第3話 ただの商人

 榊の額には、銃弾がしっかり食い込んでいる。銃弾に沿って血が流れだし、顔の中央を川のように流れている。決して軽傷ではない。だからと言って、死に瀕する様子は無い。銃弾を指で摘まんで穿り出し、丸く空いた穴を痛そうに擦る。血の流れが止まり、指を離すと綺麗に塞がっていた。


「そろばんジジイに、「見る目が無い」って言われちゃうな…」


 パーカーに付いた土埃を払い、呆気にとられる隼士に手を伸ばす。


「ば、化け物!」


 榊の手を払い、隼士は再び狙撃指示。しかし、銃弾は降って来ない。直ぐに切り替えて、護衛の二人を嗾け、榊を撃たせる。だが、銃声は聞こえない。

 榊が伸ばした手を開くと、ライフルと拳銃の弾丸が零れ落ちる。


「人聞きが悪い。僕は、ただの商人。必要に応じて売買をしているだけ」


 震える隼士の頭に、そっと手を乗せる。


「化け物は、君の方だ。欲しい物の為に簡単に命を奪う」


 隼士の様子がおかしい。全身を震わせ、何やらブツブツ呟いている。


「それでも、僕は君を奪いはしない。信じるに足る優しさと、不器用過ぎた生き方を勿体ないと思うから…」


 隼士の頭から、何百枚もの書類と銀色のディスク、沢山の小袋が出てくる。


「強制返品、終了」


 榊は、溢れ出た書類とディスクを不意に現れた段ボール箱に綺麗に仕舞う。段ボールが現れた瞬間を気付けた者は居ない。

 全てを収め終えると、翔子に向かって笑みを見せる。


「もう何も心配する事は無い。お父さんに起きた事も、君に起きた事も、全て無かった事になる。彼をお父さんに認めさせるのは難しいけど、クリア出来ない難題じゃない。頑張って」


 榊は、段ボール箱を抱えて去って行く。


「待って!」


 翔子は、榊を呼び止める。

 榊は、少し困った顔で振り返る。


「あなたは、ゴースト・ナイトなの?」

「僕は、ただの商人。幽霊でも、騎士でもない」


 翔子は、去ろうとする榊の手を掴み逃がさない。


「どんな物を取り扱っているの?」

「……興味を持たない方が良いよ。碌な事にならないから…」

「お母さんと話す方法ないかな?」

「何の為か分からないけど、止めた方が良い」


 翔子の手が、榊の腕をすり抜ける。何度掴もうとしても、どうしても掴めない。


「お願い!」

「死者との会話なんて、得られる物が少ない割に代償が大きい。諦めて」


 二人の距離がどんどん離れていく。悔しい、近くに奇跡があるのに届かない。翔子には、母に伝えたい事があった。父ともう一度家族に戻る為に、今と決別するきっかけを得る為に…。


「翔子! 続けろ! その手を追い続けろ!」


 隼士の怒号に押され、執拗に榊の腕を追う。理由も分からないまま。


「そうだ、それで良い!」


 隼士は、頭を押さえながら狙撃手に合図を送る。今度は、銃弾が発射され、榊の右肩に命中。段ボール箱をひっくり返し、盛大に倒れる。


「お前でも、二つ同時取引は行えないんだろ? なぁ、エクスキューター!」


 榊は、溢れる血を押さえながら、隼士に向き合う。


「誰から聞いた?」

「そんな事どうでも良いだろ? さぁ、死にたくなかったら、返せ! それは、俺の物だ!」

「そもそも契約は成立していない。君は一度もこの商品の持ち主になっていない」


 護衛の二人が、散らばっている書類とディスクを集める。彼らにとって重要な意味がある物なのか、直ぐに処分しようとする。だが、何度踏んでもディスクは砕けず、火を付けても書類は燃えない。

 狙撃手は、新しい弾丸を込める。狙いは、隼士。先程の狙撃も、隼士の方を狙っていた。にも拘らず、当たったのは榊の方。


「そんな事言っている場合か? 次の弾が来るぞ!」


 狙撃手が放った弾丸が、真っ直ぐ隼士の腰を捉える。しかし、貫通するのは榊の腰。貫通し終わると、弾丸は隼士の腰から放出され、地面に減り込む。狙撃手には、隼士に命中したように見える。実際に出血する榊の様子は見えていない。


「惜しい! もうちょっとで、急所だった。次弾は、約30秒後。どうする? 死を回避する為、お前に出来る事は二つ。俺から買った座標情報を購入するか、返品するか。購入すれば、完全に俺の座標を背負って生きる事になる。返品するには、俺の下まで来なければならない。傷を負った体で」


