第三十話 〈熾天使〉

 再び意識を取り戻し、目を開けた時。ミユキの眼前には星空の中に〈熾天使セラフィム〉が悠然と佇んでいた。

 赤色の左目とで周囲を確認しながら、ミユキは呟く。


「……そこにいるんだな?」

『【ああ。私は、ここにいる】』


 脳内に直接響くのはユウキの声だ。それと重複して、通信機からも彼女の声は聞こえてくる。


『え? ユウキ!? どこにいるの!?』


 いち早く驚愕の声を上げたのはレツィーナだった。彼女の疑問にラプラスが答える。


『アレスシルト大尉は現在、ミユキの中に存在している』


 『……どういうことだ?』と、アレンの声。しばらく考えた後、ラプラスは続けた。


『一度光になったミユキは、〈熾天使セラフィム〉の中で同じく光となっていたアレスシルト大尉を救出した。だが、実体情報――つまり人間の身体を喪失したアレスシルト大尉は、現実世界に実体として存在することはできない。かといって、俺の中に存在させるにしても、一度〈天使〉から情報を引き離す必要がある』

『【簡潔に言うと、私はミユキの身体を借りて〈熾天使セラフィム〉から脱出したということだ】』

『それで、今もそのまんまミユキの中に居るってことか?』

『【ああ。その認識で合っている】』

『……マジか』


 思わずアレンは呟いていた。

 ……まぁ、今の状態はとても現実的とは言い難い状態なのだ。彼らの困惑も無理はないだろうとミユキは思う。

 とりあえず事態はおおかた飲み込めたのだろうと判断したらしい、ユウキは目の前の問題へと話を移す。


『【現状は奴の中でおおむね把握している。〈天使〉の最高中枢拠点の撃破が目標だな?】』


 ミユキはこくりと頷く。精神レベルで融合している二人は、当然思考も共有している。


『【今の状況を打破する方法は唯一、あの漆黒の円の中に存在する十字架を破壊するしかない】』

『けど、どうやって……?』

『【策はある。以降の指揮は私に任せてくれるか?】』

『ああ』

『もちろん』


 二人の応答に微かな安堵を示し、ユウキは言葉を続ける。


『【察しの通り、〈天使〉たちの最高中枢拠点はあの黒い円の中にある十字架だ。あそこを介して〈天使〉は人類の同化命令を受信し、各方面への侵攻を行っている】』


 〈熾天使セラフィム〉の直下、漆黒に染まる円形の中には、十字架状のナニカが異様な存在感を放っている。あれが、〈天使〉の根源――三十年近くに渡り人類を消し去り続けてきたものの正体だ。


『【ここが時空の圧縮された空間で、あの黒い円が別次元への扉だということは知っているな?】』

『ああ。ここに来た時に俺が話した』


 ラプラスの言葉に続くようにして、三人は無言の肯定を返す。同時に、ミユキは脳内でその黒い円は暫定的に〈門〉と呼んでいることも伝えた。


『【私たちが上位次元には行けない以上、あの黒い円――お前たちの呼ぶ〈門〉へは手出しができない。だが。〈熾天使セラフィム〉を撃破できれば、どうにかできる隙が産まれるはずだ】』


 言われて、ミユキたちは視線を〈熾天使セラフィム〉へと振り向ける。〈門〉の直上。二枚の羽根を失った〈熾天使セラフィム〉は、特に目立った行動をすることも無くそこに悠然と佇んでいた。動きに細心の注意を払いながら、ミユキたちはユウキの提案に耳を傾ける。


『【奴はこの世界の〈天使〉の多数を束ねるという性質上、撃破された際に放出される情報量が桁違いに多い。そしてその際、あの十字架は〈熾天使セラフィム〉が放出した情報を吸収しようとこちらの世界に出てくるはずだ】』

『こっちの世界に来るって確信はあんのか?』


 アレンの問いに、ユウキは苦笑したように笑う。


『【奴のの中で色々と見せて貰っただけでな、具体的な数値等や根拠は一切提供できない】』


 けれど、と。ユウキは真摯な声音で続けた。


『【現状を打破するにはこれしか方法がない。……私を、信じてくれ】』


 しばしの沈黙。ミユキとユウキが固唾を飲んで見守る中、最初に声を返したのはレツィーナだった。


『ホントに、他に手段はないの?』

『俺の方でも幾つか演算してみたが、現状の戦力では他に手段はない』


 キッパリとラプラスが言い切る。時空に関しては魔導である程度の改変は可能だが、次元は深層意識野に関連しないという性質上まず魔導で扱えるものではないのだ。文字通り次元が違うために、一切の介入ができない。

