第35話

「……おはようございます」


「いらっしゃい」


まるでお日さまみたいに笑う野川さんを前に、暗い気分なんてあっというまに晴れ渡った。


本当に不思議だ、この人の笑顔は。


歌詞を書いている人、しかもおそらく真剣に書いているだろう野川さんに、歌詞なんて聞いていない、と言ってしまったこと。


それでずっと引っかかっていた、重苦しく心にのしかかるものを、いとも簡単に消してしまうなんて。


「野川さんってシアワセの魔法使いなんですか」


「え? 何か言った?」


4階にある事務所に向かう階段の途中、その背中についていきながら、ふと思いだした。


「……いえ。そういえば、前にここに来たこと、秘密って言ったのに、兄に言っちゃいました」


「あ、俺も……今日のこと、荒井にメールしちゃったよ」


しまった、という顔の野川さんがおかしくて、つい笑ってしまう。


「今日は、どうしてあたしを呼んでくれたんですか?」


「……それはね」


野川さんの表情は見えないけれど、その声はなんだか面白がっているようで。


「蒔子ちゃんと、話がしたくて」


「……」


なんだそれ。


頭にハテナを浮かべながらその背中を追っているうちに、4階にたどり着いた。


「どうぞ」


「お邪魔します」


事務所の中には誰もいなかった。今日は星野さんも竹本さんもいないみたいだ。


と、野川さんのポケットで何か鳴った。野川さんはスマホを取り出してちょっと顔をしかめると、


「蒔子ちゃんごめん、ちょっと待ってて」


部屋の外に出て行ってしまった。

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