第三十一話 最期の刻

「やった……のか……?」


 まぶたの下で白い閃光を見ながら、ミユキはぽつりと呟く。

 後退のさなか、白い光はどんどん勢いを増し――そして急速に薄くなっていく。目をく光がなくなったところでまぶたを開け――見えた光景に唾を飲み込んだ。


 コアが砕け、全身の光子結晶が粉々になって光の粒と化していく〈熾天使セラフィム〉。その光が流れていく先、光の直下では、漆黒の〈門〉から十字架状のナニカがせり上ってきていた。

 なんとも言えない緊張感の中、ユウキの冷徹な声が脳内に響く。


『【ラプラス、あの十字架の次元情報は】』

『ビンゴだ。大尉の読み通り四次元に展開してる』


 そう言って〈D-TOS〉に表示されたのは、急速に数値を上昇させている様々な観測値だ。せり上った十字架が〈熾天使セラフィム〉の光を飲み込むにつれて、観測値はどんどん上昇していく。表示されている桁は急速に増大し続け、時空の歪みを更に高めていく。

 その様子を、ミユキたちは固唾を飲んで見つめていた。


「……ユウキ、あれ」

「【光を吸収し終えた時が勝負だ。……アレン、〈魔導銃レーヴァテイン〉をミユキに】」

『了解』


 と、近寄ってきたアレンが小銃を投げ渡してくる。それを片手で受け止め、弾倉を確認。残弾数は一。

 ……ほんとに?


「アレン、弾薬って」

『すまん。もう尽きちまった』


 言い終える前に首を横に振られた。視線をレツィーナへと向けると、彼女は曖昧な表情で笑いかけてくる。


『私も同じく』

「……そっか」


 どうやら、もうこれ以上の継戦は不可能らしい。もし外してしまったどうしようと考えかけて――ユウキにその思考を遮られた。


「【どの道二発以上を放てるような時間的猶予はない。……私が照準を担当する。お前は私の合図で引き金を引け】」

「わかった」


 短く、応答する。


【〈魔導剣ダインスレイヴ〉停止。〈魔導銃レーヴァテイン〉起動。出力を一二〇〇%で固定】


 右手の剣をさやに納め、幻の熱を帯びた〈魔導銃レーヴァテイン〉を両手で構える。

 その間にも、〈熾天使セラフィム〉だった光の粒子はどんどん十字架へと取り込まれていく。奴が取り込んだ人々の情報をそのまま携えて、文字通り異次元のナニカへと消えていく。

 遂に最後の光の粒子を取り込んだ十字架が、突然、天空へと向かって極光の柱を形成する。直径三〇〇メートルはあろうかという半透明の巨大な柱は、星空のはるか彼方まで続いていて。ミユキたちはものすごく嫌な予感を感じる。


