第八章 目覚めよ陰陽師師

「なぁ、白羽は本当に死んじゃったのか? どこかで生きているってことはない?」

 神楽が調合してくれた薬を我鷲丸の傷口に塗ってやりながら、そっと問い掛ける。今までは黒羽の強力な妖力に隠されていたが、黒羽が弱った今僅かに感じる別の気配……これは勘違いだろうか。

「……白羽は生きている。ただ、深い傷を負って命も危うかったから、武尊の手で白虎塚に封印された」

「白虎塚?」

「そう。元々黒羽が朱雀門を、白羽が白虎門を守っていた式神だった。そんな白羽を白虎塚に封印して、傷が治ったら封印を解くつもりだったらしい。だがその前に武尊は死んじまった。黒羽を陰陽師から庇ってな」

「え?」

 我鷲丸に包帯を巻いてやっていた手が止まった。

――武尊は人間から黒羽を守る為に死んだ……。

 思いもしなかった我鷲丸の言葉に、智晴は言葉を失った。


「白羽が封印されてから、黒羽は人間に対して悪さを働くようになっていった。そんな黒羽を陰陽師やそれ以外の人間までもが攻撃するようになって……黒羽を庇って、武尊は傷を負った。それでも悪鬼に堕ちかかっていた黒羽を救うために、武尊は最後の力を使い切って奴を封印した。武尊は、自分の式神だった黒羽を守る為に命を落としたんだ」

