第三章 鳥居の向こう側
智晴は、こっそり律の部屋に入り込んで護符を取り出す。
余程大切なものなんだろう。律が昔、嫁入り道具として持ってきたと話していた古い鏡台の中に大切にしまわれていた。
「律さん、これ借りるからね」
それをリュックサックに詰め込む。平安時代に行くために必要なものなんてわからなかったから、とりえず少しの食料とジュースを台所から持ち出した。一体どうやって平安時代に行くんだろう……。それすらもわからないまま、とりあえず準備を進めた。
居間で縫物をしている律の姿を見ると、少しだけ決心が鈍る。本当に自分はここに帰って来れるのだろうか……という不安を消し去ることなんてできないから。
「あのさ、少しの間友達の家に泊まりに行ってくる。何日か戻らないかもしれないけど心配しないでね」
「そう。もしかして、我鷲丸ちゃんも一緒に行くの?」
「え? あ、うん。一緒に連れてくよ。勿論、友達の前では狐の姿になってもらうけど」
「そう。気を付けて行ってきてね」
「うん、わかった。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
そう微笑む律の顔を正面から見ることができなかった。全てを見透かされてしまいそうな気がしたから……。
これから我鷲丸と平安の地へと出向き、鬼と戦ってくるなんて、口が裂けても言えるはずがない。年老いた律に心配をかけたくはないのだ。それに、こんな昔話みたいな物語を果たして信じてもらえるのだろうか。
「行ってくるね」
ニコニコ笑いながら手を振る律を見るのが辛くて、後ろ髪を引かれながらも障子を閉めて背を向けた。
◇◆◇◆
「あ、ここ……」
「そうだ。ここは俺とお前が初めて会った神社だ。ここに今の時代と、俺や武尊が暮らしていた平安の地を行き来できる時空の歪が存在している。黒羽の封印が解けたことで、平安の地で暮らしていた妖怪共もここからこっちに来れるようになったってことだ」
「そんな……」
「妖怪がこれ以上、現代で暴れ出す前に、黒羽をなんとかしないとな。おい、お前にはあれが見えるか?」
我鷲丸が指さす先には、今にも朽ち果てそうな鳥居がひっそりと佇んでいる。あまりにもボロボロで傾いているし何色だったのかさえわからない。
「あんな鳥居あったっけ……」
「いや、普通の人間には見えない。あの鳥居の向こう側が時空の歪だ」
「あれが……。じゃあ、あの向こうに武尊が生きていた都があるのか?」
「そうだ。妖力が弱っていた俺は、こっちに来るだけで力を使い果たして低級な奴等にやられちまったがな。でも、お前なら大丈夫だろう」
「だろう? なぁ、俺は生きて帰ってこれるのか?」
「さぁな。それはわからん」
我鷲丸が全く悪びれる様子もなく話す言葉に、思わず目を開いた。
「なんだよそれ! 随分無責任じゃないか!?」
「本当にお前はギャーギャーうるさい奴だな。さっさと護符で時空の歪の扉を開けてくれよ」
「え、俺が?」
「お前しかいねぇだろうが?」
煩そうに眉を顰める我鷲丸に、イライラしてしまう。
状況を受け止めることさえできていないのに、一体自分に何をしろって言うんだ……そう詰め寄りたい衝動をグッと抑える。
大きく深呼吸をして改めて鳥居を見つめると、初めてのはずなのに既にやり方を知っている、そんな不思議な感覚に襲われた。俺はあの先を知っている……。心地よい楽器の音色や、貴族たちが楽しそうに談笑する声が聞こえてくるようだ。
「よしッ」
護符を指に挟み目の前でパンッと両手を合わせた。
時空の歪とか、扉なんて全くわからないけど……。護符を手に取った瞬間、自分の中でまた何かが覚醒するのを感じるのだ。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前。我の為に扉よ開け。我を導き給え。急急如律令」
