第26話 新、ヒラリを連れて娑婆世界へ

 カヤ族の謀反の疑いが晴れて数日が経った。

 尤も、それは右大臣の陰謀に過ぎなかったが~。


 新の体調も良く成ったので、司は彼を娑婆世界に使いに遣る事にした。

 些かの躊躇いは有ったがそれもやむなしと言った所だ。


 司はカヤ族の屋敷から伴って来た者たちを前にして、新を娑婆世界に送る事を伝えた。

「あちらには『蝮の銀次』が居るから、そうね、ヒラリ、一緒に行ってあげてくれない」

「あら、私で良いのかしら~。お姉さまはあちらのファッションに傾倒してるみたいだけど」

「それはそうだけど、この先、右大臣が又謀(はかりごと)を企て兼ねないからそうも言ってられないでしょう」


 出来る事なら司は新と行動を共にしたかったのだが、皇女となった今は無暗に宮殿を留守にする事は出来ない立場にあった。


「なら、決まりですね。新、お願いね」

「分かりました。お望みの品を取り揃えたら直ぐに戻って来ます」

「幾らかはお父さんと過ごして下さいね」

「出来る限りそうします」



 ヒラリはまるで遠足気分である。

 キラリに比べれば少し頼りないが、司にすれば、彼女を伴う事で新が金色世界に戻って来る保険になるのだろう。



 身支度を済ませた新とヒラリは彼の部屋のベッドで眠りに付いた。

 二人が同時に眠りに付くとは限らない。

 例えば、新が先に眠れば乖離現象に近しい状況でヒラリの眠りを待つことに成る。

 

 部屋の外、ドアの前には司が気を揉みながら立ち尽くしていた。

 その様子を物陰でキラリが見つめている。


 司は、頃合いを見てドアを開けて中を覗いた。

 既に、ベッドはもぬけの殻に成って居た。


『行ってしまった』

 侘しさが司の顔を陰らせている。


「宮様、お寂しいのですか?」

 キラリが背後から声を掛けた。


「居たのですね。なんとなく、気が抜けた感じです」

「新は、必ず戻って来ますから~」

「ええ、分かっては居るのですけど」

「さぁ、お仕事が山積みですよ」

「そうね、私は私の成すべき事をやらなくては~。戻りましょう」




 新とヒラリは夢の回廊を娑婆世界へと向かっていた。


「まぁ、眩いばかりの星。この前は気おくれして眺める暇はなかったけど、こうしてみると格別ですね」

「よそ見をしてると、はぐれてしまうよ」

「嫌ですわ。このような所に置いてきぼりは~」

「冗談だよ。ほらっ、あそこがヨミの世界の入口だよ。少し寄って行って弥勒菩薩さんに経過報告をして行くからね」

「わぁ~楽しみですわ。この様ないでたちで宜しいのでしょうか?」


 ヒラリは司が娑婆世界で身に付けていた服を着ていた。

 膝丈と胸の辺りが気に成るらしい。

 

