第二章 思い出の地へ

「あらあら、天井に随分と大きな穴が空いたのね」

 律が帰宅した時には、辺りは真っ暗になっていた。

 鬼が屋敷を飛び出す時に突き破った穴からは、綺麗に輝くたくさんの星が見える。どうしよう……智晴はその天井の穴を見つめ、血の気が引く思いだった。

「ごめんなさい、律さん。これは、えっと……」

「ふふっ。まるで鬼が来たみたいね」

「え、なんでわかったの?」

「鬼の匂いがプンプンするわ。それに……妖狐さんは随分綺麗になったのね? 元気になったみたいじゃない」

「ああ、お陰様でな」 

 律が目を細めれば、我鷲丸はぶっきらぼうに答える。

「こんな綺麗な妖狐、初めて見たわ。武尊さんを迎えに来たのね?」

「まぁな。でも、こんな子供みたいな姿に生まれ変わっているとは思わなかったぜ」

「可愛いでしょ? 私の自慢の孫よ」

「犬っころみたいじゃねぇか。気品も無ければ迫力もない。それに色気もな……こんなんじゃ、千年の恋も冷めちまうぜ」

 ガッカリしたように溜息をつく我鷲丸を見て、律がクスクスと笑っている。

「一体何を話してるんだ……?」

 つい先程自分の身に起きた出来事が、未だに理解しきれていない。あんなに恐ろしい鬼に襲われたのだって初めてだったし、律も『武尊』を知っているのか。

 それに、鬼を目の前にした時に頭の中に響いた男の声……。頭の中に声が聞こえるなんて初めてなのに、その声はひどく懐かしいものだった。

 それになぜだろうか? 胸が苦しい。

「大工さんに屋根の修理を依頼しましょうね」

「ごめんなさい、律さん」

「智君が謝ることなんてないわよ。それより怪我はなかった?」

「うん、大丈夫」

 律は智晴を観察するかのように視線を配っていたが、やがて安心したのかにこりと微笑んだ。


 律が電話をかけるために部屋から出ていくと、カサカサッと部屋の隅から物音が聞こえる。

「まさか、また鬼か……」

 恐る恐る振り向くと、そこにはまだ幼い妖怪がいた。鬼が暴れたせいで殺気立っているのか、毛を逆立てている。グルルルと低い唸り声を上げ、智晴を睨み付けていた。

「あ、ごめんね。突然あんな鬼が出てきたからびっくりしたよな。よしよし、こっちにおいで」

「おい、大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫だ」

 心配そうに腕を引く我鷲丸の手を静かに振り払う。怯えたように威嚇する妖怪に近付き、優しく話しかけながら頭をそっと撫でた。

「もう大丈夫だよ。だから、仲良くしよう」

 頭を撫でてやると、殺気立っていた獣はすぐに穏やかになり……智晴の手をペロペロと舐め始める。

「姿は変わっても……その能力は変わらないんだな」

「ん? 何が?」

「何でもない」

 そんな智晴を、我鷲丸は溜息をつきながら見つめたのだった。


「何で俺までこんなこと手伝わなきゃなんないんだよ」

「いいから黙って手伝えよ」

「俺は気高き妖狐だぞ!?」

「わかったよ、後でいなり寿司あげるから」

「いなり寿司……?」

 いなり寿司、と聞いた瞬間我鷲丸の大きな耳がピクピクッと動き、フサフサの尻尾が左右に大きく揺れ始めた。

――こいつ、こんなに強面のくせにいなり寿司なんかに反応してんのか?

