第2話 ゴーストナイト

 都内某所、有名人も暮らす閑静な住宅地。上品な雰囲気に似合わぬ声が、大きな豪邸から響く。


「嫌なものは嫌!」


 怒鳴りながら豪邸から飛び出してきたのは、大手IT会社社長令嬢、木ノ島翔子きのしましょうこ、28歳。有名大学卒業後、隣町の建設会社に勤務。優秀で気が利き、人当たりも良く、美しい黒髪が魅力的な人気者。その甲斐もあり、念願叶ってイケメンの男性社員と付き合っている。いつかは結婚したいと思っているのだが、父が猛反対。説得を試みているが、今日のように最後は怒鳴って帰る事に…。


「絶対、結婚してやる!」


 彼女の願いは、多くの人に目撃されている。殆どの者は他人事だが、たった一人、強烈な感情を内包した者が…。



 数日後。

 翔子は今日も、父の許しを得る為に実家の前まで来ていた。前回までの失敗を思い返すと、気が重くて足が進まない。しばらく戸惑って右往左往し、何とか決意を決めると、恐る恐るインターフォンを押す。


「また来たのか…」


 扉越しに父の呆れた声が聞こえる。


「お父さん、お願いだから…」

「ダメなものはダメだ! お前にはもっと相応しい男が居る。お父さんが探してやるから…」

「もう28、大人よ。自分の事は自分で決める!」

「お前は、男運が無い。あいつみたいな馬鹿をまた選ばないとは限らないだろ…」


 翔子は、高校2年の時、3年の先輩と付き合っていた。サッカー部のエースで成績優秀、笑顔の絶えない優しい性格。翔子にとって理想の男性だった。ある日、彼は警察に捕まった。悪い仲間と宝石店に強盗に入ったのだ。家の借金を返す為と理由に同情の余地はあったものの、その手法は残忍で擁護は厳しい状況だった。それでも、翔子は彼を忘れられなかった。いつかまた、付き合えると思っていた。帰ってきたら、もう一度。ところが、彼は…。


「彼は彼、今回は違う!」

「そう言い切れるのか? 今度売られるような事があったら、助けられるか分からないぞ!」


 翔子の気持ちを知って尚、彼は金の為にヤクザに売ろうとした。今度も、家の借金の為。幸い、その前に父が気付けたが、もし遅れていたら……。彼は、再び警察に捕まった。翔子への謝罪も無く、失敗を悔やんで刑務所に入った。出てきたら、また同じ事をすると叫んで。


「どうして全てを同じように考えるの? 皆が皆、狂っている訳じゃない。正しく生きる人の方が多いの! 彼は大丈夫、本当に、絶対!」


 今の彼の事は、全てを知っている。家族の事も、仕事の事も、趣味も、過去も、夢も。裏切ったりしない、今度こそ幸せにしてくれる。自信がある。だから、絶対に引き下がらない。


「……ダメだ、信じられない」

「お父さんのバカ!」


 今日もまた、翔子は大声で怒鳴り、実家を後にする。



 翌月。

 翔子は、諦めず実家を訪れる。今日こそは認めさせる、強い決意を持って。ところが、今日は様子がおかしい。黒いスーツを着た物騒な雰囲気の一団が、玄関に集まっている。ヤクザに売られそうになったトラウマが蘇る。


「君、この家の?」


 黒いスーツの男性が、翔子に語り掛ける。物腰が柔らかく、ヤクザとは思えない。トラウマに震えながら、恐る恐る尋ねる。


「あ、あの……どちら様で?」

「これは失礼。我々は、警察の者だ。情報提供があってお宅を調べさせてもらった」


 警察と聞いてトラウマは引っ込むが、その代わりに不安が顔を出す。


「お父さんが何かしたんですか?」

「そういう情報だったが、何も見つからなかった。どうやら悪戯の類のようだ」


 警察の一団は、翔子に一礼し去って行った。

 否定されても、不安は残る。


「お父さん、大丈夫……」


 嫌疑が晴れたのに、父はかなり落ち込んでいる。


「翔子……結婚してくれ」


 彼との事を認めてくれた。そう思って喜んだが、どうやら何か違うようだ。言葉に詰まり、絶望している様子。


八田隼士やつだしゅんじと…」

「ど、どうして、彼と…」


 父が口にした名は、例の彼。翔子にとっては、ヤクザに売ろうとした男、一度は心を許した男、今では最も憎んでいる男。父も同じように強い怒りを覚えている。それが今になって突然、よりによって。


