第8話 天使の正体(2)

 その思想を実現すべく開発されたのが『天使』だった。

 天使とは言っても文字通りの天の遣い、一般に想像される翼の生えた女性や子供ではない。その実情はもっと無機質で機械的なもの。正真正銘、科学による発明品だ。

 そして『天使』という機械の持つ機能。

 それは、『欠陥』と見なされたモノの存在を、させること。世界から不必要なものを取り除く清掃機構。

 ……ああ、正直どういうことかなんて理解できない。だが、アリサカ曰く、そのとは単純に物を壊したり、燃やしてしまったりといった事とは異なるらしかった。


「ここで言う消失とは、存在そのものの否定です。と言えば解りやすいでしょうか。」


アリサカは静かに言った。


「あなたなら理解できるはずです。天使に否定され、消失したものは記録にも、記憶にも残らない。物体や人物の存在を、その痕跡ごと消し去ってしまう。それが、『天使』の持つ機能なのです。」


 俺の頭の中を過去の記憶が駆け巡る。今まで俺は、建物などがある日突然消えてなくなるという現象に何度も遭遇した。人が消えたのだって、何度も。方村や、担任の先生だけではない。そう、一番最初は――


「じゃあ……じゃあさ。」


きつく握り締めた拳が痛い。胸の痛みに耐えるように、俺は目を閉じて問う。


「俺の記憶障害は、全部その『天使』とやらの仕業で……、初めから居なかったと思おうとしていた人達は、ちゃんと実在した人たちで……そして本当に消えていたってことか?」


俺は目を開ける。俺の目を真っ直ぐに見つめながら、アリサカは首を縦に振った。

それを確認して、俺は息を吐く。時間をかけて。ゆっくりと。

なるほど。

そうか。

今まで自分が散々体験してきたことだ。

信じられない話だけど、信じるしかない。

みんな、ちゃんと実在していたのか。

実在していて、消されたのか。

『欠陥』だから。

そうか。

そうか。

なるほどな。

じゃあ――


「その『天使』っていうのは、アンタの父親が作ったんだよな?」


「はい、それは間違いありません。しかし――」


「ふざっけんな!!!」


アリサカの話を遮って叫ぶ。ガコン!椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。その勢いのままテーブルに身を乗り出すと、アリサカの襟首を掴んで引き寄せる。俺の前にあったグラスが倒れ、テーブルの上に中身が広がった。


「じゃあ、全部テメエの父親のせいだって言うのかよ!俺が覚えている奴らみんな!片村も、担任も、そして――、全部……!」


 襟首を掴んでいる右手に力が入る。アリサカのシャツが破れんばかりに引っ張られるが、当の本人は真顔のままだ。よほど体幹が強いのか、これだけ強い力で引かれているにも関わらず、ほとんど体勢も崩れていなかった。


「『欠陥』を消すだぁ?じゃあ消えた奴らは全員欠陥品だとでも言うのかよ!ふざけるな!ふざけるなよ!!!返せ!今まで消えた人を全員返せよ!」


 感情に任せて怒号を叩きつける。これはこの場限りの怒りではない。俺が苦しんできた3年間の蓄積。その全てが爆発する。

 しかし、それでも彼女は表情一つかえずに、それを真正面から受け止めていた。そして再び俺が口を開く寸前に一言。


「もちろん、そのつもりです。」


 思いもしなかったその返答に、僅かに俺の力が緩む。合気道か何かでも使われたのか。続けて彼女の手が襟を掴んでいた俺の腕を払い除けると、俺はあっさりとそれを放してしまった。


「当たり前でしょう。全員を取り戻します。」


なおも彼女は言葉を続ける。真っ直ぐに、俺の目を見ながら。

怒りであれだけ燃え上がっていた感情が冷却される。ナイフを突きつけられたわけでもないのに、あの時と同じ背筋の冷たい感覚が蘇る。

 それで、気づいてしまった。

 彼女から薄らと漂っていた威圧感。その根底にあるものの大きさに。

 この場で一番怒りを感じているのは俺ではない。誰よりも怒っているのは彼女だ。

 それはもう怒気を通り越して明確な殺気へと昇華されていた。


「私が、『天使』を殺しとめます。そのために私はこの町に来たのです。」

 

 美しいと思っていた翡翠色の瞳に暗い光がちらついていた。

 明確な殺意というものに、この時俺は初めて触れたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る