 そう思うと可笑しい。

「いつ雨が降るかわからないから、とりあえず今日の内に穴だけは塞いでおきたいんだよ。ほら、我鷲丸も手を動かして」

 「チッ」と舌打ちをしながらも、大きな木材を軽々と運んでくるその姿は本当に逞しい。

 この口の悪い妖怪といることが、少しだけ心地いいことに智晴は気づいていた。まるで、ずっと前からこの妖狐を知っていたような……。

 ようやく屋根の修繕が終わった時には、すっかり夜も深まっていた。

 月明かりが我鷲丸の綺麗な髪をキラキラと照らしている。あの小さくて震えていた狐がこんな姿になるなんて……。その整った容姿は、男の智晴でも見惚れてしまう程だった。

「なぁ……聞いていいか?」

 少し躊躇いを感じながらも、屋根の上に並んで座っている我鷲丸に声をかけた。

「お前は俺のことを知ってんの? 鬼もお前も、俺のことを『武尊』って呼んでた。なぁ、武尊って誰だよ?」

 我鷲丸は驚いたように目を見開いた。それから、プイッと目を逸らされてしまう。

 冷たい夜風が、智晴の猫っ毛を優しく撫でていった。

「お前達人間からしたら大昔……平安と呼ばれていた時代のことだ。その頃は、陰陽師と呼ばれる特別な能力を持った者達がいて、都を妖怪や怨霊から守っていたんだ。楪武尊ゆずりはたけるは、都で有名な陰陽師だった。武尊は他の陰陽師のように退治するんじゃなくて、手懐けることで妖怪や怨霊を制圧していた。そんな俺も、いつだったかすっかり武尊に手懐けられちまったけどな」

「手懐ける……?」

 どこかで聞いたことがあるような話だった。

「そう。こうやって頭を撫でることでな。そうやって手懐けられた俺は、式神として武尊に仕えていた。制圧された妖怪は、陰陽師の式神になるかどうか自分で決められるんだ。で、式神になると決めたらその陰陽師と契約を結ぶ」

 そう言いながら我鷲丸は智晴の頭を乱暴に撫でる。


「武尊は、それはそれは美しい男だった。漆黒の髪に絹のような肌。その瞳は湧き上がる泉のように生命力に溢れつつも穏やかで……頭脳明晰、呪いや占いだって得意だった。もちろん俺は式神としての役目も果たしたが、奴の吹く横笛を聞きながら酒を飲むのが好きだったんだ」

「へぇ……」

 智晴は不思議でならなかった。

 いくら有能な陰陽師と言えど、プライドの塊のように見えるこの妖狐が大人しく誰かの式神に納まるような玉には見えなかったからだ。

「それなのに、あいつは俺を残して逝っちまった。人間の命の儚さを、その時思い知ったな……」

 我鷲丸が目を細め月を仰ぐ。その姿は、今は亡き人を懐かしんでいるように見えて。武尊という陰陽師を慕っていたことが伝わってきた。

「俺は武尊が生まれ変わるのを信じて待つことしかできなかった。俺達妖怪の命は限りないものだからな。なのに待って待って、どんなに待ち侘びても、武尊はなかなか生まれ変わって来なくて……それで俺も、長い年月が経ってだんだん妖力が衰えて、狐の姿に戻ってしまった。それでも……」

「……それでも?」

「かすかな武尊の妖気を感じた俺は、最後の力を振り絞ってここまで探しにきたんだ」

「……いや、ちょっとまってよ」

 さすがの智晴も、ここまでの話を聞いて理解すると同時に、少々察することがあった。しかしそれは、自分自身に降りかかるものとしては些か信じる気が起きないような話だ。

 思わず妖狐に対して、怪訝そうに顔をしかめる。

 我鷲丸は構わず続けた。

「武尊は既に生まれ変わって、この世界で生きている」

 そう話す我鷲丸の瞳には、一筋の希望の炎が宿っているように見えた。

「そう、ようやく見つけたんだ。武尊よ」

「え?」

 我鷲丸が智晴の腕をギュッと掴み、怖い位に真剣な顔で覗き込んでくる。

「探したぞ、武尊」

「……! じゃ、じゃあやっぱりその……う、嘘だ。まさか俺が…」

「いいや、間違いない。お前は楪武尊の生まれ変わりだ。ずっとお前を待っていたんだ」

「俺の前世は、陰陽師だったってこと!?」


◇◆◇◆


「んんッ。朝か……。え、え、ちょっと!?」

 昨日の出来事は全て夢だったに違いない。あの屋根はきっと無傷だし、いやにイケメンの妖狐だっていないはずだ。そんな智晴の望みは、一瞬で崩れ去ってしまう。

「ん? なんだ?」

 眩しい日差しに薄眼を開けると、智晴は逞しい腕を枕に、温かな胸の中で眠っていた。その状況を把握した途端、一気に現実へと引き戻される。

――なんで俺はこいつの腕枕で寝てるんだ……。

 慌てて自分の寝間着と体を確認してみるが、昨夜寝る前と変化はなかった。なぜこうなったのか詳細はわからないが、とりあえず一瞬想像してしまった淫らな出来事はなかったのだろうと、胸を撫で下ろす。