 寂しそうな顔をしながら我鷲丸が見つめる先には、蓮の花が咲き乱れる池が広がっていた。

 その晩、智晴は再度夢を見た。

「よくも俺の大切な親友を殺しやがって! 人間共め…!! 許さない、許すもんか!」

 大勢の陰陽師を前に、真っ黒な羽をバサバサとはためかせ睨み付ける黒羽。目を真っ赤にし、髪を振り乱す姿は鬼気迫るものがある。

 しかし黒羽がどんなに強い妖力を持った天狗と言え、一人でどうにかなる人数ではない。それでも我を失っている黒羽に、冷静な判断などできるはずもなかった。

「お前等全員殺してやる!!」

 勢いよく飛び掛かるが、一斉に陰陽師が呪いを唱える。

「悪鬼滅殺! 急急如律令」

 次の瞬間、陰陽師の手から放たれた紙人形が鋭い刃となり黒羽を襲った。

「危ない!」

 智晴がギュッと目を閉じる。

 しかし、その刃を受け地面に倒れ込んだのは黒羽ではなく、武尊だった。

「武尊!? 武尊! なんでお前が……!」

 黒羽は震える手で武尊を抱き起こす。武尊の華奢な体からは、地面に水たまりができる程の血が溢れ出していた。

 それでも武尊は痛みに耐え笑顔を作る。

「黒羽……人間と争ってはいけないよ。大丈夫、白羽はきっと蘇る。私の意志を継ぐ者がきっと白羽の封印を解いてくれるから……だから、人間を恨んではいけない」

「武尊、武尊……お前まで……嘘だろう……」

「人を恨んでは駄目だ。悪鬼に堕ちてしまう……。私は大切なお前を悪鬼になんてしたくない。だから、私に残された最後の力でお前も封印する」

「嫌だ! 俺は人間に復讐するんだ。武尊と白羽をこんなに目に合わせた人間を……俺は許せない」

「駄目だよ、黒羽。お前はいい子だね。少しお眠り。その心が落ち着くまで……。我が優しい式神よ、眠りにつくがいい。急急如律令……」

 淡く優しい光が黒羽を包む。それはまるで武尊の命の灯のようにも見えた。そう微笑みながら黒羽の頭を撫でていた武尊の手が、そっと地面に落ちる。

「武尊……」 

 血の涙を流し慟哭する黒羽は、その瞬間悪鬼へと堕ちていく。心が冷たく、魂までも凍り付いてしまったように感じた。寂しくて、悲しくて……。

 強い憎しみを抱いたまま黒羽も倒れ込み、深い眠りについたのだった。


「智晴、貴方が白羽の封印を解き、黒羽を解放してあげてください」

「白羽の封印を解く……?」

「そう。彼は白虎塚に眠っています。もう傷も治っていることでしょう。貴方なら白羽の封印を解いてあげられるはずだから」

「俺に……できるかな?」

「大丈夫。貴方ならできます。智晴、頼みましたよ」


 ハッと目を覚ますと、眩しい朝日が蓮香寺に差し込んでいた。

「夢か……」

 ジットリとかいた汗を、手の甲で拭う。

 白羽の封印を解く。そして、黒羽を解放する。

 今の状況を抜け出す最善の策なのかもしれない。どこからくる自信なのか……智晴はそう確信していた。

「俺ならできる……」

 部屋の隅に視線を移すと、胸に包帯を巻いた我鷲丸が眠っている。余程眠りが深いのだろう。智晴が近付き顔を覗き込んでも、起きる気配がない。

「珍しいな? お前がこんなにぐっすり眠るなんて」

 相当弱っているのだろうか。もしもこのまま起きなかったら……。目にかかるほどの長い前髪をそっと掻き上げて、額にそっと口付ける。

 我鷲丸はきっと武尊にとって、陰陽師と式神以上の関係だったに違いない。こうやって我鷲丸に触れると、ふと武尊の記憶が呼び覚まされる。


「武尊!! 死ぬな、武尊!!」

「我鷲丸……?」

「武尊、しっかりしろ!! 今神楽が来てくれる。それまで頑張るんだ!!」

 自分を抱き抱え泣き叫ぶ我鷲丸。そのあまりの鬼気迫る表情に胸が締め付けられる。

 黒羽を封印するために犠牲となった武尊を、我鷲丸が見つけたのかもしれない。子供のように声を出して泣くものだから、その涙を拭ってやろうと手を伸ばそうとしたが……今の武尊にはそれすらできない。

 もう、武尊の命の炎は燃え尽きようとしていた。

「俺を置いて行かないでくれ……。俺は、お前とずっと一緒にいたいんだ……。武尊……」

 目の前が涙で滲んで、我鷲丸の顔が見えなくなる。

「生まれ変わったらまた会おう」

 その一言を、言ってあげることしかできなかった。 


 我鷲丸と武尊は恋人同士だった……はじめは疑いだったけれど、今は確信に変わっている。だからこそ、初めて会ったときから、あんなにも我鷲丸に心惹かれのだろう。そう考えると全ての辻褄が合うのだ。まるで、ジグソーパズルのピースがピタッとはまった瞬間のように。

