第9話 協力

「確かに『天使』は私の父が開発しました。しかし父は自らが作り出したそれが失敗作だと早々に理解し、即座に破壊を決定しました。」


しばらく間を置いてから、アリサカは言葉を紡ぎ始めた。

既にお互いが椅子に座り直し、行儀よく向かい合っている。先程までの殺気は鳴りを潜め、彼女はただ無感情に語る。けれどその下には、やはり大きな怒りが渦巻いているのだろうことは、容易に想像できた。


「失敗作?うまく動かなかった……ってことか?」


「ええ。今はその理解で構いません。正確に言えば、制御しきれなかった、ということになります。でも、いずれにせよ使い物にならなかったという点で意味は同じです。」


微妙なニュアンスの言い方だが、「詳細は後で話しましょう」と付け加えてから、彼女は話を進める。


「破壊されるはずだった『天使』。けれどそれを邪魔し、あまつさえ強奪した人間が居ました。それが、エリオット・シャフィークという男です。」


先のナイフを突きつけられた時のことを思い出す。あの時もアリサカはそんな名前を口にしていた。さすがにあの場では意味がわからなかったが、これで話が見えてきた。彼女は『天使』を奪い去ったその男を探しているのだ。


「彼は父の助手と言うべき立場の科学者でした。元々、海外で『天使』に類似した研究をしていましたが、そのから本国を逐われ、この国へと流れ着いた人間です。そして父と出会い、父と『天使』の研究開発に没頭した……。けれど彼は、あまりにも『天使』にのめり込み過ぎたのです。」


語りが不穏さを帯びる。アリサカは声のトーンを一つ落として続けた。


「先に言った『天使』の開発コンセプト。世の中から『欠陥』が無くなれば、真に平和な理想の社会を作れるはずだという思想。彼はそれを心の底から信じていました。それはもはや狂信と言って良かった。そんな彼が、不完全なものとは言え、『天使』の破壊を容認できるはずも無かったのです。彼は父を消滅させ、『天使』をその手に、行方をくらませました。」


「――。」


父親を消滅させた。その言葉に、思考が空白になる。まさか、そんな。


「それから私は彼の行方を追い、この街に辿り付きました。今は、さらに詳細な潜伏場所を調べているところです――が、もう時間がありません。」


「……時間がない?」


「『天使』の影響範囲が拡大してきているのを観測しています。シャフィークが『天使』を本格的に使用し始めたのでしょう。今まではまばらだった消滅現象が、ここ数日で急激に数を増やしている。恐らくあなたの友人も、その動きに巻き込まれたのでしょう。」


昨日は担任の教師、そして今日は片村。確かに、過去に身近な存在がこれほど立て続けに消えたことは無い。このペースで人々が消えていったらどうなるのか。クラスメイト達は?アルバイト先の人達は?そしていずれは……残された家族さえも。

このまま放っておけば、みんな、俺の前から消えていく。

俺は、拳を握りしめて問うた。


「……どうすればいい?」


声を、絞り出す。


「どうすれば、取り戻せる?」


俺が失った……いや、世界が失った、全てを。


「……何をするにもまず、『天使』の在処を探し出さなくてはなりません。」


アリサカは俺の問いを予測していたようによどみなく答えた。


「『天使』がこの町の近くにあるのは間違いありません。けれど、私だけで調べられたのはそこまでです。これ以上は虱潰しに当たっていくしかない。」


けれどそれでは時間がかかり過ぎる、とアリサカは小さく呟いた。


「そこで、あなたにお願いがあるのです。『天使』の捜索を手伝って欲しい。」


俺は無言のまま話を促す。

返事をするまでもない。俺にできることなら何でもやるつもりだった。

アリサカもそれを分かっているのだろう。そのまま話を続ける。


「『天使』の所在を突き止めるには、消失したものの痕跡を追うことが必要です。消える前のそれはどれくらいの大きさだったのか、どれくらいの歴史を重ねたものなのか、そしていつ頃消えたのか。それらの情報を解析することで、『天使』がどこからそれを消失させたのかを推測できる。これは、この町で育ち、実際に消失現象を目撃し、そしてそれを記憶している貴方にしかできないことなのです。」


俺にしか、できないこと。

確かにそうだ。この街で、いつ、何が、誰が消えたのかを覚えているのは俺だけ。それだけは、あまりにも明らかだった。


俺は、深く頷いて言った。


「……それで、『天使』がある場所を突き止められれば、あとは全部元にもどせるんだな?」


「ええ。『天使』を止め、過去の消失を修正する術は私が持っています。あとのことは全て私に任せてください。」


そう言う彼女の瞳に曇りは無かった。偽りは無いと判断する。


「わかった。それなら、手伝う。いや、手伝わさせて欲しい。」


「ええ、よろしくおねがいします。私たちで消えた人たちを取り戻しましょう。」


アリサカの白磁のような手が差し出される。それが握手を求めているのだと気づき、俺はそれを強く握り返したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る