◇◇村上健司◇◇ 邂逅 

いや、奥手で誠実だったわけではなく、言ってみればその逆。

スポーツや男友達を優先するあまり、好みのタイプで、かつ男の欲望を簡単に満たせそうな、軽い女の子ばかりを彼女に選んでいた。選んでいる女の子が女の子だから、彼女たちにしてみても、ナツはあとくされがなく都合がよかったのかもしれない。お互い様、の相手しか選ばない。


その結果、大学入学時にやつの元カノは、両手の指では足りないという側(はた)から見れば不誠実このうえない事態になってしまっていた。結局、ナツにとっての初恋は、一通りの体験が済んでいた大学一年。そのことに自分で気づいていなかった。

そして運命の大学入学時、その女の子と出会ってからのナツの変化……成長は凄まじかった。


ナツはその子のためなら、何度でも迷う事なく命を投げ出すだろう。

親友を根幹から変えた大恋愛を目の前で見てきた俺は、どこかで、今の彼女に対する気持ちは、ナツの恋愛に叶わない、と比べてしまっていたのかもしれない。

俺はナツのようなチャラい中高時代を送ったわけではなく、恋愛にはいつも真剣だった。だからそんな事は認めたくはない。


でも俺は、どこかでいつもナツが羨ましかったのかもしれない。俺にとってのそう思える相手も、地球上のどこかにいるような気がしていた。



「めちゃ純粋だったよなー」

 今朝の夢に出てきた初恋の女の子を思う。正直もう顔だってうろ覚えだ。でもあの頃のような透明で真っ直ぐな想いを、何人もの女の子と付き合ってきた二十六の男が、今さら持てるとも思えない。初恋とは、なんと貴重な現象だろうか。



今日は土曜日で会社は休みだ。大学時代に始めた家庭教師の派遣会社は創業から六年がたったが、最初の一年は右往左往に試行錯誤でほぼ収益化はできなかった。でも二年目からは年商が数十倍単位と加速度的な伸びを続けている。正直、自分たちが一番驚いている。


社長はナツだが、創業時のメンバーーー主にFORGAの面々および大学ヨット部と経済学部同期が多いーーが、やりたい事をみんなで精査して決めてきた結果ではある。その度にスタッフを臨時で雇い、ずっといてもらわないと仕事が回らなくなり正社員へ、の道筋をたどってきた。その時々のプロジェクトに詳しい人材をキャリア採用で取ってきた。その結果、今、社員は百六十人になり、現在はIPO(新規上場株式)の準備中だ。実現すればかなり早い上場らしく世間の話題にもなっている。


そして海外事業に力を入れるにあたり、ロサンゼルスに支社を置くことが決まっている。その融資をしてもらうのに、早期のIPOは必要なことだ。もろもろ踏まえて最近、一気に社員を増やした。


社長のナツはじめ創業時のメンバーは、いくつもの部や仕事を兼任している。

副社長である俺は、社を挙げて絶対に力を入れたいAIを含むデジタル統括本部の本部長兼務だ。高い給料を出してでも、優秀なデジタル人材を確保したいと考えている。


俺の秘書をしてくれている女の子、浅見さんの助言で、今日はその面接に合わせて髪を切りに行くことになっている。一歳年下の浅見さんはセンスもよく、事業以外のことでも気が回る。


「集まるのは超優秀な人たちですよ? こっちがふんぞり返ってて入ってくれるような人材じゃないんです。高い給料、って言っても、外資系大手の優秀人材がもらってるほどは払えないんですから!」

「で、なんで俺が髪を切りに行くの?」

「副社長のイケメンを生かすためです。この人と働いてみたいと思わせるためです。できる男に見せるためです」

「普通にしててもそこそこ自信あるけど」

「念には念を」

「はいはい」


 というわけで来週のキャリア採用に合わせ、俺は浅見さんお勧めの美容室をネット予約し、これからそこに向かう。


 いきつけの美容室じゃなく、南青山にある人気の店だ。普段使いの黒のダウンジャケットを羽織り、斜めがけカバンで店に向かう。


店につき、流線型のドアノブを引いて、おっ、と軽く息を呑む。

さすがにめちゃくちゃオシャレだ。森林みたいないい匂いがする。


いつも行っている店より格段に広く、美容師もたくさんいる。ヨーロッパの雰囲気を出そうとしているのかカウンター周りの壁は本物のアンティーク煉瓦を使っているようだった。横の棚には革張りの洋書がずらりと並べられている。誰も読まないだろうにただのインテリアだ。


「いらっしゃいませ」

 マネキン人形のように頭の先からつま先まで、一分(いちぶ)の隙もないメイクと服のコーディネートをした女性がにっこりと笑う。

「十一時から予約している村上です」

「はい。村上健司様ですね。そちらにおかけになってお待ちください。ただいま担当スタイリストが参ります。あ、お荷物をお預かりしましょうか? 上着もクロークに」

「ああ、はいよろしくお願いします」

「貴重品だけこちらのメッシュポーチに入れてお持ちくださいませ」

「了解です」


 俺はスマホと財布、家の鍵を店側が渡してくれた小さなメッシュポーチに入れ、斜めがけカバンは預けた。黒いダウンジャケットも脱いでマネキン姉さんに渡す。

 マネキン姉さんは預かった斜めがけカバンのぶんの引き換えとして、小さな番号札をくれた。


 その後、カウンター前のおしゃれなベンチに腰掛けて担当スタイリストを待つ。ものの数分でその人は俺の前にバインダーを持って現れた。

俺に似合いそうなツーブロックが上手い人を浅見さんがインスタで見つけた。それが目の前にいる彼で、今日は一番得意なカットをやってもらう。何やらそういう方法が一番うまくいくらしい。


「かっこいい、とかより、できれば、『できる上司』アピールしたいんですが」

 そのために来ているから一応注文はつけておく。腕を振るわれるあまりチャラくされたら元も子もない。

「えっ。それで僕を指名?」

「会社の女の子が探してくれたんです。うちの会社かなり自由なんすよ。まだ創業数年のベンチャー企業で」

「そうなんですね。今時の会社って感じですね。IT系ですか」

「じゃないけど。そっち方面にも力入れたくて、そっちに強い人をキャリア採用したいんです。優秀な人に来てもらいたくて」

「なるほど。で、一緒に働きたくなる上司をアピールしたいと」

「そんな感じです」


 もう全部ぶっちゃけてこちら側のコンセプトを伝えた。人気の人なら希望に沿った形の〝かっこいい〟にしてくれるはずだ。

担当美容師さんに導かれフロアに出る。カット台が十以上並んでいる。それぞれの椅子の前に置かれた白塗り枠の鏡は、テイストは同じだが大きさも形もそれぞれ違う。ここでもおしゃれ炸裂。うちのオフィスに取り入れたらどうだ?

カットだけに二時間をかけた。


「おおー」

 ブローまで終わり、美容師さんが背後に立って大きな手鏡を横に広げて見せてくれた時には、そうため息が漏れた。

「イケメン二割り増しでしょ?」

俺より年上だろう美容師さんがにっこり笑う。

「いやいや。五割り増しでしょ!」

 


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