第二話「影」


 こうして昼時に石畳の路を歩いてみると、自然と少年時代の頃に戻ったような気になる。

 代わり映えのしない、石造りの家並みが、緩い傾斜を伴って続く。

 人と人の距離が近い。路地から据えた匂いが鼻をつく。

 自分はここで育ったんだと、改めてノアは実感する。

 古びた木の扉の前に立つ。子どもたちの声が聞こえてくる。

 少しためらった。だが勇気を振り絞り扉を叩く。


 「どちらさまですか」


 あの頃と変わらない、落ち着きのある女性の声が聞こえてくる。


 「ノアです。シスター・マドレーヌ。ノア・エッシュラインです」


 扉はすぐに開いた。あの頃にはなかった白髪の混じった髪を綺麗にまとめた、女が顔を見せる。


 「ノア……」

 「お久しぶりです。シスター・マドレーヌ」


 白いコートに身を包んだノアを、足先から眺める。

 シスター・マドレーヌは、皺の増えた目元を拭う。


 「みんなは元気ですか」

 「えぇ。貴方こそ、立派になって。さ、入りなさい」


 ノアは、孤児院の中に足を踏み入れる。あの頃から変わっていない、埃っぽい匂いと家具の配置。

 そして子どもたちが、相変わらず騒がしい。


 「ノアお兄ちゃん」


 何人もの子どもたちが、ノアに抱きついてくる。まだ幼年期だった子どもたちは、わんぱくな少年少女となっていた。

 少し離れた机の上で、編み物をしていた妙齢の女が、こちらを見つめていた。女は死人でも見たかのように驚き、手を止め、ノアのもとに近づいてくる。

 ノアも成長した女の姿に気づき、少し胸が痛んだ。まだその顔には、陰りが残っている。


 「エレン……」

 「ノア、元気」

 「あぁ。君こそ」

 「元気よ」


 ぎこちない二人のやりとりは、途切れる。


 「ノアお兄ちゃん。絵、かいてよ」

 「絵? あぁ、いいけど」


 ノアは一時間ほど過ごし、孤児院から出た。

 よかった。みんな元気そうで。シスターは何か別のことを話したいような雰囲気だったが、ノアは本能的に避けた。話してしまうと、都合の良い未来が崩れてしまいそうな気がしたからだ。

 結果、当たり障りのない話しか出来なかったが、それがノアにとって心の安寧を与えた。


 ーーー


 夜になり、国際出版局の面々は集まっていた。

 マカレナ以外は、みな緊張感のある面構えをしている。

 現在ノアたちは、ヌクルプロム警察の建物の一室を、臨時拠点としていた。


 「前回も話したが、候補の少年は二人」


 プラモッドは、ボードに貼られた二枚の白黒写真を指差す。どれも隠し撮りのような感じで、解像度はよくない。

 大雑把にわけると、肥満体型と痩身体型の少年二人。


 「彼らも殺された二人と同じ仲間だ。狙われるとしたら、この二人の可能性が高い、と我々は想定している」

 「彼ら以外に狙われる可能性もあるのでは」


 リゥシンが口を挟む。プラモッドは、あらかじめ想定していたように頷く。


 「前回に会議では話していなかったが」


 そう言ったあと、プラモッドは五年前にヌクルプロムで起きた虚像者による連続殺人事件の概要を、ざっくりと掻い摘んで説明した。


 「なるほど。では逆に何故この五年間、何も音沙汰はなかったのですか」


 プラモッドは困ったように、口を結び首を傾げる。

 

 「僕が話します」

 

 突然ノアが口を挟んだことに、他の面々が驚く。


 「僕はこの街で育ちました。五年前の連続殺人事件の時もこの街にいました」


 ミュラ以外の面々は、各々リアクションを口にする。

 ノアは頷いたあと、客観的に事件の話しをはじめた。ただし、自分は関わっていないように創作して。

 ひとまず国際出版局の六人は、二手の班に別れ、それぞれ二人の少年に張り付くことになった。

 プラモッドに、リゥシンとミュラ。

 マカレナに、ノアとシャルミラ。

 創造師と編纂師が、一対二になるように編成される。

 夜も深まり、厳戒態勢のなか、捜査ははじまった。


 「ほんとに来るかなぁ」


 マカレナは、隣にいるノアに呑気に話しかける。


 「どうでしょう」


 愛想笑いしたノアは、視線を切らすことなく、夜の街を見下ろしていた。

 現在二人は、建物の屋上で、うつ伏せになっている。

 道を跨いだ建物の屋上で、シャルミラも同じように待機していた。


 「さっきの話さ、あれ、嘘でしょ。特に殺人犯のところ」


 マカレナはノアを見て言う。


 「……ちゃんと見張ってください。もうすぐ店から出てくるかもしれませんから」

 「あ、もしかしてノア。あんたが犯人だったりして」

 「はぁ……いい加減に、あっ!?」


 ルゼアン料理店から、肥満体型の少年が出てくる。少年は飛び出した腹を満足そうに撫でている。

 隣には露出の派手な服装をした女が二人がいる。

 そのまま肥満少年は、左右に女を従えて歩き出す。

 方向から考えて、飲み屋や風俗などが立ち並ぶエリアだと推測出来た。

 ノアはシャルミラを見る。彼女は既に中腰となり、右手に羽筆はねふでを手にしていた。


 「ほら、ノア。何ボケっとしてるの。立って」


 先程まで呑気にしていたマカレナは、既に隣の建物に飛び移ろうとしていた。気づけばシャルミラも同じように動き出している。


 「ちょっと、マカレナさん」


 建物と建物の間には、大人四人分の間隔が空いている。飛び越えるには、危険極まりない。

 だがマカレナは、迷いなく隣の建物に向かって走り出す。

 ノアはその後ろ姿を必死になって追いかける。

 やがてマカレナの足が地を離れ、宙を駆けた。

 勢いよく跳躍したものの、隣の建物に着地するには程遠い。

 だがマカレナの顔に焦りはない。

 身体が重力によって、二階建ての高さから落ちそうになった。


 「はっ」

 

