最終章 共に令和へ
「暑い……」
額から流れる汗を手の甲で拭う。今思えば、平安時代は夏と言えど涼しかった。やっぱりテレビで騒がれている通り、地球はどんどん温暖化しているんだ……。
あんなに不便だった平安時代が、今や懐かしくさえ感じる。
街灯一つない蓮香寺からは、満天の星空が見えた。あんなに綺麗な星を見たのは生まれて初めての経験だった。
行燈の炎が儚く揺れて、蛍が寺の池の周りを飛んでいて。蓮の花の甘い香りがいつも漂っていた。
電気も水道もない平安時代。我鷲丸に無理矢理川に引きずって行かれ、渋々水浴びをした。
そんな思い出ですら、今はとても懐かしい。
智晴が令和に帰る日、蓮香寺には四匹の式神が集まっていた。
子供みたいな笑顔を振りまき、場を和ませる白羽。その隣には嘘のように穏やかな顔をした黒羽がいて……全てが終わったのだと感じる。
「帰りたい」と思っていたはずなのに、今は後ろ髪を引かれてしまう。こうやって式神と過ごす穏やかな平安の世も心地よい。それでも自分の身を心配して待っているだろう律を思えば、今すぐにでも帰らなければと心に決めた。
「じゃあね、神楽。ご飯美味しかったよ。それから、薬草もありがとう」
「そんな、一生会えないような言い方をするでないよ。寂しくなるだろうが……またいつか、きっと会いにきておくれよ」
「うん。また来るからね」
「その時は熱い時間を過ごそうね」
「ふふっ。相変わらずだな」
涙ぐむ神楽の頭を撫でてやる。武尊を失ったこの式神の悲しみが、いつか癒えるといいな……と思いながら。
「白羽、黒羽を頼むな」
「うん、大丈夫だよ。これから黒羽とこの蓮香寺を守っていくから。智晴は心配しないで」
黒羽に視線を移しながら微笑む白羽を見れば、黒羽を封印しないと決めて本当に良かったと思える。幼い頃から二人で支え合い生きてきたこの天狗達は、きっと立派にこの寺を守ってくれることだろう。
「黒羽……この寺を、よろしく頼む」
「わかってる」
「本当に黒羽は愛想がないなぁ」
「うるさいぞ、白羽」
そんな遣り取りが見られるのも、奇跡のようなものだ。胸が熱くなり、少しだけ乱暴に二人の頭も撫でてやる。
もうこれが最後かもしれない……そう思うと、ギュッと胸が締め付けられた。
「それから、我鷲丸……」
みんなの輪の中にいない我鷲丸の姿を探してみると、縁側にある大きな柱に寄り掛かりそっぽを向いている。
彼と出会って智晴の運命は大きく変わった。ちょっとは成長できたのではないだろうか……自分でも、そう思っている。
あの雨の日我鷲丸に出会っていなければ、平安の地へ来ることなどなかった。あの出会いが全ての始まりだったのだ。
始めの頃は、愛想もなく口の悪い我鷲丸とは言い争いばかりしていた。でもいつしか、守られるだけではなく対等になりたいと思えて。彼の為に強くなりたいと訓練し、恐怖にも打ち勝ちたいと足掻き続けた。
そして信頼のできる存在となった今、全てが愛おしく思える。
我鷲丸に会えて、本当に良かった……そう心の底から感じていた。
「なぁ、我鷲丸。俺さ、少しでも成長できたかな?」
我鷲丸を見つめながらそっと呟く。
お前は成長したよ……誰よりも我鷲丸にそう言って欲しかったから。
そっぽを向いたまま話の輪にも入ろうとしない我鷲丸の顔色を窺うように、そっと声をかけた。
「我鷲丸」
「さっさと帰っちまえよ。もう子守りは懲り懲りだ」
「あのさ……」
「いいから! さっさと帰れ!」
拗ねたように声を荒げる我鷲丸が、今にも泣き出しそうに見えた。
そんな我鷲丸に智晴はどうしても伝えたいことがある。勇気を振り絞って口を開いた。
「なぁ、我鷲丸。一緒に令和に来るか?」
「はぁ? 令和に?」
「そうだ。お前は俺の相棒だろう? これからもずっと……」
これもまた人生が変わるくらい大きな提案だ……そう思うと、心が昂ぶって目頭が熱くなる。それでも、我鷲丸と離れたくはない。
いつも困らせてばかりだったけど、我鷲丸がいたから強くなれた。
「俺は人間だから、妖怪みたいに長く生きることはできない。武尊のようにお前より先に死んじゃうと思う。それでも、お前は俺の相棒だから……。ううん、本当は相棒だなんて思ってない」
感極まって溢れ出した涙を手の甲で拭う。
馬鹿が、ついていくわけねぇだろうが? そう鼻で笑われてしまうんじゃないか……そう考えると怖くなって思わず俯いた。
そんな空気を察したのか、神楽達が心配そうに自分達を見つめていることが伝わってくる。誰も何も声を発しない雰囲気に、思わず唇を噛み締めた。
「俺は、我鷲丸ともっと一緒にいたい。だって俺はお前のことが好きだから。我鷲丸は今でも武尊のことが好きなのかもしれないけど……俺はお前が好きだ。どうしようもないくらい、お前が好きだ!」
意を決したように顔を上げれば、我鷲丸がびっくりしたように自分を見つめている。
「しょうがねぇなぁ……」
「え?」
「しょうがねぇからついてってやるよ。お前は俺がいなきゃ何もできねぇだろう?」
「我鷲丸!」
「馬鹿が……。俺はもうとっくに、智晴に惚れてんだよ」
少しだけ照れくさそうにはにかみながら、我鷲丸は智晴を抱き締めてくれる。そんな逞しい腕に夢中でしがみついた。
もうこの腕を、二度と離さないと心に決めて……。
田んぼに囲まれた田舎道を歩いて、古びて崩れかけた石段を上がればその家は見えてくる。
いつも妖怪に追いかけられて、泣きべそをかきながら駆け込んだ家だ。
「ただいま、律さん」
「あらあら、おかえりなさい。智君、我鷲丸ちゃん」
【完】
時を転じて、陰陽師は恋をする 舞々 @maimai0523
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