解放の異言者

綾高 礼

プロローグ

プロローグ「進化」

 

【東歴XXXX年】


 寄せては返す波の音。

 潮の香り。太陽の眩しさ。

 重い瞼を開く。

 起きて辺りを見渡す。見知らぬ場所だった。

 

 果てしなく広がる海。陸影は見えない。

 反対に砂浜を辿った先には、巨大な岩壁が聳え立つ。

 

 誰もいなかった。

 

 女は奇跡的に生きながらえたと思った。途端に恐怖が襲いかかってきた。

 枯れた喉では、うまく声が出せなかった。

 だから女は、獣のような唸り声を出した。

 その場で震えうずくまった。

 

 そうして、どこで、何日過ごしていたのか。

 どこかで湧き水を飲んだかもしれない。

 植物や果実を見つけ、動物や虫を殺して、摂取したのかもしれない。

 砂漠地帯や森林地帯を彷徨ったのかもしれない。

 やはりここにも、人の姿はなかった。

 

 あまりにも孤独で、ひとりきりだった。

 この広大な大地では、時の概念がないように思えた。

 耐えられず自分の声とは思えない唸り声を上げて、星がまたたく空に叫んだかもしれない。

 実のところ、女の意識は絶えず朦朧としていて、ほとんど覚えていなかった。


 夜。満月の明かりが燦々と照らす夜。

 

 日中の強烈な日照りや雨風を凌ぐため、洞窟で生活をしていた。

 女は考えた。

 どうして自分がこんな目にあっているのか、何度も考えた。

 みんなはどうしているのだろうか。もう死んでしまったのか。

 あの大陸に残った人たちは、どんな気分で過ごしているのか。

 きっともう、我々のことなど、忘れてしまっている。

 みんな……家族や仲間を思い返す。

 あまりにも自然に涙が流れたことに少し驚く。

 涙はとっくの昔に、枯れ果てたものだと思っていたから。

 

 洞窟の奥で、石ころが落ちたような音が聞こえた。

 音自体は微かな音だったが、女の耳はこの生活に順応していた。

 暗闇の洞窟。鍾乳石のつららが幾重にも垂れている。

 洞窟の上部には、少し大きめの穴が空いている。そこから一筋の光が差し込んでいた。

 光の柱の中で、粒子が舞い踊って見えた。

 

 女は思わず「はっ」と息を呑む。

 

 差し込まれた光の柱の中に、一羽の鳥が舞い降りてきた。

 その鳥は、光り輝いて見えた。

 地面にしっとりと着地した鳥は、女をじっと見ていた。

 女も鳥に見惚れていた。

 

 生涯、もうこの目で、鳥を見ることは出来ないと思っていた。

 でもまだ生きていた。鳥はまだ、翼を広げ、空を飛んでいたのだ。

 女は生まれてはじめて、心の底から、鳥を美しいと感じた。

 

 鳥はゆっくりと翼を広げた。

 光の柱へと吸い込まれていくように、鳥はいなくなった。

 

 光の柱が照らす底には、砂時計のように出来た天然の小さな砂の丘がある。

 そこにひらりと、一枚の羽根が舞い降りた。

 何かに導かれるように、女は羽根を拾った。

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