◇◇村上健司◇◇ 邂逅 

 話がはやい。そりゃそうだ。俺は何も失っていないけれど、月城の方は発注した名刺がごっそり消えてしまったんだから。手持ちの名刺がギリギリだったら月曜日からの仕事にだって支障をきたすかもしれない。


「良かったー! わたしの名刺見て電話してきてくれたんですよね? しかもちゃんと個人の方!」

「そうです」

「今、店に電話しようと思ってたの。でも話が早い。わたし、そちらのお宅の近くまで取りに伺ってもいいでしょうか?」


 声が、大人になっている。女子は、男子のように明確な声変わりがあるわけじゃないけど、記憶にある、あるいは自分で思い込んでいる月城の声とは違っている。

 当たり前だ。小学校卒業からもう十四年だ。


「家、遠いかな? 僕の家は〇〇なんだけど、遠かったら真ん中あたりで会っても」

「いえ。すぐ名刺がないと困るのはわたしの方なので、わたしが行きます。たぶん、最初に間違えたのもわたしだと思うし」


 そうだよな。月城が見知らぬ男に自分の家の駅名とか明かしたくないと考えるのは、当然の危機管理能力だ。


「じゃあ〇〇の駅の近くにスタバがあるんで、そこで。何時なら来られますか?」

「四時でどうですか?」

「了解。僕はえーと特徴として、身長が百八十。体型は普通です。あ、目印に一番派手なセーター……。ないな、どうすっかな、あ、キャップかぶってますね。白いボアのでダウンジャケットと同じブランドのやつ。店内でかぶってるやつなんていないからわかるでしょ」


 身長は二センチ盛った。

 そこでくすっと笑った気配がした。


「ありがとうございます。わたしは茶色いロングコートでいきます。白いタートルのセーターにワイドデニム。髪は長めのボブです。身長は百五十八です」

「僕、村上、って言います」

「村上さんですね。よろしくお願いします。月城一颯(いぶき)です」

 通話を切ってからニヤニヤが止まらない。

「ボブかあー」


 小学生の月城もボブっちゃボブだったよな。肩につくかつかないかの長さでとにかくサラサラしていたことだけを鮮明に覚えている。あんなに髪質がいいんだからロングにしたらさぞかし映えるだろうな。


 四時までまだ二時間はあった。俺は意味もなく1LDKのリビングに積んであった洋服を片付けようと手に取り……。

 いや下心とかじゃない。別に旧知の仲だと明かしたからといって、月城がいきなりこの部屋に来ることなんてあり得ない。


「ナツじゃねえんだからよー」

 チャラかった頃のやつを思い出し、片付け始めた洋服をもう一度ソファに放り出した。ちゃんと畳んであった洋服はばらけ、前の状態よりさらに乱雑になった。


 たかだかダウンジャケットの交換ごときで待ち合わせをスタバにしたのは、もちろんその後、話くらいはできると狙ってのことだ。

 電話で俺たちの接点を明かすより、会ってからの方が劇的だろう。

 わざわざスタバを指定した俺に月城は嫌な声音を出さなかった。まあ外で待っているのは寒いし、当然の判断に聞こえたのかもしれない。


 茶色いロングコートにボブ。スタバの入り口を抜けてきた時に、あの子が月城だとすぐにわかった。面影がしっかりある。

 ここのスタバはそこまで広くはない。俺はキャップを被り、入り口の正面を向いて座っている。多少店内を見回していた月城だけれど、待ち合わせの相手が俺だと認識するまでに数秒しか掛からなかった。だって白いボアキャップをかぶっているのは俺だけだから。


 目があった。俺は会釈をして合図を送る。

 月城の方も笑みを浮かべて会釈を返す。手にした巨大な紙袋に入っているのは、俺のダウンジャケットだろう。着てきた方が荷物は少なくて済む。だけどお互い親しくない他人のものだとわかっているにもかかわらず、着てくるほどデリカシーに欠けているわけでもない、ってことだ。


「すみません。たぶん間違えたの、わたしです。これですか? って聞かれて、肩のマーク見てそのまま、『はい』って」

 月城は俺にダウンジャケットの入った巨大な紙袋を手渡しする。立ち上がってそれを受け取り、四人がけテーブルの横の席に置くと、俺もその流れで月城のダウンジャケットが入った紙袋を彼女に手渡す。そこで店内での恥ずかしいボアキャップも外した。


「俺も同じ事言われてちゃんと確認しなかったんで。っていうか、貴重品には番号札渡すのに、上着は自己申告って雑ですよね」

「ほんとに」

 月城は腰掛けようとしない。このまま名刺だけ受け取って、出て行こうとしているのかもしれない。

「外、寒かったでしょ? 何か温かいもの飲んだらどうでしょう? ここまで来てもらったお礼に、俺、奢るんで」


 名刺を渡す前に腰掛けさせるぞ。

「そうですね。寒かった。じゃあちょっと飲み物買ってきますね。奢るとか、それは申し訳ないんで」

「いや、電車賃もかかっただろうし。ここは出させてください。何がいいですか?」

 俺は立ち上がり、向かいの席に座るよう手で誘導した。












「じゃあ、お言葉に甘えて。カフェラテで」

「了解です」

 カウンターに向かう途中、立ち止まって振り向くと、月城はコートを脱いで畳んでいるところだった。自分の腰掛けている場所の隣にそれを置く。ひとまずここでバイバイはないことに安堵する。

 警戒している様子もない。

 知ってしまったからなのか、俺にはもう月城が小学生の頃の初恋の相手にしか見えなかった。顔だけじゃなく、声も、表情も、態度までがあの月城の延長線上にあるのだとはっきり確信できる。

 でも、月城は、俺を見て、なんなら村上、という苗字を明かしてあるのにも、まったく思い当たっている様子はない。月城一颯(いぶき)なんて相当珍しい名前に対して、俺の村上健司は、この年代の男、上位百に下手したら入りそうなくらいありふれたフルネームだ。

 それでもちょっと寂しく感じてしまう。逆の立場だったら、苗字を知らずにいても今の容姿だけで俺は月城を認識できたような気がする。

 温かいカフェラテを買って、俺は彼女の前に置き、正面に腰掛けた。

 月城は小さく、ありがとうございます、と呟いた。

「村上さん、プライベートの方の電話番号にかけてくれて助かりました。ありがとうございます。察してくれたんだと思いますけど、副業してるんです。副業、本当はダメな会社なので、転職する予定なんですけどね。だから必要だったのは、どっちかといえば副業の方の名刺なんです」

「マジですか?」

 だって電報堂で、しかもこの若さでチーフ。相当に仕事ができるだろうし、年収だって高いはずだ。

「あ、名刺の会社名に反応しましたね?」

 月城はいたずらっぽい笑顔を見せた。

「そりゃ……。俺も一応、似たような仕事内容の部署で働いてるんです。あ、もちろん電報堂みたいな巨大企業じゃないですよ? 自分たちで立ち上げたベンチャーで。今、デジタルツールで会社全体の効率をあげたくて。ゆくゆくはAIも駆使したいし。絶賛勉強中なんです」

「わー。わたし、わりと得意分野かも」

「マジっすか」

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