手に持っていた護符がシュッと塵となり空に舞いがった瞬間、智晴の目の前に満開の桜が広がった。小さくて可愛らしい花弁が温かな春風に舞い……。そんな美しい光景に目頭が熱くなった。
誰かが笑顔で自分に向かって手を振っている。
「なんだろう、これ知ってる。凄く懐かしい……」
白い光に包み込まれ時空の移動が始まったようだが、智晴は意識を保っていることができない。そんな智晴を我鷲丸が抱き寄せてくれた。
薄れていく意識の中、智晴は夢を見る。それはひどく懐かしいものに感じられた。
◇◆◇◆
「あ、雨だ! 武尊様、雨が降ってきました!」
「本当だ。やっぱり武尊様は都で一番の陰陽師ですね」
「武尊様、雨雲を呼んでくださりありがとうございます」
嬉しそうにキラキラした瞳で、自分を見つめる着物を着た子供達。空を見上げれば真っ黒な雲に覆われ、滝のような雨が降っていた。庭にある大きな池に雨が降り注ぎたくさんの波紋を作っている。
「よかった! これで畑の作物も育ちます!」
「ありがとうございます。陰陽師様!」
「こらこら、みんな。雨に濡れてしまいますから寺にお入りなさい」
ずぶ濡れになりながら大はしゃぎをする子供達を、武尊と呼ばれたその青年は穏やかな瞳で見つめている。
「やったー! 雨だ、雨だ!」
その子供達の横で同じようにはしゃいでいるのは、河童の子供達だ。でも、人間の子供達にはその河童の姿なんて見えているはずなどない。
「ふふ。みんな嬉しそうでよかった」
武尊と呼ばれた青年が、嬉しそうに微笑んだ。
「相変わらずお人好しだな。あんな子供たちを喜ばせて、一体なんの得があるんだよ?」
「得? そうだなぁ、敢えて言うのなら、皆の喜ぶ顔が見れたことかな」
「はぁ……くだらんな」
武尊の隣で唇を尖らせているのは……我鷲丸? 不貞腐れたような顔をしながら、子供たちに冷たい視線を向けている。
「ふふっ。もしかして我鷲丸はヤキモチを妬いてるのか?」
「はぁ!? 何言ってんだよ!?」
「あはは! そんなに焦って……お前は可愛いなぁ」
「う、うるせぇよ」
真っ赤な顔をしながら武尊を睨みつける我鷲丸。そんな我鷲丸の頭を武尊は優しく撫でてやっている。そんな手など簡単に振り払ってしまえばいいものの、黙って撫でられているあたり、我鷲丸も口ほど邪険には感じていないようだ。
――あいつ、あんな顔をするんだ……。
今まで、自分には見せたことのない表情をする我鷲丸を見ていると、胸の中がモヤモヤとしてくる。
「私は我鷲丸だって大切だよ」
「だからうるせぇって言ってんだろう」
そんな二人のやり取りを、遠くから見守ることしかできなかった。
智晴が目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。
はっきりしない頭で辺りを見渡せば、ここは寺だろうか? 太く立派な木材を使用していて重厚感が漂っているのに、壁や柱に施されている装飾は繊細で上品だ。装飾品は所々金箔が貼られ、煌びやかに見える。赤を基調にしたこの建物は、教科書に載っているような立派な寺院だった。
すぐ近くに池があるのだろう。天井に水面がユラユラと映し出されている。
広い部屋は美しい屏風で区切られており、風通しの良い場所に智晴は寝かされていた。
「ここどこだ? 凄い立派なお寺だなぁ」
先程まで近くにいた我鷲丸がいないことに不安を感じた智晴は、静かに体を起こして辺りを見渡した。
「我鷲丸……」
小さな声で呼んでみる。
よく知りもしない妖怪なんかを信じ、のこのことついてきてしまったことを、今になって後悔する。本当にあいつが言っていたことは本当なんだろうか。このまま戻れないのではないか……。そんな強い恐怖に襲われた。
「あ、目が覚めたのか? 時空の歪を超えたくらいでぶっ倒れるなんて、本当に情けない奴だ。もう大丈夫か?」