 だからこそ、こんなにも武尊に嫉妬してしまう。前世の自分に嫉妬するなんて馬鹿らしいけれど、武尊には負けたくないと思ってしまう智晴がいた。

「……我鷲丸。なぁ、俺の話を聞いてくれ。白羽の封印を解くのを手伝って欲しいんだ」

 近くにしゃがみ込んで我鷲丸の肩をギュッと掴む。我鷲丸がうっすらと目を開いたのを感じた。

「昔仲間だった黒羽を倒すなんて、俺にはできない。もし白羽の封印を解いてやることで黒羽が正気に戻れるのだとしたら……俺はそうしてやりたいんだ」

「一人じゃなにもできない奴が何言ってんだ」

「我鷲丸……頼む、力を貸してくれ。俺はお前を信頼してる。お前がいればどうにかなる……っていつも思うんだ」

 目頭が熱くなり、着物の裾で乱暴に拭う。泣くなんて格好悪いとわかっているけど、昂ぶった気持ちが抑えられない。

「頼む、俺に力を貸してくれ」

 目に涙を浮かべて我鷲丸を見上げれば、呆れたように笑っている。

「しょうがねぇなぁ。頼りにならない相棒を持つと苦労するよ」

「相棒、か……。ありがとう、我鷲丸」

 大きく自分のほうに寝返りをうつ我鷲丸の顔は、相変わらず仏頂面で可愛げなんてない。それでも、もう守られるだけじゃない。ようやく対等に並べたんだ。

「ありがとう、俺の相棒」

 素直に礼を言う事が照れくささもあったけど、智晴はそっと呟いた。


◇◆◇◆


 その夜、智晴は烏帽子を被り、顎の下でキュッと紐を結ぶ。着物の乱れを直して、胸元に護符をしまった。

 少し前までは考えもしなかった。律の元で普通の生活を送っていた自分が、平安の地に出向き妖怪と相まみえることになるなんて。

 あまりにも目まぐるしく変わった環境に戸惑いを感じることもあったが、今はこれこそが自分の運命だと感じられた。

 我鷲丸に会って全てが変わった……そう思うと、胸が熱くなる。

「武尊……。どうか見守っていて。俺は貴方を超えてみせるから」

 そう呟き、白虎塚がある山を見つめた。

「白虎塚があるのは、都から大分離れた椿山つばきやまだよ。そこに白羽は眠っている」

 遠くにある山を、神楽が指さす。そこは一年中椿が咲き乱れる、それはそれは美しい山だそうだ。

「ただ、武尊が封印したくらいだから、簡単に解けるとは思えない。封印を解くのに必要なのは、智晴の血……。とっても危険な賭けだよ。少しでも危ないって感じたら、すぐに止めるんだ。わかったね?」

「うん。ありがとう、神楽。でも大丈夫だよ。封印の解き方は、一度我鷲丸に教わったから」

「ごめんね、あたしもこんな妖力じゃなけりゃついて行けたのに。今のあたしはお荷物にしかならないから……」

「そんなことない。色々とありがとう」

「……智晴。あんた少しの間にいい男になったね。元気に帰ってきて、熱い夜を一緒に過ごそうじゃないか。あんな狐より、よっぽどいい思いをさせてあげるからね」

「が、我鷲丸は関係ないから……」

 そう寂しそうに笑う神楽の頭をそっと撫でてやる。

「何もしてやれないけど、椿山全体に張ってある結界を解いておくわ。百年前、武尊と一緒に張った結界をね……」

「ありがとう、神楽。十分だから」

 うっすら涙ぐむ神楽を残し、我鷲丸と椿山へと向かった。


 神楽の言う通り、椿山は椿の花で埋め尽くされた場所だった。昼間に見たらもっと色鮮やかで美しい場所なんだろう。

 夢で見た白羽は、透き通るような白い肌に、椿の花のように真っ赤な唇をしていた。

 そんな愛らしい白羽がゆっくり眠れるように……と願い、ここに封印したのかもしれない。傷の治った白羽の封印を解く。その思いを遂げられなかった武尊は、さぞや無念だったことだろう。

「我鷲丸、ここに黒羽をおびき出してほしい。それまでに、俺が白羽の封印を解くから」

「お前一人で大丈夫なのか?」

「正直わからない。でもやってみたいんだ」

「そうか、わかった。犬神のように簡単にはいかないとは思うが……。じゃあ、黒羽を探してくるわ」

「頼んだよ、我鷲丸」

 少しだけ不貞腐れたような、照れ臭そうな顔をしながら飛び立とうとした我鷲丸の手を智晴はギュッと握る。「なんだ?」と怪訝そうに智晴を振り返る顔を見ると、心臓が飛び跳ねた。

 なんで俺は我鷲丸の手なんて……自分から握ったくせに、頭が混乱してきてしまう。


「が、我鷲丸……」

「なんだよ? 手ぇ離してくれなきゃ行けねぇだろうが?」

「あのさ……」

「だからなんだよ?」

 そう言いかけた我鷲丸の唇に、智晴は少しだけ背伸びをして自分の唇を押し当てた。

 こんなことを自分からしたことなんてなかったら、唇が尖った我鷲丸の歯に当たったのを感じる。柔らかい唇をもう少しだけ堪能していたかったけれど……智晴は我鷲丸の体を思いきり突き放した。

