第4話 風魔の残党
慶長八年(1603)、風魔の瓦解から数日後、鳶沢甚内は日本橋にて行商をはじめた。
「古着ぃ~!」
「おつかい物~!」
前後に古着を吊るした竿を肩に乗せ、弥七と共に町中を売り歩く。
「おつかい物」とは、お買い得品のこと。人々の往来が盛んな日本橋は、道沿いの店から客を呼びこむ声が飛び交っている。進んで訴えかけないと埋もれてしまうため、彼らも負けじと声を張り続けていた。
また、別の日には「鳶沢」の文字が印された長い袋を背負い、買い歩く。
袋は下賤の民が扱うもの、と考えられていた時代である。無視されたり、罵声を浴びせられたことから、口喧嘩へ発展するのは珍しくなかったが、刃傷沙汰に及ぶのだけは堪え、少しずつお得意様を増やしていった。
そして、夜になると民家に押し入って、古着を中心に略奪を働く。
さらに、元風魔の盗賊たちを呼び寄せ、奉公人として加えたことで、商いは軌道に乗り、規模を少しずつ大きくしていったのだ。
※ ※ ※
そして数年後、店を構えた甚内に一つの転機が訪れる。
「おい、兄ちゃん、ここに甚内って奴はいねえか?」
とある日の夕暮れ時のこと。
店閉まいで暖簾を下ろしていた弥七は、背後から野太い声に呼び止められていた。
振り向いた先にいたのは、総髪で三十くらいの巨漢である。黒の小袖の上に緋色の素襖を重ね、人目を引くような恰好をしている。
その取り巻きには男が六人。いずれも総髪の男と同じく、目が据わっていて、落ち着きが感じられない。無頼を思わせる風貌に、弥七は思わず身構えそうになっていた。
「ええ、確かにうちの店主は甚内って言いますが?」
「おう、店を開いたって聞いてな、ちょいと顔出しにきたんだ。今、中にいるなら呼んできな」
「いますけど、もう店閉めちゃったんですよ。できれば明日にしてもらえませんかね?」
「けちけちすんじゃねえよ。俺は風魔で甚内と同じ組にいたんだ。店主の元同僚を無下に扱うのか、ああ?」
総髪の男は弥七の眼前に迫り、凄んでみせる。
対して、弥七は顔をしかめてしまった。脅しに怯んだのではない。鼻を突き刺してきた男の体臭と酒臭さが、思わずそうさせてしまったのだ。
しかし、弥七の心の声が届くはずもなく、男は怯んだと勘違いして、あざ笑っている。
癪だったが、今の状況から早く逃れたかった弥七は、腹をくくるしかなかった。
「貴方のお名前は?」
「
「ちっ……」
弥七は背を向け軽く舌打ちすると、そそくさと店の中へ消えてゆく。
そしてやや間があって、甚内を伴って再び姿をみせる。すると、嘉兵衛は満面の笑みを浮かべ、ズカズカと大股で近寄ってきた。
「おうっ、甚内、久しぶりだな! 俺のこと覚えているかァ⁉」
「本当に嘉兵衛じゃねえか⁉ 襲撃で死んだって聞いたが、しぶとい奴だな、ははははっ!」
「あったりめえだ! 俺はな、江戸を揺るがす大盗賊になる男だ! 小役人の襲撃など屁でもねえ!」
嘉兵衛も甚内も、互いの両肩をつかんで再会を喜び合っている。
その様子を、弥七は玄関の灯明皿に火をつけながら、複雑な思いで眺めていた。
確かに二人は旧知の仲だったので、取り次いで良かったと思う。ただ、嘉兵衛の風貌や物言いには難があり、いざこざの種になりそうな予感を抱いてしまっていたのだ。
甚内の案内で、嘉兵衛たちは玄関へと足を運ぶ。
すでに閉店後なので、中にいたのは片付けに追われている奉公人だけ。がらんとした中を嘉兵衛は一通り見渡すと、勝手に店の間に腰を下ろした。
「随分と小奇麗にしてるじゃねえか。もっと雑然として、足の踏み場もないと思ったのによ」