「そろそろ過去を忘れたらどうだ?」


 背後から金髪小太りのサングラス男が現れる。首に巻いた金のネックレスを弄りながら、黒いスーツの男二人を手招きする。


「……だ、誰?」

「俺だ! もう忘れたのか?」


 サングラスを外すと、翔子はようやく何者か理解する。


「隼士…」

「直ぐに気付け!」

「そんなの無理よ。変わりすぎ…」


 以前の印象は、均整の取れた細マッチョ、爽やかなイケメン。それが今は、贅肉を蓄えた怪しい男。あまりにも違う、同一視できない。


「どっちが良い?」


 翔子が抱く隼士への感情。過去の姿には、憧れ、恋、失望。今の姿には、恐怖、不安。


「昔が良い」

「この姿が怖いのか? それとも、昔の俺が好きだったからか?」

「……目が嫌い」


 貧乏で、家族の心配ばかりし、大好きなサッカーに打ち込んでも、何処か満たされない、温かくも危うさを感じる目をしていた。しかし今は、幸福感に満ち、不安なんてものを感じていない。金に困っていない。好きな事を出来ている。家族の心配が無い。誰かを必要とする余地を感じない。


「何も変わらないだろ? 同じだ。色も、形も、視力も」

「だったら聞くけど、お母さんは? 一緒に暮らしている? 元気になった?」


 隼士の顔色が若干変わる。


「死んだよ。もう限界だった、仕方ない」


 悲しみを感じているものの、過去の事と割り切っている様が伝わる。


「あなたは、お母さんを何よりも大切にしていた。何があっても守ろうとしていた。なのに、どうしてそんな簡単に割り切れるの?」

「気付いたんだよ。捨てれば楽になれるってな」


 隼士は、後ろに控える二人を指差す。


「あいつら警察なんだぜ。警察でも、俺の言いなり。母さんを捨てたから、手に入った。金も、地位も、何でも母さんを捨てたから手に入った。大切にしてきたから、その分大きな物が手に入った。お前もその一つになる」


 翔子は、帰って行った警察の姿を思い出す。同じ服装、同じ雰囲気。嘘とは思えない。しかし、何故二人だけなのか? 帰って行った他の警察は? 気になるが、深く話題に触れるのが怖い。


「まぁ、急ぐ話でもないし、今日のところは帰る。親父さんから、しっかり事情を聞くんだな」


 隼士は、黒いスーツの二人を連れ、何度も下卑た笑みを見せつけながら去って行った。

 翔子は直ぐに、項垂れる父を問い詰める。


「どういう事なの?」

「……違法献金、官製談合、粉飾決済、インサイダー取引、その他諸々。隠していた秘密を…知られてしまった」

「…え?」


 何処か他人事と思っていた。自分の父だけは、そんな事はしない。遠い世界の話、ニュースでしか見ない話題。そう決め付けていた。


「どうしてそんな事しちゃったの!」

「仕方なかった。母さんの意志を残す為には…」

「お父さんが残したのは、意志ではない……汚点」


 言葉では突き放したが、翔子にも父の気持ちが痛いほど分かる。父が守ろうとした会社は、母と共に立ち上げた青春と苦労の成果。母が死んだ今となっては、遺産と言える唯一のモノ。不正に手を染めてでも守りたいと思っても仕方がない。心の何処かでは、そう理解している。


「……ところで、どうしてバレてしまったの? 酒の席で口を滑らせた?」

「酒を飲まないのはお前も知っているだろ? 女遊びも、会社関係以外の付き合いも、俺には無い。残っていた書類も、ずっと前に処分した。全く心当たりがない…」


 父は、何か思い出したように小声で呟く。


「もしかしたら……」

「何? 心当たりあった?」

「最近話題の『ゴーストナイト』かもしれない」

「何、それ?」

「ネット界隈で囁かれている噂だ。見えない騎士が、隠された秘密を暴く。闇に隠れた悪よ、慄き待て、罪に呑まれる日を……」

「な、何その話…あり得ない」

「………だよな」


 噂話に見切りをつけ、二人は現実と向き合う。



 翌日、翔子が務める建設会社。

 翔子は、付き合っている彼に今回の件を相談した。彼の名は、北森研一きたもりけんいち。笑顔輝く人気の営業担当。学生時代は引き籠りだった経験がある。彼は、真剣に向き合い、翔子が納得できる答えを一緒に探ってくれた。


「警察がダメとなると、頼りになるのはマスコミぐらいしか思いつかない。でも、一般人の話に飛びつくとは思えない。SNS……抑止に繋がるか微妙。後は、自分たちで何とかするしかないか…」


