第2話 盗賊として、商人として

 慶長八年(1603)、盗賊集団の頭領であった風魔小太郎は、一味もろとも幕府に捕らえられ、刑場の露と消えた。


 もともと彼は関東に勢力を張る戦国大名、北条家に仕え、傘下の忍者集団を束ねていた。

 北条家が豊臣秀吉に滅ぼされた後は、盗賊へと転身し関東中を荒らしまわるようになる。挙句、縄張り争いをしていた他の盗賊集団に居所をつかまれ、幕府に密告されてしまったのだ。


 ただ、風魔の者すべてが捕らえられた訳ではない。飛沢とびさわ甚内や弥七の様に、数は少ないものの虎口を脱した者達がいた。

 風魔のやり口で盗賊を続けていれば、身を滅ぼしてしまう。胸に刻んだ彼らは、幕府の統治と折り合いをつけながら、新たな道を模索しなければならなくなっていた。



※ ※ ※ 



「うん……」


 風魔の屋敷が襲撃された日の夕刻、弥七はまどろみから目を覚ました。

 ただ、朝に気を失うほどの衝撃に襲われたのだ。たちまち後頭部への鈍いうずきと震えるほどの寒気を覚え、顔をしかめてゆく。

 

 あたりを見渡してみると、そこは囲炉裏が置かれた小さな居間であった。

 板葺きの屋根からは、水滴が端の欠けた甕にしたたり落ちている。

 となりの土間では、蜘蛛の巣が張ったかまどが置かれ、朽ちた板戸から隙間風が差しこんでくる。生活感がうかがえない空間が広がっていた。


 さらに、奥に目をやると、外れ掛かった板窓を修理する者の姿があった。


「兄貴、ここは一体どこで……?」

「おう、起きたか。詳しくは分からねえが、江戸郊外のあばら家だ。外は雨が降ってるし、今日はもう下手に動かない方がいいだろ。これでよし、と」


 外から横殴りで降ってくる霧雨から逃れるべく、甚内は修理した窓を急いで閉める。そして、手拭いで雨粒を払うと、弥七の前にどっかりと腰を下ろした。


「無事逃れられたのは俺とお前だけ。他は役人たちに追われ、散り散りになっちまった。御頭も上役も捕らえられ、おそらく誰一人として助かってねえだろう」

「そう、ですかい」


「気ぃ落とすんじゃねえ。俺たちは運が良かった。お天道様にまだまだ生きろって言われてるんだ。じゃあ、その意味をはやく見出さねえとな」

「でも、明日からどうすれば良いのか、俺には……」


 うなだれた弥七は、後の言葉が紡げずにいた。

 体調が優れない時は気鬱になりやすい。加えて日常を破壊されたとあっては、簡単に立ち直れるものでは無いだろう。

 弥七をおもんばかった甚内は、しばし腕組みしたまま黙っていたが、意を決して口を開いた。


「弥七、お前は故郷くにに帰ったらどうだ?」

「えっ?」


「半年前、小田原に家族を残したまま江戸に出てきたんだろ。帰って孝行してやんな。お前はまだ十七だ。今なら盗賊から足を洗える」

「そんな、俺は野垂れ死にしそうになってたところを、御頭に拾ってもらったんだ。恩を感じて盗賊になったばかりのに、おめおめ帰る訳にはいかねえ」

「けど、恩を返す相手はもういねえんだ。もっと自由に考えていいんだぞ」

「……それに、両親はもう死んじまってるし」

「何?」


 すると、弥七はおもむろに半裸になって、甚内に背を向けた。

 すぐに甚内の口が真一文字に締まる。肉が盛り上がって塞がっていたものの、背中には刃物で斬られた様な跡があったのだ。


「どうした、その傷? 最近のものじゃないな」

「子供の頃、住んでいた村と隣村で水を巡って喧嘩があった時、隣村の者が死んだんだ。すると、隣村の者達は大勢で復讐にやって来やがった。俺の家は二つの村の境目にあったから、たちまち襲われちまって──」

