第5話
「
息を切らせながら、負傷した彼女を背に庇うように立ちはだかる。
「お願いします! 私の大切な人を助けてくださいっ!」
蝶の顔を認識できるわけがないのに、不気味な笑みが広がったような気がした。
「紫純琥珀蝶様っ」
地面に滑るように近づいてくるその姿に、背筋が凍りそうになる。
私の記憶を喰らうことで、彼らは生きながらえるつもりだ。
そう感じた私は、来栖さんを庇うために蝶の攻撃を受けようと覚悟を決めて瞳を伏せた。
「は、はっ」
記憶が失われるのを覚悟したその瞬間、銃声が闇を裂いた。
「間に合ったか」
私の視界に現れたのは、黒いコートを羽織った青年。
彼の瞳は鋭く、まるで闇そのものを見透かすような光を宿している。
「悠真、様っ」
銃を構えたその姿は、静かでありながらも圧倒的な存在感を放っていた。
彼の動きに迷いはなく、蝶の動きを封じるために次々と銃弾が飛ぶ。
「もう大丈夫だ」
彼の背中を見て、希望の灯がともるのを感じる。
「遅い」
引き金を引くと、一発の銃弾は蝶の中心を貫く。
彼は息を整えながら、冷静に弾丸を装填する。
(これで……助かる……)
足の痛みで意識を失ってしまった来栖さんに目を向け、まだ彼女の息があることを確認する。
(早く治療をしないと……)
蝶は悠然と空を舞いながら、悠真様の動きを見極めていく。
蝶の目が冷たく光を放ったようにも思え、その優美な姿に不似合いな恐怖に体が震えそうになる。
それでも、私は手にぎゅっと力を込めて、恐怖に打ち勝つために強く意思を持った。
「終わりだ」
息を切らせながら、彼は拳銃を静かに下ろした。
「悠真様っ」
別行動をしていた私たち。
私の視界に彼が映り込むはずがないのに、その人は私の中に入り込んでくる。
「人のことを化け物みたいな目で見るな」
「そんな
風に揺れる竹林の音がやけに耳をざわつかせるけど、そこに存在するのは間違いなく
「どうして、ここにいらっしゃるのですか……」
「それよりも、和奏の治療の方が先だ」
「結葵、足は痛くないか」
「自分の足で、歩けます」
「いい答えだ」
私が不安なときに必ず駆けつけてくれるのは、たとえ偽りだとしても私たちが恋仲という関係にあるからかもしれないと自惚れる。
「北白川の屋敷を借りるしかないか」
来栖さんを背負った悠真様と、朱色村の案内を任されている私は必死に村の中を駆けていく。
来栖さんが絶対に助かると信じ、無我夢中で北白川の屋敷を目指す。
「こちらです、悠真様」
私たちは、少し足を速める。
そうしたところで、視界に入って来る景色に変わりはない。
田舎道は、田畑と舗装された路が続いていくだけで代わり映えしない。
私たちの足音以外の音が聞こえてくるわけでもなく、何も変わらない。
でも、足を速めれば少しは早く北白川の屋敷へ辿り着くことができると期待した。
「初がいれば……」
仲間が一人欠けていることが、私の不安を煽っていく。
「悠真様、どうして初さんがいらっしゃらない……」
曲がり角を幾度も繰り返し、北白川の屋敷に向かっていたはずだった。
ふと振り返ると、先ほど通ったはずの場所が目の前に現れる。
「初に、裏切られた」
村の景色が、私たちを翻弄していく。
現実と幻の境界が曖昧になっていくかのように、同じ景色が繰り返される。
「どうし……て……」
木々の葉がゆらめき、その陰影は私たち二人を嘲笑っているように見えた。
「油断したら、この有様だ」
月明かりが、彼の腕を照らす。
背負っている来栖さんを落とさないように、彼が肩腕を私の視界に入るように差し出す。
「っ、悠真様」
彼が羽織っているコートが黒色ということもあり、赤黒い血がじわりと広がっていることに私は気づかなかった。私は息を呑み、足を止める。
「俺の意識は、まだある。軽傷ってことにしてくれ」
「そんなことできるわけ……」
自身の声が震えたのを感じ、私は口を閉ざす。
彼は柔らかな眼差しで私を見つめ、すぐに苦笑いを浮かべる。
「気づかれたくなかった。男というのは、女性に心配をかけたくない生き物なんだ」
その言葉を受けて、胸が締めつけられるような痛みを覚えた。
「俺のことより、北白川に辿り着くための道を……」
懐から、美しい刺繍が施されたハンカチを取り出す。
簡易的な応急処置を試みるけれど、ハンカチでは長さが足りない。
「結、葵、様……懐に……」
かろうじて声を発することができた来栖さんは、懐に何かが眠っていることを教えてくれた。
「お借りします」
深く頭を下げ、届かない感謝の意を伝える。
ハンカチと手拭いを繋ぎ合わせ、止血のために傷口に巻きつけていく。
彼の血が手に触れると、その温かさに彼の命の重さを感じた。
「悪いな、足を引っ張って……」
「誰も悪くありません……誰も……」
遠くから、足音が響き渡る。
感じた恐怖に心が揺れた刹那、次なる刺客が目の前に現れた。
「見ぃつけぇたぁ」
その声は甘く響きながらも、底に冷たい刃物のような凶器を秘めていた。
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