 父の件を伏せている為、口実として用いたのはストーカー。納得しやすいのは良いが、自分たちの力で何とかなると楽観させてしまった。逞しい肉体の彼でも、警察相手では意味が無い。


「結構厄介だから、自分達ではちょっと…」

「そんな事は無いさ。此処には、心強い仲間が沢山居るだろ?」


 話を聞いていた筋骨隆々な社員たちが笑顔を見せる。


「これはチャンスなんだ。上手く撃退できれば、お父さんに認めてもらえるかもしれない」

「でも…」


 頼もしい仲間たち。だけど、力で解決できる問題ではない。必要なのは、隼士が持っているであろう不正の証拠。ストーカー容疑だけでは、不正の証拠を取り戻す事は出来ない。本当の事を話しても大丈夫だろうか? 父が不正をしていたと知ったら、彼は、仲間たちは、どんな反応をするだろうか? 助けてくれるだろうか? 考えれば考えるほど、頼れなくなる。


「ごめん。もう少しだけ、様子を見させて…」


 研一を説得し、一旦助力を拒んだ。



 その日の帰り道。

 いつもは人通りの多い賑やかな商店街なのだが、今日に限って閑古鳥が鳴いている。どの店も閉まっており、照明も消えている。時計を見ると、まだ17時。これからが稼ぎ時の筈だが…。


「やぁ、お帰り」


 向こう側から、隼士が歩いてくる。脇には、あの時の刑事二人。


「…どうして、ここに?」

「迎えに来たんだ。俺の花嫁を」


 二人の刑事に挟まれ、逃げ出せない。


「OKを出したつもりはない!」

「そんなもの必要ない。既に買ったからな」

「どういう事? まさか…」

「不正の証拠は、親父さんに渡した。結婚を条件に」


 翔子の心は、父の決断に砕ける。父にとって、娘よりも妻と作った会社が大事だった。今を生きる娘より、過去の記憶に成り果てた妻を選んだ。あまりの心痛に、放心状態。もはや、抵抗すら出来ない。


「待て!」


 路地から飛び出したのは、研一。そして、次々出てくる会社の仲間たち。


「ストーカー! 俺達が相手だ!」


 警察とは知らず蹴散らし、余裕の表情の隼士を取り押さえる。屈強な社員の力は、やはり圧倒的だった。だが、隼士の表情が気になる。周りの様子も…。


「ヒーロー気取りか? 愛する彼女の為に頑張る~って奴か?」

「何ふざけているんだ! 状況を考えろ!」

「それはこっちのセリフだ。ほら、もう直ぐ…」


 一瞬の風切り音と共に、社員の一人が倒れる。肩を押さえて唸っている。大量の血が流れ出し、小さな丸い傷跡。どう考えても、銃創。


「……そ、そんな」

「腕の良い狙撃手がついている。どうだ? どっちが不利だ? 因みに、逃亡犯を口実に商店街を封鎖し、このエリアで起きた事を外部に漏らさず隠蔽。世間に漏れる事も無い」


 銃の登場で、翔子のヒーロー達は恐怖に慄く一般人に戻る。研一は、冷や汗を垂らしながらも、翔子の手を握り離さない。


「翔子を諦めろ。そうそれば、生きて此処から去れる。どうする? 仲間共々、此処で死にたいか?」

「嘘を吐くな! 逃がすつもりなんて無いだろ?」


 立ち上がった隼士は、不敵な笑みを浮かべる。


「利口な奴だ。だが、お前が心配するような事は起きない。お前たち相手なら、秘密を守らせるのは難しくない」


 隼士は、細マッチョな若い社員を指差す。


「3年前の件を表に出せるのか?」


 細マッチョは、黙って一歩下がる。

 今度は、背の小さな年配マッチョを指差す。


「家族に居場所がバレても良いのか?」


 悔しそうに唇を噛み、渋々拳を引っ込める。

 他の社員を一瞥しながら、最後に研一を指差す。


「引き籠っていた理由、話しても良いか?」


 研一の額に冷や汗。


「なんで、そんな事を知っているんだ…?」

「警察を従えるって事は、その類の話を幾らでも集められるって事だ」


 全員が黙ってしまう。そんな中、銃撃された社員だけは隼士に食って掛かる。


「俺はどうだ? 何も無い。そうだろ?」

「確かに、お前には何も弱みが無い。だから…」


 隼士が手で合図を送ると、狙撃手は躊躇いつつも、もう一度狙撃。今度は脳天を撃ち抜く。


「死んでもらう」


 非情過ぎる状況。心を圧し折るには十分。誰一人として、逆らう意思を残せなかった。一人また一人と、商店街から去って行く。

 研一は最後まで残る。翔子への想いを糧に、必死に状況に抗う。死体を見ても、隼士の表情を見ても、冷酷な静寂にも。限界を迎えさせたのは、翔子の表情。心配そうに見守っている。何も言わず。それが、心の傷に触れる。引き籠っていた頃に、母が見せた表情と同じだった。


