第3話 真相

 翌朝、小雨がぱらつく中、甚内たちはふたたび日本橋へと向かった。


 袴の裾をたくし上げ、傘もささずに足早に街道を進んでゆく。

 日中は人々の往来でごった返す界隈も、雨のせいか人通りはまばら。軒を連ねる店々で閑古鳥が鳴いているのを横目に、目的の店へまっしぐらに進む。


 やってきたのは、相模屋という質屋であった。

 「質」と大きく書かれた看板が掲げられ、縦格子の戸が開け放たれている。

 しかし、差し込む明かりを遮っているためか、朝なのに店内は妙に薄暗い。不穏な気配が漂っている。


 すると、中から恰幅のいい男が一人、ふらりと現れた。雨の様子をうかがいに出てきたところで、甚内たちと鉢合わせになる。


「おやおや、飛沢の旦那じゃないですか。ご無事だったとは運の良い方だ」


 皮肉混じりに挨拶してきたのは、店主の梶原寅五郎であった。

 店にとって、雨中での来客は貴重なものだ。丁寧な応対で迎えるべきところだが、寅五郎の顔は、にへら笑いを浮かべた能面の様に固まっている。

 やっとの思いで訪れた甚内が、口を尖らせないはずがなかった。


「ずいぶんな挨拶じゃねえか、寅五郎。その口ぶりだと、襲撃の件は耳に入っているようだな」

「ええ、そりゃもう。町中が驚いて、噂が飛び交ってますよ。へへへっ……」

「おい、何が可笑しいんだ。俺たちは命からがら逃げて来たんだぞ」


「いや、失礼。けどね、その噂が下らなくて可笑しいんですよ。風魔の頭領が簡単に捕まるはずがない。捕えられたのは実は偽者だったとか、抜け道があるんじゃないかとか、物の怪に化けて逃げ延びたんじゃないかってね」

「物の怪? 好き勝手に言いやがって。忍びを何だと思ってんだ、まったく」


 甚内は懐から手拭いを取り出して雨粒を払うと、不貞腐れた表情で店内に足を踏み入れる。

 相模屋は、甚内たちが強盗を働いた後、換金のため利用していたなじみの店である。日本橋以外にもいくつかの支店を構え、江戸で名の知れた質屋であった。


 ただ、今は中を見回してみても、客の姿は見当たらない。

 ならば、好都合。甚内は手拭いを懐にしまいこむと、おもむろに本題を切り出した。 


「悪いが、当面の生活費が入用なんだ。いくらか貸して欲しい」

「貸して欲しいって、うちは両替商じゃないんですぜ、旦那。銭が欲しけりゃ質草(質に入れる品物)を持ってきてもらわないと」

「分かってら。後でいくらでも持って来てやるよ。今は急いでるんだ」

「それに請け人(保証人)はいるんですかい?」

「急いで来たんだから、いる訳ねえだろ」

「あのねえ……」


「あと、風魔襲撃について知っている事と、近くで空きのある長屋があれば教えて欲しい。言うまでも無いが、名主が面倒くせえ奴の所は駄目だぞ」

「…………」

「ほら、何してんだ、上客が来たんだ。いつもどおり奥の座敷に案内しな」

「まったく、雨に打たれた貧しい身なりの無一文が、ずいぶんな態度ですなァ。これまでのよしみがあるんで、少額なら貸しますけど、証文はきちんと書いてもらいますぜ、旦那」


 寅五郎はあきれ顔のまま踵を返し、奥の座敷へ甚内たちを案内する。

 相模屋は武士、町人、盗賊など身分の垣根を越えて、多くの人々が利用する店だった。

 そのため、客との会話から得た江戸の裏事情にも通じており、馴染みの客には情報をひそかに漏らしていた。甚内たちは彼の伝手を頼り、襲撃の真相を掴もうとしたのである。

 


※ ※ ※ 



向坂こうさか一味?」

「はい。複数の情報筋からして、奴らが幕府に密告したとみて間違いないでしょう」


 奥の座敷にて、寅五郎は甚内と弥七に対し、鼎の形でひざを突き合わせていた。


「もともと、向坂は風魔の屋敷の場所を突き止めていたと思われます。そこに幕府からのお触れを見て、密告と案内役を買って出たのでしょう」

「お触れ? 何だそれは、俺は知らんぞ」

「まさか、ご存知ないのですか⁉ 風魔の居所を教えた者は、大判金十枚、さらも訴人の過去の罪は問わないと、数日前にお触れが出たのですよ」


 事の真相を知り、甚内は「あっ」と声を漏らし、己の迂闊さに顔をしかめた。

 徳川家康が、豊臣秀吉から江戸城普請を命じられ、江戸にやって来たのが十三年前の天正十八年(1590)のこと。

 彼と息子の秀忠は、当時小城だった江戸城を改築し、同時に日比谷入江の埋め立てや日本橋架橋などを手掛け、城下の開発を推し進めてゆく。


 その過程で、あちこちで強盗や殺人を働く風魔に手を焼いていたのだが、ついに堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。