 目の前には目を見開く我鷲丸。顔が熱くなり火が出そうたった。

「お前……」

「さ、作戦が上手くいくお呪いだから!」

「そっか。随分可愛らしい呪いだな……」

「いいから、行けって。引き留めて悪かったな」

「いや、別に……」

 空には淡い月が浮かび、青白い光が椿山を包み込んでいる。平安の世は今日も静かだ。

 自分は令和に、律の元に帰れるのだろうか……未だに不安に思う。

 それでも智晴は、ここで見捨てることのできない人達と出会ってしまったのだ。我鷲丸に神楽。そして悲しい過去を背負った黒羽と白羽。智晴に武尊の記憶はないけれど、放り出して逃げ出すことなどできない程、大切な存在に感じていた。

「武尊の代わりに守ってあげたい」

 陰陽師とすら言えない智晴の心に、いつの間にか灯がともっていた。

「じゃあ、お返しに」

「え?」

 強く抱き締められたと思った瞬間、今度は我鷲丸に唇を奪われてしまう。苦しくて逃げるように唇を離せば、執拗に追いかけられて再び唇を塞がれてしまった。

「ん、んん……あ、ふぁ……」

 息継ぎのために口を開くと、無遠慮に我鷲丸の舌が侵入してきて。智晴が今まで体験したことのない、少しだけ大人のキスをした。

「智晴、死ぬなよ。俺はもう、お前を失いたくない」

「我鷲丸……」

「俺は必ずお前を守ってみせるから」

 今にも泣きそうな顔で我鷲丸が呟いた。


◇◆◇◆


 白虎塚は山頂にある洞窟だった。その周りにも椿が咲き乱れ、甘い香りが漂っている。風が吹き抜けると、椿の可愛らしい花弁が揺れた。 

 塚といっても洞穴の前に岩が置いてあり、その岩が扉の役割を果たしている場所だ。岩はかなりの大きさで、大人の男が数人かかっても動かすことはできないだろう。

 そんな岩の中心には、智晴が持っているものと同じ護符が貼ってあった。何年も雨風にさらされてきただろうが、剥がれそうな気配は全くない。

 振り返ると、遠くはあるが、ここからは蓮香寺が見下ろせる。それは、一人で眠っていても寂しくないように……という武尊の優しさなのかもしれない。

「白羽、頼む力を貸してくれ。お前の相棒を助けたいんだ」

 そっと岩に触れ、額を押し当てる。何だか温かい気が流れ出ているように感じた。それはまるで、夢で見た優しい白羽の笑顔のようだ。


 ガリッ。

 意を決したように指に噛み付く。ザクッと皮膚を切り裂く感覚と共に、生温かい血が流れ出した。

「俺の中に眠る武尊……目を覚ましてくれ。今は、貴方の力が必要なんだ」

 その血液で岩に陣を描く。紅葉山で我鷲丸に教えてもらったのを思い出しながら。陣はボウッと青白い光を放ち始めた。岩に貼られた護符が、バチバチッと眩い閃光を放つ。

「武尊……見ててくれ」

「はい。智晴、参りましょう。大丈夫、貴方ならできます」

「きっとできるよ。だって、俺には最高の相棒がいるんだから」

「ふふっ。少しだけ妬けますね」

 頭の中で優しく響く声。この声と共に、また自分の中で何かが覚醒していくのを感じる。温かいのに、とても力強い。自分の体に、武尊が重なっているように感じた。

 右手の指に護符を挟み、目を閉じる。深く息を吸ってから目を開いた。

「我に使えし式神よ。今こそ目覚め、我の元に姿を現せ……出でよ、白羽。急急如律令」

 先程まで淡かった光がどんどん強くなり、智晴の体を包み込む。そのあまりの眩しさに思わず目を細める。

「おいで、白羽。姿を現してくれ」

 シュッと護符が塵となり空に舞いがった瞬間、ゴゴゴゴゴッ……という音と共に、大岩が動き出す。

「成功……したのか……」

 大岩に手を当てると、ほんのりと温かい。智晴はその心地よい感覚を知っていた。

 