「………ごめん」


 研一も去って行った。

 絶望に残された翔子は、涙一滴を流し、諦めの心で受け入れる。あの日、売られそうになった時と同じように…。


「さぁ、帰ろうか。俺達の家へ」


 隼士は、脱力する翔子を引っ張り連れて行く。愛されなくても構わない。隼士にとって翔子は、手に入らなかった過去の後悔。手に入れてしまえば、それで良い。彼女に待っているのは、置物のような人生。



 薄暗い夜道を歩き、路肩に停車してあった車に向かう。歩行者は居ない。隼士と翔子、護衛の警察二人だけ。その筈だったが、突然目の前から声が聞こえる。


「やっと見つけた」


 何時現れたのか、黒いパーカーを着た男が立ち塞がっている。フードを深く被り、顔が見えない。


「お前は、何者だ?」

「代金を貰いに来た」


 隼士の様子が変化。生唾を飲み込み、一歩ずつ後退りする。


「ど、どうして、此処が?」

「顔だけしか知らないから、色々な機関に保管されている写真を虱潰しに当たったんだ。本当に疲れたよ。さぁ、払ってもらえないかな?」

「い、幾らだ?」

「あんなに念を押した筈だけど…忘れた振り? 一応もう一度言うけど、108万円」

「……そんな大金、やっぱり無理だ」


 隼士の格好を見る限り、金の困っているようには見えない。腕に巻いている時計はブランド物、サングラスも同じく。それらだけでも、100万円以上はする。

 放心状態だった翔子は、不気味な来訪者にようやく気が付く。そして、慌てる隼士の様子にも。


「払えないのなら、商品を返してもらえないか?」

「…返したらどうなる?」

「商品を通じて得た物を全て手放す事になる。不可能な場合は、違う形で」

「それは嫌だ! もう二度と、あの生活には戻りたくない!」

「だったら、払ってもらうしかないけど」


 隼士は、財布から札束を三つ取り出す。


「これで何とか…」

「あの時言ったと思うけど、この商品は君自身の価値でしか払えない」

「何を差し出せば、同価値になる?」

「そうだな~………サッカー向きの足、未だ衰えぬ肺機能、この二つでほぼ同価値かな。ちょっと足りない分はオマケしておくよ」

「失ったらどうなる?」

「歩くだけで疲れるようになって、階段を上るだけで息切れする」

「老人と同じじゃないか…」

「足と肺に関しては、まぁ」


 どちらも選べない。どちらも失いたくない。隼士は、提示されていない選択肢を選ぶ。


「悪いが、どっちも嫌だ!」


 右手で合図を送ると、微かな風切り音の後、黒いパーカーの男は力無く倒れる。頭部から血が伸びている。


「は、はは……俺に逆らえる者は居ない。馬鹿~、アホ~!」


 隼士は、何度も黒パーカーの男を踏みつける。


「お前のお陰で、俺は過去の呪縛から解き放たれた。感謝しているぜ。だがな、まだまだなんだよ。もっと大きくなって、もっと色々な物を手に入れる。道半ばで、力を一切手放すつもりはない!」


 翔子は、黒パーカーの男に期待していた。もしかしたら、この状況を変えてくれるかもしれない。隼士の暴走を止めてくれるかもしれない。隼士の表情を見る限り、その可能性はあった。でも、粉砕されてしまった。圧倒的な力に蹂躙されて、動かぬ存在に成り果ててしまった。もう一度、諦めよう。出来るだけ、苦にならないように。

 その矢先…。


「痛ったいな…」


 黒パーカーの男が、隼士の足首を掴んでいる。


「どちらも放棄なんて許されない。こちらの選択で解決させてもらう」


 フードを捲り、素顔を露わにする。


「改めて名乗るよ。僕は、執行者エクスキューターの古石榊。仕方ないから強制回収を行う」


 翔子の脳裏に、『ゴーストナイト』の言葉が浮かぶ。肩書も、印象も違う。だが、期待が膨らみ、失いかけていた心が息を吹き返す。


 

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