君が優勝





一年前の二月。



『やっぱ好き』



相良さんが呟いたその言葉の経緯や真意など推測考えもせずそのままに受け止めて、困惑した。


それから一年、ゆっくりゆっくり時間を掛けて芽吹き、必然の如く零れ落ちるように伝えた私の『好き』は相良さがらさんのそれに比べてどれだけの軽さだっただろう。




————……




年末。仕事納め直前にそういう——告白、の機会があり、その時点でこの一年の力を全て使い果たしてしまった情けない自分は特別予定もない大晦日もぼーっとする身体と頭のまま画面の向こう、華やかなTV番組を観て過ごし、熱があることを自覚しながらお正月を迎えた。




「うみちゃぁん……」


元旦の朝、目が覚めて一番に思ったことは“そうだ弟が出掛ける前にお年玉あげなきゃ”だった。


今日も年越しの後炬燵でぐったりしていた私にいつの間にか帰って来て声を掛けてくれた弟はまた何処かへ出掛けると言っていたから。


赤地に花柄の半纏を羽織り詰まった鼻声でよたよたとリビングに顔を出すも、既に人の気配はなかった。

忙しいうみちゃんのことだ、年越しの後も合間を縫ってあけましておめでとうを言いに顔を出してくれたに違いない。それなのに余計な心配を掛けてしまったかも……。


剥がれかかったおでこの冷えピタを剥がしてから顔を洗って、少し悩んだ末また新しく貼る。自室から持って来た馬の描かれたお年玉袋を戻す為再度二階へ戻ると、社用スマホの画面が点灯したのが見えた。

気の弱い私は何だろうと不安を抱えて近寄り、手に取ると、一件の不在着信が入っていた。



相良 貴章たかあき



きっと、今、一番名前を見て心臓が痛くなる人の名前。


仕事の事かな何かあったのかな、新年の御挨拶、自分からすべきだったんじゃ——と、一瞬の内に上がる具合の悪くならない方の熱を冷まして、“会社の先輩”という最優先事項を理由に折り返しの電話を震える指先で掛けた。


プルルルル、と響く発信音が心拍数を上昇させる。


実際より長く感じたであろうその数秒の後、始めに外を感じさせる音が耳に届いた。



《 阿部? 》



「は、いっ あのっあけましておめでとうございます!」


勢いよく頭を下げると、一瞬の柔らかい間の後 《 明けましておめでとう 》と返ってきて。


どうしてか、心臓が、きゅう……と縮こまってドキドキした。



《 ごめんな、朝から。寝てた? 》



「いえ、さっき起きました」



《 そっか。俺今初詣の帰りなんだけど、阿部んちって○○神社の近くじゃなかった? 》



「はい。そうです」


そう答えた後、すぐには返事が返ってこなくて、声が小さくて聞こえなかったかともう一度口を開く。


《 ……った 》


「へ?」



《 道に迷った 》



「え!!」


目を見開き当の本人より慌てた私の頭の中は、こんな寒空の下道に迷ってしまったとは一刻も早く救出しなければの気持ちで埋め尽くされる。「今何処ですか! 何か近くに目立つ建物とか、電柱に何丁目とか……!」と必死で上ってきたばかりの階段を転びそうになりつつ駆け降り、ブカブカのサンダルに両足を滑らせ玄関のドアを押し開けた。



「……あ」



すると視線の先、スマホを耳に当てたままこちらを振り返った相良さんが目に入った。


私の目は今度は点になり、スマホは音を立てて玄関の石畳の上に落ちた。



「あ〜〜」



「良かっ……?」と零す私に駆け寄り、落としたスマホを無事だと拾ってくれた相良さん。玄関の段差の上に立ってもまだ全然彼の方が背が高くて見上げることになる。淡いグレー? ベージュ? グレージュ? のマフラーがよくお似合いだ。確かによく見ると鼻の頭は赤くて。初詣は混んでいただろうか、


綺麗な眸と目が合う。


スマホを受け取り、ありがとうございますが口端から零れる。


途端に自分の事を思い出し、汗が全身から噴き出す。



「えぁ……っちょ、っとお待ちくださ、私、とんでもない格好で」



既に一度心の中で謝罪したすみませんを声に出し、一歩後退った。


全身を一瞬で隠したい。辛うじて顔は洗っていたけれども本当にそれだけしかできていない。髪は梳かしてもなくてぼさぼさだし当然すっぴんだ。冷えピタも貼ってある。数えきれないくらいあるコンプレックスの内の一つ、そばかすは丸見え。派手派手な半纏姿だし、下もパジャマだし、サンダルだし……恥ずかしくって涙が出てきた。残念なことに、鼻水も一緒に。



「待て待て待て、ごめん」


相良さんは肩を掴んでそう謝ると、そのまま私を抱き寄せた。


混乱に混乱が乗じる中、真っ先に気になったのは鼻水が相良さんの良質なダウンに付いてしまいそうだということ。私は瞬時に相良さんと自分の鼻の間にスマホを持ってない方の手の平を差し込んだ。



「あー……っと、何から言ったら良いのか……。取り敢えず阿部、全然『とんでもない格好』じゃないから大丈夫。半纏? 可愛い」



上半身を占める慣れない重さに埋もれながら、一番にそれを云う甘い相良さんに身動きが取れずにいる。



「それでも阿部が気になるなら見ない。つうか、体調悪い……よな? 本っ当にごめん。頭になかった」



そんなの、相良さんの頭になくて当たり前の事だ。知らなかったのだから。

気にすることでもない。


もっと悪い私は、今の体温に心地良く感じてしまう程冷たくなった相良さんの方が気がかりで。



すると、身体が宙に浮く。


「えっ!?」



「家、入って。俺は帰るから」


私を抱き上げ片方の手で玄関のドアノブを握る。それにもびっくりだけど、気にすると思って顔を見ないようにしてくれていることが伝わった。


「お家の人は?」


ドアを開けながらそんな風に訊くから、自分は抱っこされているしで何だか小さな子に対する警察の方みたいだと呑気に笑みが溢れた。相良さんの方が道に迷っていたとは到底思えない。


「阿部?」


すぐに答えられなかったから、見上げられてハッとする。


「あっ今日は出払っていて」


抱っこ、すみません、ありがとうございます! と思わず敬礼なんてして玄関先に降ろしてもらった。容姿のことは一旦諦め手放す。私が今更気にしたところで小綺麗にしたところで、相良さんに謝られるほどのものでもない。それを天秤にかけたら。



「……元気?」


小さな沈黙が明けて、問われる。見上げる私は「はい、元気です。これはその、所謂知恵熱で。咳等もなく風邪ではないので、感染るようなものではないのでご安心ください。昔からたまに出るんです」と元気をアピール。


相良さんは一度ちら、と家の奥に目を遣ったかと思えば「何で知恵熱?」と私を見下ろした。



どき、と心臓が変に弾む。


なのに目が離せないのは、相良さんが澄んで目を奪うからだろうか。



「ええと、一年分の安心? ですかね」


へへ、と微笑って、相良さんを立たせたままなことにまたハッとして、玄関先の隣を手で叩いた。


「良かったらこちらにお座りください、年末少しずつ大掃除もしていたので汚れてはいないかと」と恐らく余計なことまで付け加えて「何か温かいものでも」と立ち上がろうとした。



「お構いなく」


手首を引かれて振り返ると、腰を下ろした相良さんが迫る。


「何で知恵熱?」



もう一度。


訊かれて、「一年ぶんの、あんしんで……」と繰り返す私は大馬鹿者だ。



相良さんは嘘を吐いた私の唇を塞いだ。

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