「弥勒さんは見てくれで判断しないから大丈夫だよ」

「なら、良いのですけど~」



 二人はヨミの世界の入口に辿り着いた。


「不動明王さんに、愛染明王さんだよ」

「初めまして、ヒラリです」

「小僧、又、来たのか?」

「随分だね。弥勒菩薩さんに報告をしに来たんだけど~」


 不動明王はこの前の経緯も有ってか、ふてぶてしい態度である。


「来る度に連れの女人が変わってるじゃないか。それも、かなりの容姿だし。最近は小僧の様な者がもてはやされて居るのか?」

「やっかんでやがら」

「新、口は何とか~、宮様から仰せつかってますのよ。むち打ちとやらをね」

「よしてくれよ。ここでそれを言われては堪らないよ。それで、弥勒菩薩さんは?」


 愛染明王がそれに応えた。

「今は諸天善神(しょてんぜんしん=天界に住む神々*1~)と話し合われている最中なんだが」

「ヨミの世界も色々と有るんだね」

「言付けを聞いて置いても良いが~」

「はい。・・・なら、僕の父親の忠は無事娑婆世界に戻ったと伝えて下さい。詳しい事は、直に会って報告しますと~」

「分った。その様に伝えて置く。それで、これから~」

「はい、娑婆世界まで使に行く所です」

「うむ。そっちの方も何かと騒がしいが、気を付けて行くんだぞ。折角、良い方向へと進んで居たのに、時代が遡上してしまっている」*2~


「もしかして、その事で弥勒菩薩さんたちが話し合われて居るのですか?」

「そう云う事だ。人の命を尊ばぬ輩が跋扈(ばっこ)して居るからな」


 不動明王が口を挟んだ。

「明王よ。その様な小僧に何が解ると言うのか。せいぜい、女人の機嫌取りをして居るだけの器だろ」

「そう無下に扱うのもどうかと思うがな」


 新は以前から気に掛けて居たのか重ねて質問を投げかけた。

「娑婆世界の事なんだけど、やっぱり、上手く行ってないよね」


 愛染明王が眉間に皺を寄せて答えた。

「そうよな。多くの犠牲を払ってこれ迄積み上げてきた者が台無しに成り兼ねない」


 それに同調すかのように不動明王も口を加えた。

「だいたい、人の命を何だと心得て居るのやら。己(うぬ)が欲望と護身の為にまるで虫けらの様に扱って居る。嘆かわしい限りだ」


「戦争や紛争が絶えない事を言ってるんですか?」

「その通りだ。気候変動、その他諸々の事で足下がぐらついて居るのにバカな真似ばかりして~」


 愛染明王がその輩を諫めるように、

「全くだな。地球と云う星自体が慈愛を持って育んで来た生態を無茶苦茶にしてしまっても居る。数多の星を見てきたが、あれほど色彩と音色に満ちた星はないと言うのに~」


 二人の明王は揃って居住まいを正し、目を閉じ、合掌しつつ、


『南無妙法蓮華経』


と、唱えた。

 娑婆世界の現状を憂いての事で有ろう。


 新が透かさず、

「それって、八葉蓮華の小太刀に刻まれている言葉だよね」


 愛染明王が合掌を解き、

「そうだ。ただし、ただの言葉では無い。この全宇宙の根幹をなす大法則の音律の言葉なのだ」*3~


「て、言われても、良く分らないけど~」

「分らずとも、何かの折りに唱えて見るがよい。己(おのれ)の命、心が宇宙とシンクロして新たな息吹が体内に湧き上がって来るからな」

「ふ~、そうなんだ」


 話に着いて行けず居たヒラリが地下牢での事を思い出してか、

「不思議な言葉ですよね。司の宮様が唱えた時、心が洗われるような感じがしましたわ」


 愛染明王が驚いて、

「なに、金色世界であの者が八葉蓮華の小太刀を翳(かざ)しお題目を唱えたと申すのか?」

「はい。その途端に四方八方に閃光が放たれ、誰もがかしずいてしまいましたわ」


 不動明王も、

「人の善性を信じて止まない者にしか使いこなせないと聞いて居るが、あの女人がのう~」

 新は鼻高々に、

「だって、司は覚書に書かれていた人その者なんだから」


 愛染明王はニンマリとして、

「不動よ、司の宮が居れば金色世界は良い方へと向かうに違いない」

「そうよな。新とやら、しっかり司の宮に仕えるんだぞ、分かったか」

「言われなくても、なぁ、ヒラリ」

「勿論ですわ。幼少の頃から只ならぬ人と見うけて居りましたもの」



 新とヒラリは暇を請いその場から立ち去った。

 行き着いた所は娑婆世界の新のアパートの部屋だった。

 



~*1

 軍国主義から経済主義、そして、人道主義へと時の流れが進んで居たのに、その流れが逆流して居る事を指す。                    *****


~*2

 ここで云う所の諸天善神は人格化された神を言うのでは無くて、個人、地域、国等に対してそれらを慈しみ育もうとする全宇宙に内在して居る働きの事を指している。

 物語の都合上、恰もその様な人格化されている様に述べては居るが、

 例えば、誰しもの体内にもそれは存在して居る。

 ウイルスや細菌が体内に入り込んだ時、それらと対峙し生命の健康を維持しようとする働き、又、地域社会に於いて平和と秩序を保とうとする働きをも諸天善神と称するのである。

 人間は目に見えないそれらの働きを兎角人格化して捉えようとする。

 全知全能の神が恰も存在して居るが如き思想に捉われるのは生命の本質を見極めて居ないからである。                        *****


~*3

 愛染明王の言葉を理解する為には、宇宙その者が無始無終の生命体で有る事を知らなければならない。

 而して、宇宙その者があらゆる者を創造する当体で有ると共に作品であることも。  従って、川辺の砂一粒から膨大な銀河までをも成り立たせる一貫した法則が存在して居るのである。

 その法則の正体を紐解けば、全ての事象を成り立たせ止まない生命自体に内包されている力用(りきゆう=慈悲)である。

 言い換えれば、それぞれの個の生命が因果律で繋がれて居ると云う事にもなる。

 確たる認識を持ち合わせては居ないが、物理学で云う所の『量子のもつれ』もこの事を弁えれば新たなる見識が開かれるで有ろうかと考える。

 まとめると、一つの命を蔑ろにすることは巡り巡って己が命までをも蔑ろにする事と成ってしまうのである。

                                 *****

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