「くそっ、役人どもめ、向坂と結託してやがったのか」

「理由は他にもあるでしょう。風魔って、関東中に千人もの盗賊を抱えていると聞き及んでます。屋敷にも多くの者がいたのではないですか?」

「そりゃ、屋敷には百人くらいは出入りしていたと思うが、それがどうかしたか?」


「江戸で犯罪取り締まりにたずさわる役人は、けっして多くありませぬ。せいぜい百くらいでしょう。それが、盗賊百人の長を取り押さえようと思えば、時機を選ばざるを得ますまい」


「ああ、なるほどな。襲撃の日の夜は、月がくっきり見えるほど晴れていた。晴れていれば略奪に向かう者が増え、屋敷は手薄になる。そこを狙ったんだな」

「ご賢察。さらに、短時間で頭領を捕縛してしまえば、江戸以外にいた支配下の盗賊たちは救援を諦めざるをえない。そんな思慮も働いたのでしょう」

「ちっ……」


 甚内は舌打ちして黙り込んでしまった。

 忍びとは本来複雑な山あいの、権力者の統治が及びにくい所で生まれる集団だ。外敵から身を守るべく集落で血縁を重ね、強い結束力を誇っていた。


 なのに、今回の襲撃では頭領があっけなく捕らえられ、組織は簡単に瓦解してしまっている。 

 おそらく、忍び以外の者を多く受け入れ、欲で繋がる集団と化してしまったために違いない。戦国のころから風魔に属していた甚内は、そう確信する共に、歯がゆさを覚えていたのだ。

 

 一方、弥七だけは会話に理解が追いついておらず、二人を見比べたままじっとうずくまっている。


「あの、お取込み中すみませんが、そもそも向坂ってのは何なんですかね?」

「おやおや、とんだ素人の盗賊さんがいたもんだ。江戸で悪名高い向坂一味を知らないとは」


 寅五郎の抑揚のない語り口に、弥七の眉が思わず吊り上がる。

 向坂一味とは、当時江戸を荒らし回っていた盗賊集団である。

 頭領は向坂甚内という者で、甲斐の大名、武田家に仕え、武田家滅亡後は盗賊に転身し、江戸に出没するようになった。武田家の名臣である高坂こうさか昌信の一族を自称し、向坂姓を名乗っていたという。


 余談だが、飛沢、向坂の二人の甚内に加え、同時期に活躍した盗賊に庄司甚内がいる。風魔の忍びで、後に江戸吉原に遊郭を築いた人物である。

 飛沢、向坂、庄司の三人は、合わせて三甚内と呼ばれている。

 いずれも江戸の地で、同時代に、後世の記録に残るほど活躍をした盗賊が、三人とも同じ名を称していたのだ。もしかすると、甚内という名は当時広く知られていて、全国に無数の甚内がいたのかもしれない。


 すると、寅五郎の説明を聞いていくうちに、弥七の眉はさらに吊り上がっていた。 


「ちょっと待ってくれ。もしかして、あんた、俺たちが昨日店にきた時には、襲撃のことを知っていたんじゃないのか?」

「ええ、もちろん。ただ、情報をくれた人たちを思って黙っていました」

「兄貴や俺だって、店の上客だろう。何で教えてくれねえんだよ!」


「そりゃ、無茶ですよ。教えたら、あなた頭領に報告してしまうでしょう。ここから情報が洩れたと、もし役人や向坂の耳に入ったら、店も教えてくれた人達も、どんな目に遭うか分からないじゃないですか」

「確かに、言うとおりだけどよ……」

「まあ、それも銭次第ではありますけどね」

「てめえ!」

「よさねえか、弥七!」


 弥七はそばに置いていた太刀を握ろうとしたが、甚内に一喝されしぶしぶ手放した。

 にもかかわらず寅五郎の顔色は変わらない。職業柄、客との軋轢に見舞われるのは慣れており、未熟な盗賊の脅しなど屁でもなかったのだ。


「私が知っているのは以上です。後は空きのある長屋と仰ってましたが、本気で江戸市中に住むつもりなのですか?」

「ああ、行商を始めようと思ってな。そのためには、この街に根を張らねえといけねえ。銭のことは心配すんな、利子付けてかならず返すからよ」

「以前と同様、盗品の一部はうちに流して下さいよ、旦那。では、証文をしたためますので、あとで一筆お願いできますか」


 寅五郎は自ら筆を取り証文をしたためると、机ごと甚内の前に差し出す。

 そこで署名をしてもらったのだが、いつもと違うことに彼はすぐ気が付いた。


「ん、鳶沢とびさわ? 飛沢ではないのですか?」

「心機一転、改姓するんだよ。飛沢っていかにも盗賊らしいだろ。「鳶」の字には取引における仲介者の意がある。同じ読みだし、商いを始める者としてちょうどいいと思ってな」

「……兄貴って、意外と物知りなんですね。驚きました」

「おう、驚け。忍びは文字の読み書きが必須なんだよ。でないと、依頼主との間で、密書を通じた情報交換ができねえからな」


 こうして、飛沢あらため、鳶沢甚内は商人と盗賊という二足のわらじで再出発を図ることになった。

 今、自分たちが置かれた場所で、長所を活かして花咲こうとする。

 その新たな志が、今後の人生を一変させ、歴史に名を刻むきっかけになったのを、彼はまだ知らなかった。

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