「…………」


「姉ちゃんがさらわれそうになって、取り返そうと立ち向かった時に斬られたんだ。幸い近くの寺に運ばれて一命は取り留めたけど、住んでいた家は焼かれちまった」

「家族と離れ離れになっちまったのか」

「ああ。両親は逃げ延びたけど、同じ年の冬にどっちも死んださ。寒さをしのげる場所を失って、物乞いになってたんだ。流行り病にかかれば、お陀仏まであっという間だった」

 

 弥七の声に悔しさが滲んでゆく。

 甚内は彼の言葉にじっと耳を傾けていた。いや、傾けざるを得なかった。彼は元忍びだったが、村落の中で生活を営んできた点は同じだったのだから。


「そうか、お前も辛い思いをして来たのか」

「お前もって、兄貴も昔、何かあったんですかい?」

「さいわい俺はひどい目には遭ってないけどな。村の中にいると、どうしても出てくるんだよ。虐められたり、のけ者にされたり、無理を強いられる奴がな。理不尽から逃れたい一心で、村を離れる者は決して少なくねえ」


「じゃあ、俺みたいな者が盗賊になるってのは、よくある話なんですかい?」

「ああ。俺は、お前を御頭にあこがれた家出少年だと思っていた。けど、そうしないと生きてゆけなかったんだろ。ならば、話は別だ」


 甚内は優しく弥七の肩に手を掛けた。

 振りむく弥七の目には薄っすら光るものが見える。それに気付き、甚内は努めて明るく声を張った。

 

「ついてきな、弥七。今まで辛い目にあったんだ。虐めた者達をあっと言わせる様なでっけえ事、一緒に成し遂げようじゃねえか!」



※ ※ ※ 



 雨が降り止まないまま、やがてその日は暮れていった。

 甚内も弥七も食べ物を持っておらず、口にしたのは竹筒に入った僅かな水だけ。

 灯りもなく、これと言ってする事もなく、二人は疲れに身を任せて自然と横になっていく。


 ただ、先の見えない不安が弥七を眠りから遠ざけていた。


「で、明日からどうするんですかい、兄貴?」


 仰向けのまま、首だけ甚内の方を向けて問い掛ける。

 じめじめした時分に湿っぽい話題で、憂鬱になりかねないのだが、甚内は気丈に返答していた。


「さあな、頼みとするのはお前と自分の腕のみだ。やっぱり略奪を続けるしかねえだろ」

「それは結構なんですけど、江戸から離れたら駄目なんですかい?」

「田舎じゃ略奪ははかどらねえ。役人や他の盗賊の動向には注意が必要だけど、やっぱり留まるのが最上だろうな」


 弥七の方を向いていた甚内は、そこで仰向けになった。

 太刀を手にしたまま天井を眺め、隙間風と雨漏りの音に耳を傾けながら、しばしの沈黙に身を任せる。

 どれだけの時が過ぎたのかは分からない。やがて、雨音が小さくなってきた頃になって、甚内はおもむろに上半身を起こした。


「日本橋の方に出向いてみるか」

「何か当てがあるんですかい?」

「まあな。日本橋は東海道の起点だ。人々の往来が盛んで、商人町が次々に造られている。商いを始めるにはもってこいだ」

「えっ、商い? 略奪を続けるんじゃないんですかい?」


 予想外の答えに弥七は跳ね起きる。

 そして、やや訝し気な視線で訴えていた。もしかして、兄貴は思い付きで口にしたんじゃないかと。

 ただ、甚内の表情はいたって真剣そのもの。彼の頭の中では、盗賊と商いが結びついた将来像がはっきりと描かれていた。


「風魔の時みたいにあちこちで殺人や略奪を働いて、盗品を質屋で売りさばいていると、幕府に目をつけられてしまう。だから、何かを専門に商いをしながら、その品物だけを自分達で調達してくるんだ」

「専門って、何を扱うんですかい?」

「知らん。居場所を失って一日もたたないのに、考える余裕などあるか。それより、明日の夜明け前には発つぞ。もう黙って寝てろ」


 甚内は再び太刀を抱えると、弥七に背を向けてごろりと横になる。

 その背中を、弥七はきょとんとしたまま眺めていたが、やがて彼もわずかに笑みを零して、再び横になる。

 

 彼の表情には、ここに辿りついた時の不安が拭いさられていた。


「どこまでもついて行きますぜ、俺は。兄貴と二人でなら、きっと凄いことが出来そうだ」

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