 一呼吸間を置いて。レツィーナが吹っ切れたように呟く。


『……わかった。なら、ユウキ。私はあんたを信じる』

『【ありがとう。……アレン、お前は】』

『断ったところで他にやれることがねぇしな。……俺らは、何をすればいい?』


 こちらも吹っ切れたような口調で訊ねてくる。二人の信頼のこもった声音に、ミユキとユウキは心が暖かくなるのを感じていた。

 気持ちを切り替え、精神を再び戦闘態勢へと戻す。各種の一時強化ブーストを予備起動。


『【二人は引き続き翼の破壊を頼む。ミユキ、お前は】』

コアの破壊だな? わかった」


 ――勝手に人の心を読むな。


 脳内に浮かんできたのはそんな言葉だった。

 読むな、と言われても。勝手に流れ込んで来るんだから仕方ないだろうに。

 呼吸を整え、精神を集中させる。右手で〈魔導剣ダインスレイヴ〉を構え――


『【各員、行動開始!】』


超加速ブースト起動】


 その声と共に、ミユキは最大速力で〈熾天使セラフィム〉へと突っ込んだ。

 戦闘適応処置と飛行魔導の速力をともに八〇〇%で一時強化ブーストし、視界に映る光線と〈熾天使セラフィム〉の動きが遅くなる。重ねて見えるのは、〈D-TOS〉によって算出された異次元転移痕てんいこんの予測発生情報だ。


 魔導盾シールドで迫り来る光線を相殺し、防御不可能な高貫通の光線を〈魔導剣ダインスレイヴ〉で斬り伏せる。〈魔導拳銃リジル〉の射線を光線に合わせ、発射。放たれた光線は〈熾天使セラフィム〉の光線と激突し、空にいくつもの鮮やかな爆炎を咲かせていく。


 左の上空では二丁の〈魔導銃レーヴァテイン〉を駆使して戦うアレンが、左の上空では同じく〈魔導銃レーヴァテイン〉を両手で構え、四つの機動兵装を自由自在に駆け巡らせているレツィーナの姿が見える。二人が注意を引いてくれているおかげで、ミユキに降り注ぐ光線はまばらで、異次元転移痕てんいこんの数も少ない。……これなら、〈熾天使セラフィム〉の懐に飛び込める。


 全速力で肉薄する傍ら、ミユキはほとんど全ての魔導を出力限界ギリギリで起動しているのに痛みがほとんどないことに気付く。

 疑問を口にするより先に、思考を読み取ったユウキが答えた。


「【精神レベルで融合している私たちは、擬似的にではあるが私とお前で二人分の意識と脳内容量が発生している】」


 ――じゃあ、今のおれはいつもより二倍の魔導使用ができるようになってるってことか?


「【その認識で間違いない】」


 ……自分の身体のことではあるが。我ながら凄いことになっているんだなと今更実感する。


 眼前に迫る巨大な一つ目が、きらりと不気味な閃光を瞬かせる。それを視認したのと同時に、ミユキはほとんど直感だけで右上へと進路をずらしていた。

 直後、元いた位置に極太の光線が通り抜ける。

 その光線は時空の歪んだ空間を通り抜け、外の通常世界まで到達。数秒ののち、後方で大きな爆発音が鳴り響いた。


『おいおい、空母が一撃かよ……?』


 ラプラスが驚嘆の声を漏らす。どうやら、今の爆発音は船が爆沈した音らしい。あそこにいた空母はどれも三〇〇メートルはあって、距離は時空の歪みを計算のうちに入れると四〇〇キロはあったから――


「……やばいな」


 思わず呟いていた。恐らく、ユウキが脱出したことによりあらゆる攻撃が自由に繰り出せるようになったのだ。〈智天使ケルビム〉の放つものの威力からある程度予想はしていたが……。まさか、これほどとは。