◇◆◇◆


「武尊、僕は貴方の式神になれて幸せです」

 目の前で幼さを残した青年が笑う。その笑顔はあまりにも透き通っていて、吸い込まれてしまいそうだ。


 ある大雨の降った日。

 天狗たちが暮らしている森が悪鬼に襲われたという知らせを受ける。

 慌てて天狗の暮らす山へと駆け付けたが、たくさんの亡骸が地面に横たわっており……そのあまりにも無残な光景に、無念の情でいっぱいになる。

「間に合わなかったか……」

 耳を澄ますと幼い子供の声が聞こえてくる。

「……父様……母様……」

 声のするほうへ駆け付けると、まだ子供の天狗が抱き合って泣いていた。

 一人の天狗は闇夜のように真っ黒な羽で、もう一人の天狗は羽綿のように真っ白な羽をしていた。

 目の前の亡骸が彼等の両親なのだろうか。二人はお互いを庇い合うように強く抱き合っている。

「おいで……」

「…………!?」

 余程怖い目に合ったのか、手を伸ばしただけでビクッと体を震わせる。そんな幼い天狗達に優しく話しかけた。

「怖かったね、もう大丈夫だよ。今日から私が君達を守ってあげるから」

 小さく震える二人の頭をそっと撫でてやった。


「武尊は僕と黒羽の命の恩人です。この命が尽きるまで傍にいます」

 岩の温もりを通して流れてくる記憶。これは……白羽の……?

「白羽……君は本当に優しくて、勇敢な式神だった。迎えにくるのが遅くなってごめんな。さぁ、目覚めるんだ」

 大きな岩がゆっくりと開き、眩い光を放ちながらバサバサッと翼をはためかせ、一人の青年が洞窟から姿を現す。真っ白な翼をもった美しい天狗だ。きっと彼が人間だったら、智晴と同じ年頃だろう。

 そんな光景を目を細めて見守った。


「君が、白羽……?」

「はい。僕は武尊の式神、天狗の白羽と申します」

「君が白羽か。よかった、封印が解けて……」

 可愛らしく微笑む白羽の頭をそっと撫でる。出会えたことが心の底から嬉しい。

「貴方がきてくれるのを、ずっと待ってました」

 頭を撫でられた白羽が、照れくさそうに頬を赤らめた。

「白羽聞いてくれ、黒羽が……」

「黒羽が?」

 智晴が白羽に今までのいきさつを話そうとした瞬間、強い二つの妖力が物凄い勢いでこちらに向かってくるのを感じた。

「この妖力は……黒羽と我鷲丸?」

「そうだ。白羽が封印されてから、黒羽は人間を恨み悪に身を染めてしまった。家畜を襲い、陰陽師と争う悪鬼になってしまったんだ」

「そんな……」

「だから君に力を貸して欲しい。君の相棒を助けたいんだ」

「あの……君は、武尊なの?」

 白羽が真ん丸な目をユラユラと揺らしながら、智晴の顔を覗き込む。

「違う。俺は武尊じゃないよ。智晴……柊智晴。武尊の生まれ変わりだ」

「武尊の? だから君からは武尊の匂いがするんだ」

「来る……白羽。黒羽が来る」

 気配がする方を二人で見つめ身構える。


 ガンッという地響きと共に、我鷲丸が地面に叩きつけられた。それでも黒羽を睨み付け、また体を起こそうとしている。

「我鷲丸!」

 慌てて駆け寄り抱き起せば、先日負った傷が開き血が滲み出していた。それを見た智晴は、髪が逆立つ程の怒りを感じる。それでも尚立ち上がり、黒羽に向かっていこうとする。智晴は我鷲丸にしがみついた。