「あ、我鷲丸……」
つっけんどんに話しかけてくる我鷲丸を見た瞬間、思わず全身の力が抜けていくのを感じた。
「ここ、どこなんだ? それにさっき、夢を見たんだ。多分、武尊の夢だった……」
「ここは武尊の死後百年の世界。武尊が生きていた頃、俺達式神と一緒に暮らしていた
「武尊が暮らしていた寺……」
「そうだ。当時の帝に可愛がられていた武尊は、陰陽寮ではなくこの寺を与えられ暮らしていたんだ。初夏には武尊の好きだった蓮の花が庭にある池を埋め尽くしたし、秋には紅葉、春には桜が咲き乱れた。それに、色々な妖怪が訪れる賑やかな寺だった。武尊と同じ時代に生きた妖怪で今もこの寺に来るのは、俺しかいないけどな」
懐かしそうに、でもどこか寂しそうに話す我鷲丸を見れば、武尊がいかに妖怪から慕われていたのかがわかる。
「他の妖怪達はどうしたんだ?」
「他の奴らは武尊が死んだ後妖力が衰えて消えていったか、黒羽の手下の低級妖怪に喰われちまったか……」
辛そうに顔を顰める我鷲丸に、智晴の心もズキンと痛む。
「俺は黒羽が許せねぇ」
その話を聞いた智晴は、我鷲丸のように武尊を慕っていた妖怪達を助けてやりたいと思う反面、こんな非力な自分に一体何ができるのだろうかと不安にもなる。なぜなら今の自分には、陰陽師だった頃の武尊の記憶は全くないのだから。たまに降ってわいてくるような感覚に襲われて、そのとおりに行動してみるものの、それすらも常にあるものではない。
怖くて、不安で仕方ない。
しかし、今自分が「帰りたい」と口にしたら我鷲丸はどう思うだろうか。このまま帰ってしまったら律さんは……。そう考えると、軽々しく「帰る」などとは言い出せなかった。
「もうすぐ『
「た、頼むって……一体何を?」
慌てた智晴は、咄嗟に我鷲丸の腕をギュッと掴む。情けないことに、自分が何をすればいいのかがわからないのだ。
「もし妖怪が都で暴れ出したら一緒に退治して欲しい」
「俺が、妖怪を?」
「そうだ。ほら、これを着ておけ。その格好はこの時代では目立ってしょうがない」
我鷲丸から手渡されたものは、平安時代貴族が着ていた狩衣(かりぎぬ)という洋服と烏帽子だった。
白い狩衣には、
狩衣に身を包めば、「馬子にも衣裳だな」と呆れたように我鷲丸に笑われてしまった。
◇◆◇◆
「騒ぎ出した……」
遠くの方にうっそうと生い茂る竹林を見ながら、我鷲丸が溜息をつく。
「何が騒ぎ出したんだ?」
「妖怪に決まってんだろう。いいか、いつ襲われても対処できるように護符を懐に忍ばせておけ。お前からは武尊の匂いがプンプンする……この匂いを嗅ぎつけた低級妖怪共がやってくるかもしれない。まぁ、武尊が死ぬ前に結界を張ってたから、悪意のある妖怪はこの寺に入ってこれないだろうけどな」
寺の太い柱には所々護符が貼ってあり、その護符から蜘蛛の糸のようにキラキラと輝く糸が伸び寺全体を覆っている。きっと、これが結界なのだろう。
よく見れば、律が持っていた護符と、武尊が結界を張る為に使っている護符に書かれている文字は同じものだった。
ガサガサッと裏山から何者かが駆け下りてくる気配に、智晴の体が一瞬で強張る。何か恐ろしい妖気を放った者が、この寺目掛けてやってくる……痛いくらいに心臓が高鳴り、足がすくんだ。
懐にしまってある護符を無意識に鷲掴みにする。
「来たぞ。気を付けろ、智晴」
「う、うん」
音がするほうを睨み付けながら、我鷲丸が唸るように声を出した。
気を付けろと言われても一体何に気を付ければいいのだろうか……何もわからないまま、智晴は息を殺し暗闇を凝視した。
「来た!!」
「わぁぁぁぁぁ!!」
耳をつんざくような「武尊ーーー!!」という声と共に姿を現したのは、真っ黒な鬼だった。反射的に逃げ出したくなった智晴は、グッと奥歯を噛み締める。