「マジか……夢じゃなかったんだ……」

 整った我鷲丸の寝顔を見て、再度呆然とする。それと同時に、メラメラと怒りが込み上げてきた。

「てかなんで、狐の分際で俺の布団に寝てんだよ!」

「いてぇーーー!」

 智晴のゲンコツが我鷲丸の頭に炸裂したのだった。


「チェッ。添い寝くらいでイライラすんじゃねーよ。武尊はもっと慈悲深かったぞ」

「はいはい、そうですか。大体、まだ俺が武尊だって決まってねぇだろうに。それにお前、武尊と添い寝してたのか?」

「いや、お前は武尊だ。別に添い寝は……わぁ!?」

 歯磨きをしている智晴の隣で電動歯ブラシのスイッチを入れてしまったらしく、大声を上げている。

「な、なんだこれは!? 平安の世と大分変わってしまったようだな」

「そうだろうね」

 智晴は構わず、歯磨きをし終えて、口を拭きながら我鷲丸をチラっと見やって。

「自動車とかスマホ見たら腰を抜かすかもな」

「そういや律は素晴らしい呪術を使っていたぞ。薪を使わずに火を起こしていた」

「ん? あー、ガスコンロのこと?」

「ガスコンロというのか? 実に素晴らしい術だ」

「あははは! 我鷲丸は面白いな」

 その後も我鷲丸は見る物全てにいちいち驚き目を輝かせ、そんな姿に智晴は腹を抱えて笑ったのだった。


「はい、我鷲丸。スイカ」

「すまん」

 縁側に寝ていた我鷲丸が体を起こし、律が切ってくれたスイカにかぶりついた。この男の喰いっぷりの良さには毎度惚れ惚れする。

「なんだ祭りか? 今日は随分賑やかだな」

「うん。今日は稲荷神社のお祭りなんだ」

「変わらんな、祭りっていうものは。平安の世と変わらず、華やかでいいものだ」

 遠くを見つめ、懐かしそうに目を細める。そんな我鷲丸にそっと問い掛けた。

「なぁ、俺って本当に楪武尊の生まれ変わりなのか?」

「おぉ、多分な」

「え、多分?」

「俺も段々自信が無くなってきたんだ。大体、武尊はこんなお子様みたいな風貌をしてなかったしな。まるで女みたいに綺麗で、色っぽくて……はぁぁ……」

「悪かったな! わざとらしく溜息なんかつくな。童顔なのは母親譲りだよ」

「そうやってムキになるところも武尊とは違う。あいつは、怒るどころか声を荒げることさえなくて。いつも穏やかに笑ってた」

「そっか……」

 明らかに自分とは似ても似つかない武尊という人物像に、智晴は肩を落とす。

――は? なんで俺ガッカリしてんだ?

