第32話 時を待たず

 時を待たず、司は産業界の名立たる人物らとも会合を計った。

 彼らも又、司の下に集められた。


「・・・と云うように、私は産業界と教育現場が両輪となり、学生たちの育成に取り組めたらと願っています。

 既に、医学界やスポーツ界ではその様な取り組みがなされて居ます。

 学業を終えてすぐさま勝手分からぬ業界に飛び込むのではなく、事前にそのあり様を体験し、又、その事によって自分の進むべき分野を見出せるようにしたいと考えて居ます。

 いわゆる、インターン制度を大幅に拡充すると捉えて下さい・・・」


 司は伝うるべき事を語り終えた。


「司の宮は我々と教育現場の垣根をなくし、言って見れば、勉学をしつつ就業にも携われる様にしたいのですね」

「その通りです。

 そうする事によって、企業と学生とのミスマッチを少なくできると考えて居ます。・・・」

 


 この場でも、司に同調する人間は乏しかった。

 しかし、幾人かは彼女の言わんとしている事を一応は理解したに違ない。

 司は学生たちに羅針盤も持たせずに、社会と云う大海原に漕ぎ出させたくなかったのである。


 

 集会が終わり一人残って居た司の下に歩み寄る人影が有った。


「お疲れの様ですね」

「えっ!」


 司は声の主を見上げた。


「ヒューイ皇子、まだ、こちらに?」

「居てはいけませんか。何分、三男坊なので本国にこれ言った役職を持たされては居ません。何処で何をしようと気に掛ける者も居ないので~」


 舞踏会以来、ヒューイは司に惹かれる所が有ったようだ。

 それが何を意味するのか、本人も判然とはしていないようだが~。

 それを確かめる為にこの場に立ち寄ったようである。


「どうです、気晴らしに僕と宮殿を飛び出してみては~」

「みなが騒ぎ立てます」

「ほう、司の宮らしくないですね」

「どう云う事ですか?」

「市井(しせい)は日々、変動しています。

 何をするにせよ、机上の空論では誰も後に続いてくれませんよ」


 司の眼が少し吊り上がった。


「気分を害されましたか。それとも、僕と一緒では気が進みませんか?」

「その様な事は有りません」


 先々、彼とも何かと関わる事が有るだろう。

 なにせ、隣国の皇子である。

 ならば、その人格を深堀するのも一計だと司は考えた。


「では、そうしましょう。衣服を改めて参ります」


 司は席を立って自室に戻ろうとしたが、足を止め、

「キラリもご一緒しても構いませんよね」

「別に構いませんけど、僕一人では頼りないのですか」

「いえ、そんな事は有りません。ただ・・・」


 司は新と娑婆世界で出歩いた時の事を思い浮かべていた。

 ヒラリを伴って旅立った新は未だに帰って来ていない。

 そんな時に、他の男性ととなると、違った意味で気が引けるのかも知れない。


「ただ?」

「いえ、なんでもありません。少し、ここでお待ちください」




 目立たぬ服装で司はヒューイと市井へと向かった。

 勿論、少し離れてキラリが随行していた。

 