「ぎゃぁぁぁ!!」
黒鬼が真っ赤な口を開けながら智晴に飛び掛かろうとした瞬間、雷が落ちたかのような爆音と共に眩い閃光が飛び散った。
「結界だ……結界が守ってくれた」
「あぁ。でも、それもただの足止めにしかならない。こいつの妖力なら結界を破るのも時間の問題だろう」
「おのれ、おのれ、陰陽師!!」
「本当だ。結界が、結界が……破られる……」
怒り狂う黒鬼が絶叫すると、結界の糸がプツプツッという音と共に歪み始め、強風が吹き荒れる。まるで地震でも起きたかのように寺が揺れて、頼みの綱だった結界が破れ去った。
「喰ってやる!! 武尊ーーー!!」
「嫌だ……来るな……」
まるで体が凍り付いてしまったかのように動かない。逃げなければ……頭ではそうわかっているのに、体が言う事を聞いてくれないのだ。
「来るなぁぁぁ!!」
「智晴!!」
智晴に掴みかかろうとした黒鬼に、我鷲丸が突進していく。しかしその姿に勢いはなく、妖力が戻りきっていないことが見て取れた。智晴がそうだったように、やはり我鷲丸も時空の移動で消耗していたのだ。それでも果敢に黒鬼に向かっていく我鷲丸の姿に、胸が熱くなる。
――何かしなきゃ……。
そう思うのに、やっぱり智晴の足はまるで根が生えてしまったかのように動かない。
「グハッ!!」
物凄い音と共に我鷲丸が硬い地面へと叩きつけられる。その衝撃は地響きがする程のものだった。
「アハハハ! かの有名な陰陽師の式神と言っても大したことはないな。薄汚い狐ではないか!」
「ハァハァハァ……畜生……妖力さえ戻っていれば……」
それでもフラフラしながら立ち上がり、再び黒鬼へと向かって行こうとする我鷲丸が痛々しくて……涙で視界が滲む。
「あいつ、あんなボロボロになりがら戦おうっていうのかよ……それなのに、俺は、俺は……俺も強くなりたい……我鷲丸と一緒に戦えるように……」
悔しく情けなくて、智晴の頬を涙が伝う。それを手の甲でゴシゴシと拭い、懐から護符を取り出す。震える右手の人差し指と中指にそれを挟んで、大きく深呼吸をしてから目を見開いた。
「頼む、武尊……俺に力を貸してください」
不思議と武尊が近くにいる気がして、勇気が湧き上がってくる。
――大丈夫、俺はできる……。
智晴はそっと呪いを唱えた。
目を開けていられない程の眩い光が黒鬼を包み込む。その神秘的な光景に思わず息を呑んだ。
「この世に蔓延る悪しき者よ。直ちにここを立ち去り、あるべき所へ帰るのだ。急急如律令」
「ぎゃあぁぁぁぁ!!」
護符がサラサラと音をたてて消えていき、黒鬼の断末魔が静かな暗闇に響き渡る。青白い光を放つ五芒星の光に包まれながら、智晴はそっと鬼に手を伸ばした。
「よしよし、いい子だ。お前がいるべき場所はここではない。さぁ、山へお帰り」
「グルグルル……」
「いい子だ。お帰り」
頭を撫でてやれば、黒鬼は剥きだしていた牙を引っ込めて素直に裏山へと戻って行った。
「はぁはぁ……良かった。もう駄目かと思った……」
突然の脱力感に襲われ、その場にヘタヘタッと座り込む。黒鬼が去った今、辺りは静まり返り物音ひとつしない。当たり前だ、この世界には深夜に営業している店も無ければ、テレビのような電子機器もないのだから。
怖いくらいの静寂の中、自分の鼓動と荒い息遣いだけがやけに鼓膜に響いた。
「また助けられたな、ありがとよ」
「あ、うん……」
我鷲丸が少し照れくさそうにはにかんだ。少しでも我鷲丸の役にたてたことが智晴は嬉しかった。
それと同時に、胸がギュッと締め付けられる感覚に襲われる。我鷲丸の笑顔を見ていると多幸感に包まれるのに……なぜだろうか? とても苦しい。
――なんなんだよ、これは……。
智晴は唇をキュッと結んで俯いた。
◇◆◇◆
「うわ、我鷲丸、酒臭い」