 背後から救援に向かってくる爆撃機はそのことごとくが〈天使〉の猛攻に晒され、虎の子の核ミサイルを発射することなく海面へと激突していく。

 艦艇から発射されるミサイル群は大型の〈天使〉が身を呈して防ぎ、他の魔導士による遠距離射撃にも、柱は傷一つつかない。


 やはり、と、ユウキが重苦しい声音で告げる。


『【やつは大気圏外へと飛び立ち、そこで光点こうてん爆発を起こすことで今この場にいる全戦力を纏めて消し飛ばすつもりだ】』

『はっ!?』

『なんですって!?』

『……マジかよ』


 光点爆発。今から三十年前に、この地点で起きた爆発のことだ。〈天使〉の体を構成する光子結晶を自ら膨大なエネルギーへと変換し、全てを破壊する爆発へと変える現象。

 この場には人類の総戦力が集結しているのだ、そんなものがここで起きたらひとたまりもない。


 驚愕する一同の声を傍目に、ミユキの心はどこまでも凪いでいた。

 ユウキと一緒なら、どんな困難も受け止められる。そんな気がした。

 光の柱の中でゆっくりと空に向かう十字架を捕捉しながら、ミユキは問う。


「あれを撃てばいいんだな?」

『【ああ。それしか術はない】』

「わかった」


 短く応答して。ミユキは視覚と神経系に残りの脳内リソースを全て注ぎ込む。研ぎ澄まされた意識が世界を遅延させ、強化された視覚が天に昇る十字架をより鮮明に捉える。

 光の中にいてもなお、白く輝く十字架。異次元に存在する、〈天使〉の統御機関。


『【ラプラスの演算機能を全て狙撃関係の計測に使用する。アレンとレツィーナの飛行魔導以外の使用権限をロック】』


 瞬間、ミユキの視界には膨大な数の予測射線が表示される。十字架が空に近づくにつれ、半透明の予測射線は数を減らし、一点に終息していく。

 ――そして。最後の二つが一点に合わさった。その時。



「【撃て!】」



 ユウキの声が、脳内に響いた。



 即座に、撃発。



 ミユキの持つ〈魔導銃レーヴァテイン〉から蒼白の光線が発射され、それは真っ白な軌跡を描いてただ一点に直進していく。

 白い柱の中で、十字架が加速度的に速度を増して空へと近づいていく。呼応するようにして、蒼白の光線も斜めに空へと軌跡を描いていく。

 そして。蒼白の光線と白い柱が交錯し、貫通する、その時。

 十字架が、光線の射線へと入り込んだ。



 瞬間。異様な爆発音が周囲に響き渡り。

 ミユキたちの視界と意識を、しろい光が焼き尽くした。




  †




 真っ白な視界とぼやけた意識の中で、ミユキは聞きなじみのある少女の声を聞く。



 ――あの時、この身体を失わなくてホントによかった。



 その声に、ミユキの意識が少しだけ覚醒に向く。目の焦点が僅かに合うようになり、目の前に一人の人間の姿を形作る。

 


 ――こうやってもう一回会えるだなんて、思わなかった。



 見えてきたのは、ミユキと同じ濡羽ぬれは色の長髪をハーフアップで纏め、優しい緋色ひいろの双眸をにこりと細める少女の姿だった。身長はミユキの胸元ぐらい。 

 彼女の姿を認識した瞬間、胸がどくんと高鳴った。

 その髪色、その瞳の色、そしてその声。

 間違うはずがない。忘れるはずのない。大切な大切な、守らなければならなかった人。


「……キルシェ」


 キルシェ・ヘルフェイン。

 五年前、故郷が襲撃に会った時に目の前で〈天使〉に同化された、ミユキの罪の象徴が。

 守れなかった妹が、そこにはいた。

 目を見開くミユキに、キルシェは相変わらず優しい緋色ひいろの瞳で微笑み続けている。



 ――ありがと。私を想い続けてくれて。私を最後まで守ろうとしてくれて。

 ――お兄ちゃんが、街のみんなが私を忘れなかったから。私はここでもこんなに鮮明な形でいられたんだよ。



 何か言わなければ。そう思うのに、ミユキの喉は言うことを聞いてくれない。口を開けても、言葉が出てこなかった。

 キルシェはコロコロと表情を変える。が、その顔はどれも嬉しそうに微笑んでいて。それがより一層ミユキの心を騒ぎ立てる。

 視界が再び白くなり、意識に霧がかかりはじめる。



 ――もうお別れか。思ったよりはやいな。



 きょとんとした表情でそう言うと。キルシェはミユキに向き直ってくる。



 ――私を想ってくれてありがとう。それと、さよなら。



 待ってくれ。まだ、おれはお前になにも。

 手を伸ばそうとして――やっぱり身体が言うことを効かない。どんなに動かそうとしても、身体は全く動かない。

 キルシェは肩を竦めたように笑う。



 ――謝らなくていいよ。私は、お兄ちゃんを恨んだりなんかしてないから。仕方のないことまで背負う必要はどこにもないんだよ。



 視界が、意識が更にぼやけていく。笑うキルシェの輪郭が見えなくなり、意識が途切れ途切れになる。

 必死に声を、身体を動かそうともがくけれど、どちらも叶わない。



 ――、幸せにね。



 そして。

 その言葉を最後に。

 ミユキの意識は再び白い世界に溶け落ちた。

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