第4話
「ごめんなさい! 驚かせた……」
落ち着いて後ろを振り返ると、来栖さんが撃った銃弾に体を裂かれた
即死だったようで、蝶の薄紫の翅は地面に力なく伏せられていた。
「私の方こそ……あ、ごめんなさい……私、気づかなくて……」
「謝らなくていい。声もかけずに銃を使った私が悪い」
紫純琥珀蝶が、自分に近づいてきた気配をまったく感じなかった。
「でも、来栖さんがいなかったら、私は記憶を失っていた……」
狩り人に協力した私を嫌ったのか、私に言葉をかけることなく蝶は私の背後へと忍び寄ったということらしい。
「結葵様、大丈夫?」
不自然なほど静かにしている私を気遣って、来栖さんは声を与えてくれた。
「狩り人でも、蝶の気配を感じ取れないときがあるから気にしなくていい」
「でも……」
いつもと、何かが違う。
狩り人と協力関係を結ぼうとしたことが、私の勘を鈍らせてしまったのかもしれない。
「紫純琥珀蝶は、そこらへんを飛んでいる蝶々たちと変わりのない大きさ。だから、仕方がない」
「そう……ですが、それは言い訳にしかなりません」
研究室に慣らされた蝶が、私に嘘を教えた可能性も否定はできなかった。
罠にはめられた可能性も考えながら、私は悠真様に蝶からの情報を伝えた。
「そんなに気にしなくても大丈夫」
「すみません、もっと……もっとしっかりします……」
でも、私たちは本当に罠にはめられてしまったのかもしれない。
蝶が私に話しかけてくれなかったことが、裏切り者への制裁なのかもしれない。
「戻ろう、結葵様」
「はいっ」
悠真様のことは、もちろん信頼している。
狩り人がいる限り、朱色村の平和は脅かされることがない。
(それなのに、胸騒ぎがする)
何かが起こるような、既に何かが起きているような、そんな予感が脳裏をかすめていく。
「朱色村の蝶は、数が少ないはずなのに」
普段通りの落ち着きがあり、小柄な体からは威厳すら漂っていた来栖さんの均衡が崩されたと感じた。
「悠真くんたちが見回っているのは……」
「こちらの方角だと思います」
来栖さんの顔が硬直しているのが見て分かるからこそ、私は彼女がいつもの冷静さを取り戻せるように、しっかりとした声を発する。
「ありがとう、結葵様」
「案内なら、お任せください」
元々、山の頂上まで向かう予定ではなかった。
私がこんな不安定な状態なのだから、山頂まで向かわなかったのはある意味正解だったのかもしれない。
都合のいい考え方かもしれないけれど、まるで誰かが山を登るべきじゃないって導いているような気がした。
「外に出たことがない私でも、蝶が導いてくれるので」
山中で頼りになるのは月明かりくらいなのに、月を覆うほどの暗い雲が月の明かりを遮ってしまう。
ぼんやりとした月明かりが私たちを見守ってくれているうちに、悠真様たちと合流することを目指したい。
(悠真様、どうかご無事で……)
外灯の光もなく、月明かりだけが頼りの朱色村。
私たちの静かな足音しか響かない中、村の小道を進んでいくことの心細さといったら言葉で表現できないほど。
「っ」
「結葵様っ、私から離れないで」
夜の闇が深く広がる中、後方から感じる気配に息を潜めた瞬間。
来栖さんが手にしていた拳銃から、特別な力が込められた弾が飛び出す。
「来栖さんっ」
「数が尋常じゃない……」
彼女は囁くように呟いたけれど、蝶は集団で襲いかかってきているわけではない。
「来栖さん、私のことを見捨ててください」
自身の心臓の鼓動が、耳鳴りのように響く。
手のひらに汗が滲むけれど、毅然とした態度で彼女を説得していく。
「守る人間がいては、私たちは不利に追いやられるだけです」
視線を巡らせて、次から次へと襲いかかってくる蝶を来栖さんは撃破していく。
そこはさすが狩り人と感嘆の声を上げたくはなるけれど、私という荷物を背負わせたまま蝶との戦いを続けられるわけがない。
「私は蝶の子。守られていますから」
私の提案に、来栖さんは反応しない。
狩り人としての力を持つ来栖さんは、私を守ることを義務づけられている。
それを理解しているからこそ、蝶に追い詰められていく現状をなんとか打破しなければいけない。
「っ、来栖さん、家屋の中に避難しましょう」
小さな灯りが点在する朱色村は、闇夜に浮かび上がる希望の光のようにも思えた。
蝶の言葉を理解する私を招き入れる村人はいないかもしれないけど、狩り人の来栖さんを保護してもらえればそれでいい。
私は明かりの灯る家屋へと、来栖さんを案内しようとしたときのことだった。
「来栖さんっ」
薄紫色の翅を羽ばたかせ、蝶は宙へと舞い上がった。
蝶が来栖さんを殺す気配を感じ取った私は、彼女を庇うために身を挺した。
「結葵様……逃げ……」
「来栖さんっ! 来栖さんっ!」
透き通った翅から霧のような毒が撒き散らされ、直撃は避けることができた。
けれど、来栖さんの足が濃密な紫色に侵されていく瞬間を防ぐことができなかった。
来栖さんは膝を折り、表情を歪めながらも拳銃を握る手は離さない。
彼女にまだ、意識があることは確認できる。
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