 武尊の生まれ変わりだったらなんなんだよ……。無言で考えながらスイカをかじっていた時、また事件は起こった。


「危ない!」 

 庭の池から突然飛び出してきた何者かが智晴に襲い掛かかったところを、間一髪で我鷲丸が抱き抱えてくれたのだ。

 空高く飛び上がった我鷲丸にしがみつきながら、池のほうに目を凝らす。その恐ろしい姿に息を呑んだ。

「鬼だ……」

「あぁ。この前襲ってきた鬼とはまた違った種類だけどな」

「本当だ。角が三本ある」

「祭りの騒動で目を覚ましたか。あいつは気性が荒いから気を付けろ」

「気を付けろって……どうやって……」

 すると突然三本角の鬼が空高く飛び上がり、牙を剥き出しにする。

「お前、武尊か? あの時の恨みは忘れはしない!」

「バレたな。しっかり掴まってろよ」

「え? わぁぁぁぁ!!」

 我鷲丸が鬼に向かって突っ込んでいくものだから、智晴はしがみつくことしかできない。そんな智晴を我鷲丸はまるで庇うかのように抱き寄せてくれた。

「なんだよ、これ……武尊武尊って、本当に意味がわかんねぇ」

 飛び回る我鷲丸に振り回されながら、なんで最近こんな凶暴な妖怪ばっかり……と疑問が湧き上がる。

「グハッ!」

「フハハハハ! 式神なんて大したこともない!」

 鬼の鋭い爪で深い傷を負った我鷲丸が、短い悲鳴を上げて一気に地上へと落下していき、うっすら浮かんだ疑問なんて一瞬で吹っ飛んでいく。

 地面が抉られるほどの勢いで地面に叩きつけられたが、我鷲丸が庇ってくれたおかげで智晴は傷一つ負ってはいなかった。

「チッ、情けねぇ。あんな雑魚相手に……まだ妖力が完全に戻っていないようだ……」

「我鷲丸、大丈夫か?」

 苦痛で歪める顔を覗き込めば、強がって笑みを浮かべていた。

「いいから、お前は逃げろ」

「でも、お前を置いては……」

「今のお前に何ができる? 足手まといでしかないんだよ」

「そんな……」

「早く、逃げろ。稲荷神社までは追ってこないはずだ」

 痛みを堪えながら我鷲丸が立ち上がろうとした瞬間……凛とした声が響き渡った。


「三本角の鬼よ、私が相手だよ」

「……! 律さん…!?」

 その声の主は律だった。確かに律には凄い能力があるのかもしれない。でも、相手はそんなレベルではない。智晴は本能的にそう感じていた。

「駄目だ、律さん! 逃げて!」

「大丈夫よ、智君。だって、私はあなたのおばあちゃんだもの」

「律さん」

「さぁ、鬼よ。かかってきなさい」

「ふざけるな、ババァが!」

 怒り狂った三本角の鬼が律目掛けて突進していく。その凄まじい形相に、智晴の心臓がバクンバクンと飛び跳ねた。

「止めろ! 律さんに手を出すな!」

 そう叫んだ時、再びあの時のような……我鷲丸の封印を解いた日のような不思議な感覚に包まれた。


「大丈夫ですよ、私が付いてますから。やれますか?」

「うん。大丈夫だよ」

「では、参りましょう」


 再び頭の中に響く声に身を委ねるように、そっと呼吸をする。あの時壁に貼ってあったもう一枚の護符をポケットから取り出し、両手を合わせて目を閉じた。

「我らに害をもたらす者よ、ここに命ずる。在るべき場所へと帰るのだ。急急如律令」

 智晴が目を開いた瞬間、その足元に淡い青色の光を放つ五芒星の陣が現れる。その陣を見た瞬間、鬼が悲鳴を上げた。

「おいで、三本角の鬼よ。友になろう」

 静かに鬼に手を差し出すと、淡い光に包まれた鬼が静かに頭を垂れた。その姿を見た智晴は、そっと鬼の頭を撫でてやる。

「よし、いい子だ。お前の在るべきところへお帰り」

「グルルルルッ」

 鬼は甘えた声を出しながら光に導かれるように消えていく。

「よかった……」

 律が無事なことをうっすら確認しながら、智晴は少しずつ意識を手放した。 


◇◆◇◆


 遠くから、虫の鳴き声と風鈴が揺れる音が聞こえてくる。涼しい風が、汗で額に張り付いた髪を優しく撫でていった。

「あ……我鷲丸……」

「ようやく目が覚めたか」

 涼しい風は我鷲丸が団扇で扇いでくれているためだと知った智晴は、一気に心が落ち着く。

「鬼は?」

「在るべきところへ戻っていったよ」

「そっか……」

「見事だったぞ、智晴」

 初めて我鷲丸に自分の名を呼ばれたことに気づいて、そっと手で顔を覆う。

「なぁ、なんでこんなにも鬼が襲ってくるんだ? 今までこんなことなかったのに……」

「聞きたいか?」

「うん。聞きたい」

 布団から飛び起きた智晴を見て、我鷲丸が大きな溜息をついた。

「武尊が生きていた時代、妖怪の世界と人間が暮らす世界の境界線が曖昧になって、妖怪が人間の世界へ来ては悪さをするようになった。そんな妖怪を退治していたのが陰陽師だ。悪さをする妖怪の中でも一番強いと思われていたのが、鬼の『黒羽くろば』。武尊は自分の命と引き換えに、黒羽を封印した。黒羽がいなくなったことで、他の妖怪たちもむやみに人間界に手を出すことはなくなった」

「命と、引き換え……」

 最近まで名前すら聞いたことがなかった人なのに、胸がギュッと締め付けられた。

「黒羽が封印されて都には再び平和な暮らしが戻った……が、武尊の式神だった俺達は、悲しみに打ちひしがれる日々を送った。同じ妖怪とはいえ、式神になっている奴とその辺の妖怪じゃ立場が違うからな。武尊を失った俺達の妖力はどんどん弱くなって、深い眠りにつく式神もいた。いつか武尊が生まれ変わったならば、必ず迎えに行こう……そう心に誓って、俺も社で眠りについたんだ」