 ことの外、ヒューイは女性の扱いに長けていた。

 そこここを歩き周りながら、身振り手振りを交えて司を和ませていた。

 当の司も、時折、微笑みを返していた。

 その微笑みが否応なしにヒューイの胸を熱くした。


 これには、後を行くキラリは心許ないようであった。

 経験豊かな彼女から見れば、世間知らず、特に男女の交遊に乏しい司の身が案じられるのだろう。


 既に、キラリは司と新との仲睦ましい場面を幾度となく見ていた。

 この頃には、新との犬猿の仲もほぐれ始めていた。

 どうせなら、新ととの考えが有ったのかも知れない。


 何かの拍子でヒューイが司の手を取ると、キラリは咳払いで窘めて居た。

 この時のヒューイにとってキラリは目の上のたん瘤であった。

 彼女の同行に頷いては見せたが、ここは何とか厄介払いをと、


「キラリ」

「何か?」

「さっきの店で手袋を忘れてしまった。僕らはこの辺に居るから取って来てくれないか」


 キラリとてその辺の事は弁えて居る。

 鬼の居ぬ間に、司を伴って身を隠す可能性が無いとは言えない。

とは云え、無下に断れる相手では無い。


「キラリ、何を躊躇って居るのですか?」


との司の言葉には従うほか無かった。


「では、急いで行って参ります」


 キラリが踝を返して遠ざかると、ヒューイは行動に出た。


 司の微笑みが彼をしてその思いを猛らせた。

 宮殿内ではむやみやたらな事は出来ない。

 又とない、チャンスである。

 皇女と云っても年端もゆかぬ乙女である。

 一度手中に収めてしまえば何とでもなると彼は考えた。


 本国では彼の女性に対する見境の無い行動を知らぬ者は居なかった。

 この国では仮面を付けていたと言える。


 彼は懐に隠し持っていた匂い袋を取り出した。

 辺りを見回していた司の鼻もとにそれを近づけると、すぐさま、司は倍速で花が萎れるようにその場に伏せた。

 ヒューイはニンマリとしながら彼女の体を支え、折よく、目の前に在ったホテルへと入って行った。

 フロントでは彼女が急に気分を害したと偽り、まんまと、一室へと司を誘い込んだ。



 さて、その付近に戻り着いたキラリは辺りを見回していた。


『図られた』


との焦りがその顔に浮かんでいる。


 ヒューイが言って居た店に手袋なんかはなかった。

 キラリは元からヒューイと云う人物を嗅ぎ分けていた。

 司の身が危ない。

 その彼女も、ヒューイも見当たらない。


「どうしたんだい?」


と、キラリを諫めたのは新だった。

 彼は金色世界に戻って居たのだ。

 キラリは要点のみを伝えた。


「司の宮が居なくなったの、それも、ヒューイと云う隣国の皇子と一緒に~」


 新は直ぐに事情を呑み込んだ。

 キラリの表情が暗にその窮状を物語って居たのだ。


 新は目を閉じ、首を少し垂れ、思いの丈を四方に放った。


『司、何処にいるんだ。君の思いを放ってくれ』


 キラリはそんな新の姿を凝視していた。


 新の耳鳴りに変化が訪れた。

 司の在りかを覗わせる微弱な波長が近くのホテルから伝わって来た。


 眼を見開いた新は、


「あのホテル。あのホテルに司が居る」


とキラリに言い放った。


「えっ!本当に?」

「間違いない。行こう」


 キラリは素直に新に従った。

 彼女の心の中では既に、彼は信じるに値する人物に成って居たのだ。



 二人はホテルに入るとフロントに問いただした。


 フロントマンは、

「さぁ、その様なお方は見えて居ませんが~」

「そんな筈がない。確かに、このホテルに居る筈だ」


 新は再度問いただした。

と、キラリはフロントマンの襟首をワシ掴みして、


「正直に言わないと、この首をくるりと回してしまうからね!」


 これではどう仕様も無い。

 恐らく、ヒューイから誰にも漏らすなと金を掴まされていたのだろう。

 

「503号室です」


 二人はエレベーターに飛び乗った。



 二人はその503号室に辿り着いた。


『ドンドンドン』

 

 キラリが必要にドアを叩いた。

「宮さま、居るんでしょ!」


 ドアにはやはり鍵が掛けれていた。

 今からフロントまで~、

 その必要は無かった。


 新は常時持ち歩いていた工具袋を取り出すと、そのドアに見合った金具を二つ取り出し、ドアを開けに掛かった。


『カチャ、カチャ、カチャ・・ガチャ』


 ドアの鍵が開き、二人が部屋に入り込むと司がソファーに寝かされていた。


 ここまで来ればと、余裕を感じたヒューイはシャワーを浴びて居るようだ。


 新とキラリは両脇から司を抱え、部屋から脱出した。

 キラリは心残りを感じて居たが、相手は皇子である。

 迂闊に手出しは出来ないと唇を噛み締めていた。



 


 


 


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