 とはいえ、ここで躊躇しているような時間は残されていない。いくら戦う力があるとはいえど、〈D-TOS〉の使用時間には限界がある。出力をギリギリまで上げているのもあって、残存の戦闘可能時間は十分ほどしかない。


 緊急停止していた一時加速ブーストを再び起動し、今度こそ〈熾天使セラフィム〉にとりつく。〈魔導剣ダインスレイヴ〉を瞳の中央に突き刺し、開いた傷口に最大出力の〈魔導拳銃リジル〉を接射。灯る光線の爆発を煙幕にして後退する。


『左下の羽根は潰した! レツィーナは!?』

『こっちも何とか右上の羽根は潰せたわ!』


 ……これで、奴の放つ雨のような光線は二万程度にまで減ったわけだ。その中でも高貫通のものはだいたい半分程度。これなら、いける。

 そんなミユキの心情を知ってか知らずか、ユウキはいつもの冷静な声音で指示を送る。


『【コアの防御が思ったよりも硬い。二人とも手を貸してくれ】』


 返ってくるのは、二人の『了解』という声。


『【ラプラスは光線の予測演算機能を一五%低下させ、その分のリソースを〈熾天使セラフィム〉の構造解析に回してくれ。最も有効な場所に打撃を与え続けて、戦闘時間の短縮を図る】』

『了解。……当たるなよ?』


 ラプラスの問いかけに、ミユキはこくりと頷く。


「ああ。分かってる」

『【では、いくぞ】』


 ユウキの言葉を掛け声にして、まずはアレンとレツィーナがあえて前進。両翼から放たれる光線の注意を買いつつ、コアへと全砲門を斉射する。大小計七門の光線は誤たずに〈D-TOS〉の示す位置へと着弾。爆発の光と同時に、抉られた傷口から白い光が漏れ出て来るのが見えた。

 だが、〈熾天使セラフィム〉とてやられるばかりではない。最も厄介だと判断したらしい、一つ目がきろりとレツィーナの方向を向く。


『なっ……!?』


 という悲鳴を最後に、外側へと離脱していたレツィーナは突然金縛りにあったのかのように動かなくなる。


【レツィーナ・レルヒェ少尉の精神接続クロッシングに問題発生。接続阻害および精神侵入の形跡あり。危険度S】


『【ちっ……!】』

『クソッ! 精神侵入をレルヒェ少尉に集中させやがった!』


 ラプラスが必死に抵抗を試みるが、防護プロテクトの対応は全く追いつかない。見かねたアレンがレツィーナを抱きかかえてその場を退避して――――直後。二人の居る地点に極太の光線が突き刺さった。


「っ――!?」


 その光景を、ミユキは視界の端で捉える。けれど、足は決して止めない。

 きっと前を睨み、まだ晴れない爆炎と白光の中へと突き進む。〈魔導拳銃リジル〉の射撃で爆煙と光を纏めて吹き飛ばし、見えた傷口の一端、〈D-TOS〉が指し示す最大加害点へと〈魔導剣ダインスレイヴ〉の刃を叩きつける。 

 手に感じるのは、肉を裂くような確かな手応え。


 命の危険を察したか、〈熾天使セラフィム〉は自分の身体を傷つけるのも厭わずに両翼から光線を撃ち放ってくる。

 アレンとレツィーナの援護は期待できず、かといって魔導盾シールド等の防御魔導を展開するような時間もリソースもミユキには存在しない。両脚に、両腕に、頬に、脇腹に。あらゆるところに光の弾丸が突き刺さり、ミユキの身体を抉りとっていく。その度に激痛が走り、集中力が途切れそうになる。けれど。ミユキは前に進むのを辞めない。全身に光の槍を受けながらも、前へ前へと剣を突き進める。


「【いけ! ミユキ! こいつの心臓をたたっってやれ!】」


 脳内にユウキの叫び声が聞こえる。自分の両腕に彼女の腕が重なっているような――気がした。

 遂に〈熾天使セラフィム〉の光の体を抜け、刃は極彩色の正八面体――コアに到達する。最後の力を振り絞り、大きくかぶりを振って。



 直上から、コアを真っ二つに叩き割った。



 割れた壁面からは、目を焼くような白い極光が滲み始める。全速力で〈熾天使セラフィム〉の体を退避して――

 一つ目の外に出たところで、光は臨界点に達した。

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