「もうやめて、我鷲丸……! お前は十分頑張った。あとは俺がやるから……」

「うるさい。お前は黙って見てろ」

 智晴の手を振り払った我鷲丸は地面を力いっぱい蹴り、牙と爪を剥き出して突進していく。どこにまだそんな力が残っているのか……彼の周りには無数の狐火が浮かんでいた。

「黒羽ぁぁぁ!」

「馬鹿が。お前も武尊の元へ行くがよい」

 黒羽が大剣を抜くのを見た瞬間、サッと血の気が引いていく。

 大剣が空を切り、我鷲丸の体目掛けて振り下ろされる。間に合わない……。

「グハッ!」

 真正面から大剣を振り下ろされ、地面へ落ちてくる我鷲丸。彼が叩きつけられた場所には、見る見るうちに真っ赤な血が広がっていった。

「我鷲丸……我鷲丸!」

 慌てて我鷲丸に駆け寄れば、少し触れるだけで智晴の手が真っ赤に染まる。それを見るだけで、今度は全身の血が一気に沸騰していくようだ。昔の仲間を、どうしてここまでできるんだ……。

「…すまねぇ、智晴……おびき出すところまでは、うまくいったんだが…」

「我鷲丸…! こんな傷まで負って…本当によくやってくれた……」

「馬鹿が…俺は妖怪だ。こんな傷は気にすることはない…それに、俺はお前の相棒なんだろう?」 

「そうだ。俺はお前の相棒だ。でも、俺は……それ以上の関係になりたい」

「ふっ、子供が笑わせんなよ…」 

 よほど傷が痛むのだろう。顔を引き攣らせながらも必死に笑う我鷲丸の肩を掴む。

「後は任せろ」

 そう呟いてそっと立ち上がり、夜空に浮かぶ黒羽を見つめた。

「智晴、我鷲丸は任せて。僕は治癒の呪いが得意だから」

 白羽が我鷲丸の傍にしゃがみ込み呪いを唱えながら体に触れると、白く温かい光に包まれた。我鷲丸の体から流れ出していた血が、すーっと引いていく。

 そう言えば、神楽が自分より治癒の呪いが得意な子がいるって話していたのを思い出す。それは白羽のことだったのだ。

「よかった。白羽、我鷲丸をお願いね」

 我鷲丸がこんな深手を負って……智晴は悲しかった。なぜかつて仲間だった者同士が、こんな風に争わなければならないのだろうか。


 夢で見たあの景色が、脳裏を過る。

 横笛を吹く武尊の横で、白羽が琴を弾いている。遠くからは神楽の鼻歌が聞こえてきた。武尊の隣では我鷲丸が満足そうに酒を飲んでいて、少し離れた所で黒羽が笑っている。

 みんなとても幸せそうで、仲が良さそうで……だからこそ、こんな風に争っている姿なんて見たくない。

「みんな、行くぞ」

 颯爽と先陣を切る武尊の後ろには、四人の逞しい式神達。みんなキラキラとした顔をしている。

 きっとこうやって、平安の都の平和を守ってきたのだろう。


「こんなんじゃ駄目だ。帰ってこい、黒羽……」

 自分の中で何かが動くのを感じる。

 今まではその何かに導かれるように動いてきた。でも今は違う。

「俺は武尊じゃない。俺は、陰陽師。柊智晴だ。俺が助けたいから、お前を助ける」

 大きく息を吸って目を閉じる。不思議と、落ち着いていた。恐怖心はない。

「さぁ、来い。黒羽。俺の式神よ」


◇◆◇◆


 黒羽が翼をはためかせる度に、椿の花がパキパキッと音をたてて凍っていく。辺りに張り詰める冷たい空気がピリピリと痛い。

 黒羽がゆっくりと智晴の前に降り立った。

「黒羽、話を聞いて欲しい」

 相変わらず全く感情を感じられない瞳を見つめる。氷のように冷たい表情。でも違う。本当の黒羽は、白羽を思う優しい心を持った妖怪であることを、もう智晴は知っている。

「黒羽! 僕だ、白羽だ!」

 白羽が黒羽に向かって走り出す。その瞬間、黒羽の瞳が揺れたように智晴は感じた。