「古着を商いの中心にしたんだ。少しでも印象を良くするため、店内は綺麗にしておかねえとな」
「ふうん……」
と、胸を張って答える甚内に、嘉兵衛は首をかしげていた。
店とは言うものの、あくまで行商の拠点、倉庫の様なものである。来客応対のための店の間はあったが、現代の様に服が陳列された棚があって、そこから来客が選んで買う訳ではない。
綺麗にしたところで商売に何の影響があるのか。疑問を抱いた嘉兵衛にとって、甚内の気遣いはせせこましく思えたのだ。
「しかし、なんで古着で儲けようと思ったんだ? いい屋敷狙って略奪を働けば、いくらでも大金稼げるだろうが」
「裕福な屋敷は警備が厳しくて、しくじるかもしれねえだろ。仮に上手くいっても、いずれ役人に目つけられちまうしな」
「へっ、跳躍に長けたお前が言うのかよ。どんな屋敷でも朝飯前だっただろうが」
「昔の話だ。今のご時世、簡単にはいかねえよ。逆に古着はどの家にもあって、奪うのは簡単だし、役人にばれても処分は軽い。盗賊を続けるには持ってこいだと思うがな」
「おいおい、随分としみったれてんな。そんなんじゃ風魔の御頭があの世で哭いてるぞ、甚内ィ」
すると、嘉兵衛は立ち上がって甚内に近き、肩に手を回してにやけてみせた。
「どうだ、俺と一緒にもう一度やり直さねえか?」
「風魔の頃みたいに場所を問わず暴れまわるのか? いつか捕まるぞ、お前」
「へっ、今の無能役人に捕まる訳ねえだろ。取り締まりが追いつかねえから、
「時代は変わったんだ。戦場の道理はもう捨てな。これからは幕府が目指す秩序の中で、己を活かす術を考えるんだ」
「お前は忘れちまってるだけだ。人を斬る時の恐怖、家に押し入り、嫌がる女を無理やり犯す時の悦び、手に入れた銭で遊びまくった日々をな」
じっと睨み合う二人の間に不穏な空気が漂う。
弥七の目には折り合いが付くとは思えなかった。甚内は年月をかけて商いの規模を大きくして、名を上げようと志している。
一方、嘉兵衛の目指すところは、己の欲に従い、刹那の駆け引きに身を投じること。かつては同じ生き様を望み、同じ組織にいたのだが、時代の変化が二人の人生観に相違を生み出してしまっていた。
それでも、嘉兵衛はくっくっと下卑た笑い声をこぼすと、甚内のそばから離れてゆく。
「俺はな、お前を買っているんだ。身のこなしは言うまでもなく、功名を求めてギラついていた、獣の様な目にもな。今は牙を抜かれちまっているが、人の本性はそう変わらねえ」
「…………」
「今日のところは帰ってやる。けどな、いずれ俺の手で思い出させてやるぜ。邪魔したな」
そう告げて、嘉兵衛は取り巻きの者達と共に店を後にした。
声を張って談笑しながら街中を闊歩し、やがて宵闇の中へと消えてゆく。
おそらく彼らはもう変れないだろう。風魔に属していれば、庶民は皆おののいて媚びへつらった。その頃の優越感と乱暴狼藉の蜜の味を忘れられないのだ。
泰平の世で身の置き場を失い野垂れ死ぬのが先か。はたまた権力に抗って身を亡ぼすのが先か。
甚内は彼らの行く末に憐憫の念を抱きながら、後ろ姿をじっと見つめるのだった。
※ ※ ※
そして数日後、嘉兵衛は約束どおり、ひょっこりと店に姿を現した。
「ほらよ、今日の獲物だ。どれでも好きなものを持っていきな」
仲間と共に持ってきた袋の中から品物を取り出し、客の間に並べてゆく。
客の間を埋め尽くしたのは、古着や太刀、装飾品など数十点。すべて前夜に略奪を働いて手に入れた盗品であった。
目の当たりにした客と奉公人たちが、目の色を変えない訳がない。
