第一部
第一話「国際出版局」
【創造歴1265年】フリマ共和国
舗装された石畳の路を走る。
慣れたように細い路地に入る。
夜の路地裏は薄暗く、何度も木樽や木箱にぶつかった。
「はぁ、はぁ」
息が切れる。心臓が異常なほど激しく鳴っている。
それでも少年は、逃げるしかなかった。
でないと、奴がやって来る。
そして自分は――考えるだけでぞっとした。
後方から音がしたような気がした。
「くそっ」
もうそこまで来たのか。後ろを振り返る。誰もいない。
安堵し、歩を緩めながら、前を向く。
「はっ!?」
空から人影が降ってきた。
人影は四足歩行動物のように着地する。
ゆっくりと面を上げる。暗くてあまり顔が見えない。
「ゔぅるぅ」
獣のような唸りが聞こえてくる。
少年はすり足で後退しようとした。
獣はそれに合わせて、飛び込んできた。
「ひっ!?」
少年が最後に見たのは、充血した赤い瞳だった。
ーーー
地元警察から連続殺人事件の管轄移送を受け、フリマ軍所属のジェラルド・アラン中佐は、現場に到着した。
遺体を目にする。動悸がした。
職業柄、遺体を見ることには慣れていたが、今回は例外だった。
遺体は、十代の少年に見える。顔は紫色に変色していた。
口からは、血色の泡や唾液が乾燥して張り付いている。
何より、異常に首が細くなっていた。普通の人間の力では、およそ再現不可能な仕業だった。
「これで二人目か。五年前を思い出すな」
煙草の煙の匂いと共に、アランの隣にやってきた男が呟く。男は右足を引きずりながら、杖をついている。
「やはり、ランベール少佐もそう思われますか」
「俺はもうお前の部下だ、中佐。といっても無駄か」
アランは何も言い返さず、顎髭をなじり、再び遺体に目をやる。
殺された遺体は、日頃から暴行や強姦などを繰り返していた非行少年たちだ。
彼らの大概は、名家や資産家を親に持つ。生まれ持った社会的地位を存分に活かし、悪事を働いていた。
「どうする」ランベールは、アランに問う。
一見、何気ない問いかけだったが、二人にとっては、重要な問いかけだった。
アランは熟考したあと、決意を告げる。
「国際出版局に依頼しましょう」
ランベールは、父親のような眼差しで、アランを見つめる。
その瞳には、子の成長を喜ぶ嬉しさと、成長した子を見送る、一抹の寂しさが混ざっていた。
「承知した」
ーーー
上司から事件の報せを耳にしたノアは、気を昂らせた。
ようやくこの日がやってきた。
もしかしてと思い、辺りを見回し、同僚を探す。
ここは、フリマの一等地であるベール市に建てられた、世界中央連合の巨大な建築物。その一画にあるフロアで、今日も多様な人種の職員たちが、忙しなく働いている。
その中で、褐色の肌色をした黒髪の女が、こちらに向かってくる。
「ノアも呼ばれた?」
いつもより緊張した声音で話しかけてきたのは、同じ局に所属する同僚のミュラだった。
「もしかして、ミュラもかい」
「そう。リゥシンとシャルミラもだって」
「そっか」
ミュラは、ノアにコーヒーを手渡し、慌ただしく席に戻る。その姿にノアも緊張を覚えはじめた。
その後【国際出版局 イーローブ支部】の看板が立てかけられた会議室に招集されたのは、ノアを含めて六人だった。
プラモッド ・ホーレヤ(班長)
マカレナ・ガルシア(創造師)
ノア・エッシュライン(編纂師)
リゥ・シン『劉星』(編纂師)
シャルミラ・カトリ(編纂師)
ミュラ・ツチャル・ライリー(編纂師)
明らかに、昇進試験を意識したメンバー構成だと、ノアは確信する。そう思ったのは、どうやらノアだけではないようだ。
「はやく会議をはじめましょう、班長」
リゥシンは、ボードの前で準備をするプラモッドを急かす。
腰ほどまで伸びた黒い長髪を、後ろで一つに束ねたリゥシンは、険しい顔をしていた。
「そうはやるなリゥシン。別に事件は逃げないさ」
プラモッドは冷静に言う。その姿に何とか苛つきを抑えようと、リゥシンは腕を組み黙想する。
編纂師の四人はすでに集まっており、最後の一人、マカレナ・ガルシアを待つのみとなった。
「マカレナさんはいったい何をしているんだ」
リゥシンの貧乏揺すりが止まらない様子を、ノアは隣で見ていた。いつもはそこまでせっかちでないノアも、今日だけは同じ気持ちだった。
書生養成院を卒業してから二年。編纂師として、ノアは国際出版局に勤めてきた。
最初は雑務のような扱いから、先輩創造師たちの補助など、徐々にステップを踏んできた。危険な任務だって幾つもあった。
だが必死に乗り越えてきた。
全ては、創造師になる為に。
昇進したい理由は各々あるが、リゥシンは一際気合いがみなぎっている。
「ごめんごめん」
ようやくマカレナが会議に入ってきた。口では謝っているものの、反省の色は垣間見えない。
「あ、もしかして超あたし待ちだった感じ?」
誰も答えない。会議室は明らかにピリついている。
マカレナは気にすることなく、ミュラの隣の席につく。
「やっほーミュラ。元気」
「はい……元気です」
「もうどうしたのミュラ。それにみんなもなんか暗いよ」
呆れた目線を一挙に集めるマカレナ。それを見兼ねたノアは、プラモッドの方を促すように見た。
プラモッドは咳払いしたあと、会議の開始を合図する。
「二夜連続で起きた殺人の現場は、ヌクルプロムの周辺域にある路地裏で」
「ヌクルプロム……」
ノアは故郷とも言える地名を聞いて、少し心拍が跳ね上がる。
「狙われたのは、どちらも十代の少年。死因は絞殺。なお首は、骨のような細さになるまで握り潰されていた模様」
それぞれが思い思いに、険しい顔を見せる。それは同時に、虚像者による殺しだと確信した瞬間でもあった。
そんな中ノアは、ひとり冷たい汗をかいていた。嫌な予感では済まされない、その事実事態を嫌悪するような感覚が襲いかかる。
「大丈夫か」
プラモッドが青ざめた顔のノアに、気遣うよう声をかける。
「は、はい。大丈夫です。続けてください」
そう言ったものの、ノアは今すぐに会議室から飛び出したくなった。外の空気を吸い、気分を落ち着かせたい。身体がそう言っているような気がした。
「依然として、犯人は逃走中で」
そこから先は、ノアの耳には入ってこなかった。
気づけば会議は終了し、ミュラだけが残っていた。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
「体調が悪いなら、私の方から任務に外してもらうように言っておこうか」
「ありがとう。でも平気だから。先に行ってて」
それでもミュラは心配してか、残ろうとする。
「もしかして」ミュラは窺うように、ノアを見つめる。
「
ノアは青い目を見開く。
「いや、別に」
「ヌクルプロムって、孤児院があるところでしょ」
「そうだけど、関係ないよ」
「そうは見えないけど」
「いいから、少し一人にさせてくれ」
今度こそミュラを部屋から追い払う。
一人きりになった会議室で、ノアはゆっくりと深呼吸する。
落ち着くんだ。考えすぎるな。今まで通り、目の前の任務に集中しろ。
もうあれから、五年も経ったんだ。普通に考えれば、生きているかどうかだって怪しい。
でももし、生きていたら。
自分はどうするのだろうか。
ノアは首を振って、意識を現実へ戻す。
急いで会議室から出た。
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