 マカレナの右手に握った羽筆から、呼応するように赤色の粒子が溢れ出す。

 粒子は一本の強靭な紐となり、隣の建物の煙突にまで伸びて巻き付く。


 「ふぅ〜」

 

 その反動を利用して、マカレナは猿のように建物へ飛び移った。

 ノアも慣れたように、続く。

 何もそんなにギリギリまでためなくてもいいのに。と思いながら。


 ーーー


 「ホテルに入るかな。どう思うノア」

 「おそらく」

 

 マカレナの呟きに合わせて、ノアも声を落とす。

 そしてノアはもう一つ、頭の中で別のことを考えていた。というより、祈りに近いことを何度も唱えていた。

 

 来るな。来るな。こっちに来るな。


 「路地に入るね」


 少年たちは、下品な笑い声をあげながら、路地裏へと入っていく。店前以外の明かりがなくなり、視界は暗闇に包まれる。

 その時、シャルミラの方から赤色が三度、点滅した。間隔とって、再度三度点滅する。

 信号の種類は幾つかあるが、三度の点滅は、〈警戒〉を現していた。

 それに気づいたマカレナが、周囲を見渡す。


 「ああ、来ちゃったかぁ」


 とりわけ残念がっていない様子のマカレナだったが、ノアの心臓は今にも破裂しそうだった。

 ノアは匍匐全身し、少年たちより、後方を覗き見る。

 ノアは食い入るように、その者を見ていた。

 

 黒いフードを被った何者かが、ゆっくりと歩いている。

 背格好からして、細身の高身長。歩き方から推測するに、男の可能性が高い。 

 だがノアは、まだ諦めていなかった。

 一人で店に来ている客かもしれない。そうであってくれと、心から、切実に願った。

 

 だがその希望も虚しく、フード男は、握っていた瓶を少年に向かって投げつけた。

 激しく割れる音と、少年の呻き、女たちの叫び声が聞こえてくる。

 シャルミラが動き出そうとすることを想定してか、マカレナは事前に、羽筆を連続点滅させていた。

 待て〈待機〉という合図だ。

 

 フード男は、ゆっくりと少年たちに歩み寄る。

 頭から血を流した少年は、激昂して、聞き取れない罵声を浴びせる。女たちも、続くように汚い言葉を叫ぶ。

 フード男は、その場で突っ立ち、動かなくなった。

 ノアはそれでも、まだ祈っていた。

 お願いします。神よ、どうか、どうか、お願いします。

 空いた左手で、頭から下へと切るような仕草を繰り返す。


 「これは来るね」


 マカレナが呟いた時だった。フード男は、ゆっくりと猫背になっていく。唸り声が、微かに聞こえてくるような気がした。

 激昂した少年は、ずかずかとフード男に掴みかかる。女たちの罵声も勢いを増す。


 「おい! 聞いてんのかてめぇ」

 

 瞬間、俯いていたフード男は右手を伸ばし、少年の首を握りしめた。

 体型的には、フード男の方が圧倒的に痩せていたが、肥満体型の少年の身体が、ゆっくりと宙に浮く。

 後ろで罵声を浴びせていた女たちが、凍りつく。


 「あたしが合図したら、応援頼むね」


 マカレナがノアに言いつける。

 その後マカレナが出していた羽筆の連続点滅は消え、一度だけ長めの点灯が続く。

 シャルミラはそれをしっかりと確認していた。

 行くよ、〈行動〉という合図だった。

 

 足をじたばたさせる肥満少年の力が、弱まっていく。

 瞬間、マカレナは屋上から飛び降りた。

 シャルミラもそれに続く。

 二人の羽筆から形成された翼が、落下速度を緩めさせ、下降していく。

 

 その姿を見届けたノアは、夜空に筆先を掲げ、粒子の花火を打ち上げた。

 そのまま自分も参戦しようとした時、衝撃音が轟いた。

 ノアは慌てて、下を見る。

 信じられない光景が広がっていた。肥満の少年はすぐそばに投げ捨てられたのか、むせこんでいる。それはまだいい。

 だが、マカレナが既に地面に倒れている。

 シャルミラが、フード男に羽筆で形成した剣で斬りかかる。

 フード男は、異常なほど反り返り、斬撃を躱す。

 その際にフードがとれ、褐色の長髪がなびく。

 赤い目が二つ、屋上にいるノアを射止める。

 ノアは息をするのも忘れて、その場で凍りついた。心臓が止まりそうだった。

 

 その後シャルミラは、簡単に蹴り飛ばされ、壁に激突する。

 その速度と力は、明らかに人間離れしていた。

 ノアは怖気付く。無意識に、足が後退しかける。


 「はやく降りてきなよ」


 その声に、ノアの足がピタリと止まる。

 男の声には、親しみが込められていた。

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