「……お前は、白羽……?」

「どうして悪鬼になんか……あんなに優しい天狗だったのに……」

 白羽が今にも泣きそうな顔で黒羽に掴みかかる。それを制することもなく、黒羽はただされるがまま、白羽を見つめていた。

「生まれ故郷が鬼に襲われた時だって、お前は必死に守ってくれたじゃないか! 僕はお前がいたから生き残ることができたんだ。武尊に拾われてからも、ずっと寂しかった僕を支えてくれた……僕にとって大切な存在なんだ。僕はもう大丈夫だよ。智晴が封印を解いてくれたんだ。だからお願いだ……元の黒羽に戻ってくれ。お願いだ……」

 涙を流しながら縋る白羽を、黒羽は茫然と見つめている。明らかに、彼を包んでいた空気が変わった。

「今だ、智晴」

「うん」

「……不思議だな。あんなに似てないと思ったのに、お前に武尊の姿がダブって見えるぜ」

「違う、俺は武尊じゃない」

「は?」

「俺は、陰陽師、柊智晴だ。俺は、武尊を超えてみせる」

「そうだな、お前は武尊じゃない。でも、そんなお前も好きだぜ?」

 そう笑う我鷲丸の声に背を押されるかのように、智晴は指に護符を挟み、そっと目を閉じた。

「武尊……見ててください。俺はもう大丈夫だから。俺は、たった今貴方を超えてみせるから」

 そっと囁き目を閉じる。武尊の声は聞こえてこないのに、沸々と力が湧き上がってくる、そんな感覚。仲間のために、大切な我鷲丸のために……やってやる。

「だって俺は一人なんかじゃない。我鷲丸がいる。それに神楽や白羽だって……。だから、強くなれるんだ」

 目を開いて、大きく息を吐く。

 白羽に掴まれ、茫然と立ち尽くしている黒羽を見つめた。


「我が式神、朱雀門を守りし黒羽よ。我が元へ戻るのだ」

 小さく囁きながらそっと黒羽に手を伸ばせば、抵抗する様子もなくこうべを垂れる。そんな彼を撫でるのは、ひどく久しぶりに感じた。

「俺は忘れてなんかいないよ。お前は本当に勇敢な式神で、どんなに獰猛な妖怪にだって臆することなく向かっていってくれた。我鷲丸と黒羽の背中は本当に逞しかった。ごめんな、悪鬼に堕ちてしまう程苦しい思いをさせて……大切な式神を守ってやれなくて……本当にごめん」

 目頭が熱くなり、黙って自分を見つめる黒羽の姿が涙で滲んだ。

「でももう大丈夫だよ。白羽の封印は解いたから。もう寂しいことも怖いことも起こらない。だから、俺の元へ帰っておいで。武尊は命をかけることでお前達を守った。でも俺は死なない。いつか武尊より強くなって……生きてお前達を守るから。だから……帰っておいで、黒羽」

「……はい、主。共に帰ります」

「いい子だね、黒羽。蓮香寺に一緒に帰ろう」

 黒羽がはにかんだように笑ったその姿を見た瞬間、全身の力が抜けるのを感じる。そのまま倒れそうになるのを我鷲丸が支えてくれた。


「ごめん、我鷲丸……安心したらなんか力が抜けちゃったかも……」

「気にすんな。お前を抱えるのはもう慣れた」

「ありがとう。あぁ……疲れたな……」

「半人前のくせに、本当によくやった」

「あはは。もしかしたら我鷲丸のお呪いがきいたのかもな」

「そうかもな」

 智晴に向かい微笑む我鷲丸が愛おしくて、優しく頭を撫でてやれば嬉しいのだろうか? 耳がだらしくなく垂れ下がった。

「ありがとう、我鷲丸。俺はお前が大好きだ」

「馬鹿が。それは俺の台詞だろうが」 

 温かな我鷲丸の体温を感じながら、智晴は意識を手放した。

 


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