 いつも強気な我鷲丸が寂しそうな顔をしたものだから、咄嗟に智晴はその頭を撫でてやる。かつて、武尊がこうしてやっただろう……と思いながら。


「そのまま武尊が生まれ変わるまで待とうと思っていたんだが、武尊が死んで百年たった頃、平安の地を大きな災害が襲った。川は氾濫し山は崩れ……その被害は相当なものだった。本来黒羽の封印は永久に効力を発揮するはずだった。だがそんな天災のせいで、黒羽が封印された山が崩れて奴が目覚めた」

「封印が、解けたのか?」

「あぁ。閉じ込めていた山自体が崩れちまったからな。目覚めた俺や武尊の意志を継ぐ陰陽師達がなんとかもう一度黒羽を封印したが……やっぱり武尊の力には及ばなかった。永久の封印にはできなくて、千年たった今、黒羽の封印の効力が解けてしまったんだ。最近妖怪が増えたのはそのせいだ。前回封印が解けたときは武尊なしで戦わなければいけなかったが……、このタイミングで武尊と同じ匂いのする魂の存在を感じ取った。それが、俺がお前の前に現れた理由だ」

 今まで疑問に思っていたことが、ようやく一本の線に繋がった気がした。

「頭の中で聞こえた声は……武尊だったんだ」

 今なら自分の中にしっかり武尊の存在を感じる。不思議な力が湧き出るような感覚に、思わずグッと拳を握り締めた。


「俺は、お前を連れにきた……。なぁ、智晴よ」

 いつになく真剣な顔で見つめられれば、視線を逸らすなんてできるはずもなくて……黙って我鷲丸の言葉に耳を傾けた。

「俺と共に武尊が死んだ百年後の平安の地へ行って、もう一度お前の力で黒羽を封印してくれないか?」

「え……平安の地って……ど、どうやって行くんだよ? タイムマシーンにでも乗ろうっての?」

「たいむ……?なんだそれは? まぁそれはさておき……お前なら行ける。黒羽を完璧に封印できるのは、武尊の生まれ変わりであるお前しかいない。平安の世だったら、協力してくれる式神の仲間だっている。現代で妖怪の被害を出さないようにするには、平安の世で永遠に黒羽を封印するしかないんだ。そうしないと……黒羽の封印が解けた今、お前に復讐しようと再びたくさんの鬼がお前を襲いにくることだろう」

「そんな……最近妙に多くなったとは思っていたけど、これ以上に……? そしたら律さんの身にも危険が及ぶ……?」

「そうだ。だからこそ、黒羽を倒さなければならない。共に行こう、平安の地へ」

 金縛りにかかったように体が動かない。心臓がバクバクと鳴る音と、古い柱時計の振り子が揺れる音が嫌に鮮明に聞こえてきた。


「律さんは……俺が知ってる肉親の中で、唯一妖怪が見える人なんだ。だから、小さい頃から俺はいつもここに来てた。律さんだけが俺の気持ちをわかってくれたし、妖怪から守ってくれた。俺の、たった一人の味方なんだ……」

 膝の上で拳を作りギュッと握り締める。不覚にも涙が溢れてきそうになった。

「だから今度は俺が律さんを守りたい。行くよ、我鷲丸。俺、お前と一緒に黒羽をもう一度封印する」

「ありがとう。智晴」

「でも、本当に俺なんかで役にたつのか? 逆に足手まといにしかならないかもしれない」

「そんなことはない。お前は優秀な陰陽師の生まれ変わりだ。もっと自信を持て。大丈夫だ」

「……うん、わかった」

 再び我鷲丸を見上げるその瞳には、一切の躊躇いも見られなかった。

「わかったなら、もう少しだけ寝ていろ。一気にいろんなことが起きたから疲れただろう?」

「あ、うん。ありがとう」

 我鷲丸が智晴の髪を乱暴に撫でた瞬間……一つの映像が頭に浮かんでくる。

――なんだこれは? 

 それは智晴には全く記憶にないもいのだった。


「武尊、お前は俺が絶対に守るからな」

「ありがとう、我鷲丸」

 目の前で顔を赤らめた我鷲丸が幸せそうに笑う。智晴の前では、不愛想で可愛さのかけらもない我鷲丸の屈託のない笑顔に、思わず言葉を失ってしまった。

 我鷲丸は自分のことを武尊と呼んでいたから、もしかしたら武尊の記憶なのだろうか? 見てはいけないものを見てしまったという罪悪感と、もっと我鷲丸のことを知りたいという願望で、胸が苦しくなった。


 

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