフェラテー」

 デロンギのコーヒーメーカーがCanalsの役員連中の間でちょっとしたブームだ。みんな忙しくて気がおかしくなりそうな時、美味いコーヒーが飲みたくなるらしい。誰が流行らせたのか、俺もごたぶんにもれず買った。いつでも美味いコーヒーが簡単に飲めるのはありがたい。


 ナツの家にも枝川の家にもあるはずだ。そして会社にも導入した。

 ダイニングテーブル兼で使っている十分な広さのあるローテーブルに、カプチーノとカフェラテを置く。そのあとに自分の分のカフェラテも。デロンギは店みたいなふわふわの泡が一瞬で作れる優れもの。

 ローテーブルのまわりをぐるりとグレーの布張りのソファが囲っている。枝ぶりの面白いでかいフランスゴムの木と、これだけの家具で二十畳近くあるリビングが埋まってしまっている。ソファにだけは金をかけた結果こうなってしまった。テレビは壁掛けだ。


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