◇◇村上健司◇◇ 邂逅 

 そこから使えるコード、プログラミング言語の話題に飛んだら、それはかなりニッチだろう、ってところまでをほぼ網羅している。この人すごいかも!

 ハッと気づき、月城が一番気にかけているだろうものを、テーブルの上に出した。名刺の箱だ。


「ごめんなさい。話に夢中になっちゃって。最初に渡すべきものでした。ジャケットに入れたままにしようかとも思ったんだけど、一度は取り出しちゃったから」

「いえ。ありがとうございます。でも、会社……そうなんですね。じゃ、はい、村上さんにも一枚。でも来週受ける予定の会社に受かったら、副業の時間は無くなるかもしれないですけど」

 月城は今返却した小箱の中から、蔓草の名刺を一枚、俺に差し出した。

「すみません。俺は今日、名刺持ってきてなくて」

 ばかばかばか! なんで俺は名刺を持ってこなかったんだ!

「そりゃそうですよ」


 月城がさらに砕けた笑顔を見せる。

 それにしても、こんなタイミングで月城が転職……。電報堂のSNS広告部門のチーフなんてCanalsが喉から手が出るほど欲しい人材。そのために髪まで切ってる俺。


 でも、電報堂は給料が高くて有名な会社だ。さすがに月城がもらっていたほどの給料は払えないだろうな。っていうか、どうしてそこを飛び出そうとする? そこまでして副業がしたいのか? それほど自分の腕に自信があるのか? それならなぜ、次の会社を、副業ができなくなるかもしれないほど忙しい会社を選ぶ? 


「月城さん。何を望んで転職を? 人間関係? ブラックだって噂も聞かないし、申し分ない会社でしょうに」

 俺の正体を明かすよりも、仕事上の好奇心の方が優って次から次へと疑問を口にしてしまう。


「簡単に言うとやりがいですかね。年収とかはそれほど。だって仕事に人生のかなりの時間を使うんですから、楽しくてやりたいことができる方がいいと思いません?」

「やりがい……それで転職を」


「絶対に入りたいって、狙ってる会社があるんです。若い企業でね。既存のやり方に全く囚われない方法で急成長してる会社なんですよ。他がやってないことをどうしてこういくつも思いつくのかな、ってくらい。調べてみたら、個人の裁量がすごく大きいらしいんです。それだけ個人を尊重してる会社ってことですよね?」


 どこだ、月城にそんなに褒めちぎられるその羨ましい会社は!

「月城さん。どこだか聞いちゃ……ダメですよね? そんな羨ましい……じゃなくて魅力的な会社」

「知ってるかなあ。IT業界でも広告業界でもないし、そこまで大きい会社じゃないんです」

「もし、よかったら。いや、よくなくてもぜひ、ぜひ聞きたいです、どこか」

 俺の食い付き具合がおかしかったのか、そこで月城は歯を見せて破顔した。

「面白いですね、村上さん。別に隠す必要ないですけど。村上さんが採用面接のライバルってわけじゃなし。Canalsって会社です。コングロマリット化してきてるように思いますけど、元は家庭教師の派遣会社です」


 俺は思わず片手で鼻と口を押さえた。

 うちの会社! こんな奇跡って、世の中に存在するのか? 

 手を離して軽く天を仰ぐ。

 脳に一気に血液が駆け上がり、咄嗟に鼻血が出るんじゃないかと慌てての行動かもしれない。言葉を失った。視界の色が鮮明になる。感激で涙が出てきてしまいそうだった。


 この場で立ち上がって「採用!」と叫び出したい衝動を堪える。

「えっ? どうしたんですか? 村上さん」

「いや……」

 俺の部署の採用で、責任者は俺だけど、最終面接は重役も揃ってみんなで決める。まさか俺がこんな場所で、一存で決めるわけにもいかない。スキルチェックもしていない。


 電報堂のSNS広告部門チーフの名刺を見せられ、さらに昔の月城の性格を知っている俺は、こんなところで他人相手に変な背伸びをする人種じゃないと断言できる。小学生時代は成績だって相当良かったはずだ。だから、ぜひうちに来てくれ! と思えるのだ。採用したいと。