押し寄せ騒めき立つと、奥にいた奉公人たちも異変を察知してやってきて、取り囲んでゆく。
そして、中の一人が驚きの声を上げてしまった。盗品の中には、七色にきらめく螺鈿が施された蒔絵茶器や、珊瑚の飾りがついた
自尊心をくすぐられ、嘉兵衛の頬は緩みっぱなしである。
彼はそのまま人だかりから離れると、盗品の一つを手に取ってたたずんでいた、甚内のそばに近寄ってきた。
「へっ、どうだ、甚内、俺たちの稼ぎはよ。お前が人々にへこへこ頭を下げて稼ぐ、数日分の銭を、一夜で手に入れたんだ。さらにお前が加われば、江戸随一の富豪になるのも夢じゃねえ」
「……これをどこで手に入れた?」
「ああ? 何だ、先端が擦れたオンボロじゃねえか。色街の遊女にでも贈るつもりなら止めときな。受けがいいのは、こっちの椿が描かれた朱塗りの
「俺はこのかんざしについて聴いてるんだ。庶民の家じゃ手に入らねえ代物、どこに押し入ったんだ?」
甚内が手にしていたのは、平らな銀のかんざしだった。
長年大事に使われていたのだろう。先端が擦れていたもの、その他の所は傷一つ付いていない。
飾りの部分には金箔があしらわれ、梅鉢の家紋が刻まれている。職人に依頼して、わざわざ製作してもらった特注品であろうと思われた。
甚内はやや眉を吊り上げて、視線だけを嘉兵衛の方に向けている。
なぜ、襲撃先にこだわるのか。
嘉兵衛は一時きょとんとしていたが、すぐに玄関の端まで甚内を連れ出すと、密かに真相を明かした。
「実はな、昨晩、旗本の屋敷に押し入ったんだ。そしたら結構裕福なところでな、土産もあのとおりタンマリと言う訳よ」
「旗本の屋敷って、正気かお前? 手練れが何人もいたらどうするつもりだったんだ」
「へっ、今の旗本、御家人は零細役人だ。屋敷によっては、旗本とその妻子、あと下人が一人二人だけなんてのも珍しくねえ。強姦も略奪もお茶の子さいさいってもんよ」
「たまたま上手くいっただけだ。繰り返せば、命がいくらあっても──」
「この前、お前は、今のご時世、略奪は簡単じゃねえと言ってたな。けどな、抜けてる奴も五万といるんだ。襲って下さいというのなら、美味しくいただいてやらねえとなァ」
甚内の肩に手を置くと、嘉兵衛はギロリと視線を向ける。
黄ばんだ歯を見せて、くっくっくと笑い声をこぼすと、再び人だかりの方へと戻っていった。
その後を甚内は追おうとしない。
奉公人や客たちが盗品に群がり、手に取り、次々に嘉兵衛に礼を告げてゆく。彼は人だかりの外れにあって、かんざしをぎゅっと握りしめたまま、冷めた目で見つめるのだった。
その後、嘉兵衛は何度か甚内の店に姿を現した。
以前と同様に、客や店の者に盗品を見せつけて、気に入った物は分け与えてやる。そして、略奪における己の活躍を吹聴していったのだ。
誰だって、手っ取り早く大きな利益が欲しい。しかも、奉公人は元盗賊の者が多く、彼らが嘉兵衛の武勇伝に心動かされないはずがなかった。羨望や尊敬の念を植え付けられ、次第に嘉兵衛を上客としてもてなす様になってゆく。
そんなある日、甚内は再びやって来た嘉兵衛に対し、玄関に立ち止まらせると、密かに告げたのだった。
「嘉兵衛、お前の活躍はよく分かった。だから、もう盗品を持って来なくていいぞ」
「おいおい、俺に嫉妬してるのか? お前だって、やる気になればこれぐらい──」
「そうじゃねえ。お前を見てて目ぇ覚めたんだよ。俺たち盗賊が生きる道は、やっぱり略奪を重ねるしかねえってな」
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