「いちいちうるせぇなぁ。寺を漁っていたらいい酒が見つかったんだよ。ひよっこのお前が立派に戦えるようになってきたから、祝ってやってんだ。感謝くらいしろよ」
そう言いながら縁側にドカッと腰を下ろす我鷲丸。かなり酔っているようだが、ひどく機嫌がいい。智晴の頭を乱暴に撫でてくれた。
「昔はよく、こうやって武尊と酒を飲んだもんだ」
「武尊と?」
「そうだ。酔ったあいつは本当に艶っぽくてな。普段は蝋みたいに白い肌がほんのりと桃色に染まり、唇はまるで紅をさしたかのように真っ赤になった。本当に、色っぽかったなぁ」
まるで記憶を掘り返すかのように遠くを見つめる我鷲丸。だらしくなくはだけた着物姿が男らしくて、目のやり場に困ってしまった。
「我鷲丸は本当に武尊が大好きだったんだな」
「はぁ?」
「だって、いつもいつも武尊の話ばかりしてるじゃん。きっと、我鷲丸の頭の中は武尊でいっぱいなんだ」
「ふーん。で?」
「……で? って、なんだよ?」
まるで悪戯を思いついたときのような顔で覗き込まれると、鼓動が段々速くなっていくのを感じる。こういった我鷲丸の一面を目の当たりにすると、いかに自分が子供かということを思い知らされてしまうのだ。
我鷲丸の耳がピクピクと嬉しそうに動く。きっと、何かよからぬことを思いついたのだろう。
「お前は、武尊にヤキモチを妬いてるのか?」
「ヤ、ヤキモチ!? そんなわけないだろう!」
「ふふっ、天邪鬼だなぁ。武尊は絶世の美人だったけれど、俺はお前みたいに可愛い感じも好きだぜ?」
「な、なにを言ってんだよ! ちょ、ちょっと我鷲丸!」
楽しそうに口角を上げる我鷲丸に突然その場に押し倒されて、背中を強く打った智晴は眉を顰める。硬い縁側に馬鹿力で押さえつけられてしまった智晴は、呼吸さえできなくなってしまった。
「離せ、我鷲丸!」
「いいだろう? ちょっとくらい……」
「嫌だ、離せ!」
体を捩って振り払おうとしたが、貧弱な智晴が強靭な我鷲丸に敵うはずがない。恐る恐る薄目を開ければ、豊かな尻尾を揺らしながら目を細める我鷲丸と、視線が絡み合った。
――こいつ絶対俺をからかってやがる。
悔しくて、それ以上に恥ずかしくて、涙が溢れ出しそうになった。
「いいぜ、別に相手してやっても。久しぶりに上等な酒にありつけたから、今日の俺は機嫌がいいんだ」
「……相手って?」
「はぁ? お前そんなんも知らないのか? よし、じゃあこの我鷲丸様が教えてやるよ」
満面の笑みを浮かべた我鷲丸が舌なめずりをする。その瞬間、ようやく我鷲丸の言った意味が理解できた智晴の背中を寒気が走り抜けた。
「やめろよ、俺は武尊じゃないぞ」
「そんなのはわかってる」
「じゃあなんで?」
「なんでって、お前が可愛いから」
「は?」
予想もしていなかった言葉に体が凍り付いたかのように動かなくなってしまう。それが余程面白かったのだろう……我鷲丸が首筋に舌を這わせてきた。
生まれて初めて感じる舌の温もりに、ヒュッと喉が鳴る。
「この馬鹿狐め、離せよ」
「いてぇな、大人しくしてればいい思いさせてやるから」
「嫌だ、嫌だ、我鷲丸、怖い……!」
思いきり片方の耳を引っ張れば、簡単にその手を振り払われてしまった。
「智晴も黙ってれば可愛いのにな」
「我鷲丸……」
「大人しくしてろよ。俺だって……人恋しい時だってあるんだからな……」
「え? ちょ、ちょっと……」
突然我鷲丸が倒れ込んできたと思ったら、耳元で穏やかな寝息が聞こえてきた。
「嘘だろ……」
散々人を弄んだ挙句寝てしまうなんて。沸々と怒りが込み上げてくるのを感じる。
「起きろ、このエロ狐!! 重たいんだよ!!」
「いってぇな!!」
智晴が思いきり尻尾を引っ張れば、静かな蓮寺に我鷲丸の悲鳴が響き渡った。
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