 また会おうな、月城。最終面接のその場所で。その後は君専用のロッカーを用意するよ。最近オフィスを新しくしたから、ロッカーは静脈認証だぞ。

「頑張ってね。その会社も絶対に君を待ってるはずだよ」

「え? そうかな。なんですか、その謎の断言!」

「や、単純にそう思うの」

「ありがとうございます。そうだと嬉しいな」


 少しだけ小首を傾げ、ふんわりした笑顔になる。コーヒーを両手で囲うようにして取り上げ、そっと口に含む。喋り方が昔のまんまなんだよ。

 そして月城の態度は落ち着いていて、適度に打ち解けていて、なんというか……めちゃくちゃ感じがよかった。受け取るものだけ受け取ったらバイバイみたいな、ある意味それが当たり前の行動にもでないでくれるのが、再会にテンションの上がる俺には嬉しすぎる。


 おそらく月城が言うように、ダウンジャケットを先に取り違えたのは彼女の方なんだろう。美容院ではクロークを大きく開いて見せられたけれど、俺のダウンジャケットの他に黒い似たようなものはあっても、同じブランドマークのものはなかったと言い切れる。


 自分が悪いと感じて、こんな既知でもない男と楽しそうに喋ってくれているんだろうか。昔の性格を考えても、決して人見知りをするタイプじゃなく、むしろ誰とでもすぐに打ち解けていた。気を遣っているわけじゃなく、今でもこれが素?

 それにしても、これだけ喋っても俺が自分にとっての旧友だと、気付く様子がさらさらない。一度そこに考えが及ぶと、俺はあからさまに落ち込んだ。

 我が社が今まさに欲しい月城のスペックに引っ張られて、矢継ぎ早に話題を展開させてしまい、気づけば、小学生の時、同じクラスで仲が良かった月城一颯だろ? と今さら言い出しにくい雰囲気になってしまっている。


 そもそも俺の存在をまるで認識していないように見える。もしかして? と、頭の隅にも浮かんでいないらしい。そう考え始め、それこそ今さらだけれど、村上健司、とフルネームを名乗って反応を伺ってみたりした。



 ちょうどその時に、月城と目が合っていたけれど、その瞳に一ミリの動揺も疑念も浮かばなかった。

 落ちる。マジで落ちる。俺は明らかに急速に沈んでいき、月城に「どうかしましたか?」と心配される始末だった。

 それなりに仲がいいと、俺は自惚れていたのか? 人違い? いや、絶対にこの子は小学校時代の一時期を一緒に過ごした初恋の相手、月城一颯に間違いない。

 最後の最後、二人でスタバの外に出て、駅に向かう月城と逆方向に帰る俺は、別れる瞬間になってようやく気持ちを固めた。


「あのさ。もしかして月城さんって西越小学校だったんじゃない?」

 一瞬、月城はきょとんとしたように見える。数秒、間を置いてから「うん、そうです」

 と答えた。


「じゃあ、間違いない。もしかして……ってずっと思ってたんだけど、俺たち、小学校、五年、六年、同じクラスだった」

「え……? そんなはずない……」

 そこまで言っても月城は俺に思い当たっていないようで、さらに打ちのめされる。しばらく思いをめぐらせてから月城は、口にした。

「村上くん、っていたような気がするかも。ごめんなさい。わたし、昔のことってあんまり覚えてないタイプなんですよ」


 さっきまでとは打って変わった硬い表情で俺に会釈をし、駅の方に歩き出した。心なしか足早だ。月城の背中が俺を拒絶しているように感じた。

「え……」

 頬の違和感にそこに手をやると、なんと涙が伝った後で、俺は腰を抜かしそうなほどぎょっとした。


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