 隼士の言葉が途絶えると同時に、三発目。今度は、左肺を撃ち抜かれる。


「次も30秒後。これで終わるだろうな」

「………仕方ない」


 隼士は、要求に応じたと思い笑みを見せる。だが、榊は何もしない。


「どうした? 応じるんじゃなかったのか? 早くしろ! さもないと…」

「ちゃんと死ぬんだよね?」

「本気か!」

「それが最善だから」


 四発目が発射され、隼士の心臓を貫く。その直後、榊は血を吐いて倒れる。榊の心臓は鼓動を止め、呼吸は無くなる。隼士は平然としている。

 翔子は、放心状態で項垂れる。


「……隼士、どうしてそこまで?」


 怒りを抱え、隼士が近づいてくる。


「殺した事を責めているのか? それとも、欲望に固執する事を言っているのか?」

「どちらも」

「ウザい事言いやがる。翔子、お前の心にも住んでいるだろ」


 隼士は、榊の亡骸を蹴り飛ばす。


「良い子ぶりやがって、そんなところが気に喰わない。お前が誕生日にネックレスを欲しがったから、俺は最初の犯行を行った。喜んでいたよな? ありがとうって。なのに、俺の事を警察にチクりやがった。ネックレスの事を伏せたまま、善良な通告者の振りをして」

「それは違う! ネックレスの事を知って直ぐに宝石店に返した。あなたの事を話さずに」

「じゃあ、どうして次の犯行が警察にバレた!」

「私が次を知る訳ないでしょ? 思い出してよ、いつも一緒に居た幼馴染のしのぶ君が…」

「忍ちゃんはそんな奴じゃない!」


 二人の記憶には齟齬がある。この件に関しては、隼士も見過ごせない。二人は論戦を繰り返す。その渦中に居るのは、忍と言う人物。翔子は君呼びしているが、隼士はちゃん呼び。女性なのか、男性なのか、何も知らない者には判別出来ない。

 そんな最中、二人の背後で異変が起きる。狙撃手が、狙撃を止めている。隼士が生きているにも拘らず。あんなに殺そうとしていた筈なのに…。


「この話は後にするぞ。今は、こいつを…」


 蹴り飛ばしたばかりの榊の亡骸が無くなっている。見失うような場所ではない。見晴らしが良く、協力者が潜める余地も無い。


「昔話は終わりかな?」


 隼士の肩に、吐血した榊が顔を寄せる。


「君の所為で、心臓が一つ使えなくなってしまった。治す為には、多くの資金が必要になる。大損害だ」

「その言い方、まるでもう一つあるみたいだな…」

「交通事故で亡くなった青年の心臓を、本人の承諾の下に。条件は、家族への対価の支払い、伝えたかった言葉の動画化。どちらも結構高かったんだよ」


 隼士は、狙撃手に合図を送る。やはり、狙撃は行われない。


「心臓の弁償をしてくれって言うのか?」

「本当はそうしてもらいたいけど、今の君にはどう足掻いても捻出できない金額だから…」


 狙撃は諦め、ポケットからナイフを取り出し、自身の胸に突き刺す。


「痛ああああああああ‼」


 座標が元に戻っている。ナイフは、隼士自身を傷つける。


「今更何をしているんだい? 僕の手は、君の棚に届いている。とっくに返品は完了している」


 隼士は困惑する。返品のシステムを理解していながら、返品出来ている可能性を考えていなかった。警戒感の問題ではない。ただ純粋に、忘れている。


「し、知っている。ただちょっと、侮っていただけだ…」

「そうなんだ。まぁ、今となってはどうでも良いけど」


 榊は血を拭いながら、護衛二人を押し退け、散らばった書類とディスクを集め箱に収める。護衛二人は「返して欲しい」と懇願するが、榊は「君たちには資格が無い」と取り合わない。

 隼士は一連の様子を見ながら、榊が持つ箱の意味が分からなくなっている事に気が付く。あれだけ欲していたのに、今では全く興味が湧かない。


「じゃあ、これで失礼」


 榊は、護衛二人を無視して去って行く。

 直後、狙撃手が榊の頭を狙い引き金を引く。


「はぁ……守るべきは、そんなモノか?」


 放たれた銃弾は真っ直ぐに榊の頭部に当たる。だが、弾丸は平らに潰れて地面に落下する。

 榊は、遠く離れた狙撃手を睨みつける。


「正義の為にも、受け入れて下さい」


 意味深な言葉を残して、榊は姿を消した。

 翔子は、奇跡の後姿を見送りながら、声を掛けなかった事を少し後悔する。彼なら、山積する問題を解決できたかもしれない。


「………俺は、何を…」


 隼士は、俯いたまま頭を抱えている。悔しくて堪らない、腹立たしくて堪らない。でも、何に対してその感情を抱いているか分からない。感情が残っているだけに、より強く感じる。ふと、翔子に視線を移す。恋心も、怒りも、今は起こらない。ただ、過去を思い出し、少しの後悔に苛まれるだけ。あんなに固執していたのに、何も言わず去って行くぐらいに…。



 翌日。

 目を覚ました翔子は、直ぐにテレビを付け、ニュース番組に合わせる。様々な話題に、昨日の出来事は含まれていない。どのチャンネルも同様。今度はパソコンを起動して、SNSをチェック。ここにも、昨日の出来事は存在しない。パソコンを起動したついでに、ゴーストナイトを調べてみる。色々な情報が簡単に見つけられるが、一貫性が無く、共通点が少ない。気になったのは、共通点が無さすぎる事。何かの意図が働いて、ゴーストナイトに行き着かないように細工してあるように見える。

 携帯電話を取り出し、会社に「体調が悪いので…」と欠勤の知らせを入れる。ゴーストナイトを調べる為に。

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