「……ちいさい口」


「ン」



溺れてしまいそう、だ。


一瞬離れて、相良さんがそう呟いた隙に何とか息継ぎをしようともがいたけれど、だめだった。


咄嗟に彼の肩下に添えた手が僅かに震える。


「ふ、ぅ」


相良さんは私を軽く自分の方へと向かせているだけで、特別強い力なんて加えていない。

勿論拘束もされていない。なのに。

なのに離れられないのは、私が、離れたくないと

心の奥底では願っているからなのだろうか。



「——緩菜かんな


「っ」


名前を呼ばれて、唇と唇が離れたことに気付く。相良さんは名前を呼んだきり、惚ける私を綺麗なままの眸で見下ろしている。



「……ぁ」


キスの前の彼からの問いかけを思い出し、はっとした。



「知恵熱……ごめんなさい。ほ、ほんとうは年末——の事。何度も思い出していたら、熱を出してしまいました」



あまりにも情けなくて、視線を伏せて白状すると相良さんはそこでも沈黙を作った。


不安になって顔を上げると「それって」と相良さん。



「年末の事後悔してる、とか?」



「えっ!? いえ、そ」


そんなこと、ない。あるわけない。

確かに、本当は今相良さんにどう思われているのか、そういう所から始める予定だった。

そこをすっ飛ばして思わず『好き』と口走ってしまったから。



「俺今、阿部の許可なく口にキスしたけど大丈夫?」


「キッ」



ほほほ本当だ……!?


色々必死すぎて、嘘を吐いたから怒られての方に気が行ってしまったけど、


けど!!


一気に熱が上がり、後ろに身体が傾く。


それを相良さんが支える。



「悪い、俺もどうかしてるわ。年末・・は自制利いたのに」



新年早々阿部と会えてテンション振り切ったかな、と呟いているがそれすら聞き逃せない程私からしてみればとんでもないお言葉だ。



「今のノーカンで。阿部が後悔してないっつーなら、ん」



私から手を離して、膝に肘を立てて頬杖をつく相良さんが瞼を閉じた。



「えっ」


「して」



これでは、告白の時と同じだ。


相良さんはいつも、真っ直ぐ先に思っていることを伝えて、捕えて。逃げられなくして。

その後で私からの反応を待っている。


「……っ」



「熱出してる奴相手にすることじゃねーな。そもそもここ、阿部んちだし」



はは、と拳を握る私に柔らかく笑った相良さん。声だけを聞いて、表情は見なかった。



「俺も本当は、まぁ、『道に迷った』は嘘で。

これ渡すついでに阿部の顔見に来た」



いつから相良さんの手に握られていたのだろう。はい、と差し出されて私の手の平の上に落ちてきたそれは、初めて見る、


「鍵?」



「ん。俺五日の新年会の時には出張で、一週間帰って来ないから。俺の家のが会社近いし便利だったらどうぞーっていうあれ」


「さがらさんのお家の、鍵……」



私が目の前できらきらと輝くそれを見つめて零している間も、彼は黙ってこちらを見ていた。



「重かった?」


「重? いえ、嬉しい です。ありがとうございます」



「……因みに、鍵渡すついでじゃなくて、阿部の顔見るついでの理由がそれだった」



「え」


“一週間”。出張で、会えないのかぁって思ったさみしさの中で付け加えられた言葉。一生懸命咀嚼して、理解した後で相良さんの方を見たら、視線が交わらない代わりに赤く染まった耳が見えた。


こんな、大層な物が、私の顔を見るついで?



「……あと、今更だけど社用じゃない方の連絡先知りたい」



だめ? って。覗き込むような眸から目が離せなくて、でも心臓は痛いくらいで。私は、首を横に振るので精一杯だった。



「嫌だったらちゃんと言うんだぞ、“会社の先輩”とか関係なしに」



緊張でちょっと震える指先で連絡先を交換している時、相良さんが柔らかい声でそう云った。


私がさっき、電話に出た時過ったことを見透かされたのかと思った。


それはきっと、今相良さんが云った意味とは違うのだけど、それをどう伝えたら伝わるのか、思い付くより早く相良さんは何も言わずに私の頭を撫でた。



「あーーあ。一週間も阿部の顔見れないとか……しんど」



自分と違う大きな手の平と体温が心地良くて頭を預けていたら、そんなことを云う。



「実際この年末年始すら耐えかねて会いに来てるし」



はぁ、と溜息を吐く相良さんを見つめて、私も、と、今その話を聞いて一番に出てきた感情を重ね合わせる。



「あ。言っとくけど出張中頻繁に連絡しようとして今連絡先聞いたんじゃないからな」


「全然、私で良ければいつでも連絡してください……!」



ず、図々しかっただろうか。目を丸くしている相良さんに気が付いて、またおかしな、見当違いなことを口走ってしまったのではないかと慌てた。


相良さんは、ふきだして、「おー。ありがとな」と笑ってくれた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鎖がなくても逃げません! 鳴神ハルコ @nalgamihalco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説