第7話 はじめての依頼
「兄さん、あれ…そうじゃない?」
「うーん、たぶんそう、か? 確証がもてないのは不安だな」
異世界に訪れた日から一日経過し、今は街を離れて草原へと来ている。
あの日の夜、シュリによって案内されたのは宿の裏手に用意されていた納屋である。彼女が言うには、冒険者になった人の半分はすぐにやめてしまい、残りの2割は以来の途中で帰らぬ人になるとか。
メンバーの死を目の当たりにして続けられる人は少なく、人によっては荷物をおいたままどことなく消えてしまう。そのおいて行かれた装備がその納屋に詰め込まれていた。シュリはそれを使ってくれ、という訳だ。
処分に困っているとのことで、何とか扱えそうなものを
受けた依頼は「ノーブボア」という小型の魔獣の討伐である。街からすぐとのことで、こうして出てきたわけだが、ここで知識不足が足を引っ張っていた。いくつか、シュリに聞いてきたので、何もかもというわけではないが。
シュリから聞いた中でも一番意味があったのは、俺やユノの認識している「モンスター」――魔物というものとこの世界のそれが異なることである。その違いは大きく3つに分けられる。
1つは「魔族」。これは強い魔力を持ち、自分たち人族と敵対している、魔導国の種族のことをいう。見た目は人と変わらないが、特有の瘴気をまとっているという。
次に「魔物」。これは魔力を持つ特別な動植物を意味し、一部を除いて友好的な生き物であり、国や種類によっては保護対象として守られているらしい。
そして最後が「魔獣」。これは魔物や通常の動物が
依頼の「ノーブボア」は『魔獣』なのだが、少し先にいる生き物が本当にそれなのかの判断ができないでいたのだ。
「やっぱりシュリちゃんについてきてもらえば良かったね」
「見た目が猪って言われたから大丈夫と思ったんだが、普通の猪との違いを聞いとくべきだったな。それがなくとも、シュリにそこまで世話になるわけにはいかないだろうが」
「よくしてもらってるもんね」
「――そうだな」
今朝も彼女に朝食を振舞ってもらった。それはとてもおいしくて、久々の人の作る食事に少し涙ぐんでしまったのだ。きっと、宿代に食事代を含む気はないだろう。出すといってもきっと聞き入れてはくれないのだ。そんな優しい人にこんな危険なことを任せるわけにはいかない。
「確か、魔獣は眼球が黒く濁っていて、体のどこかに結晶化した瘴気の塊が突き出てるとか…だったか」
「うーん、さすがに遠いよ。すこし近づくね」
「ちょっ、勝手に動くなって! ああ、もう…」
岩陰に隠れて観察していたが、ユノが痺れを切らしてそれの前に飛び出してしまう。彼女を慌てて追いかけながら、借りた盾を構える。
魔獣と思しき猪は、こちらに気づいたのかゆっくりと体を向ける。
「これが魔獣なら襲ってくるし、違うなら何もしてこないってことでしょ。だったら、近づけばわかるよ!」
猪は体を大きく震わせ、地面を蹴って走り出した。走る先はユノがいる方向。
かなり近づいたことで猪の全貌がはっきりする。毛並みは少し黒く、体は小柄だが牙は通常よりも大きく、鋭い。全身に黒い
間違いない、これが目当ての魔獣――ノーブボアだ。
「――兄さん!」
彼女の声を合図にユノの前へと俺は飛び出す。片膝を付き、腰を低く落とす。左腕の盾を正面に構え、右手でそれを支える。魔獣が低く鳴いた直後、強い衝撃が盾越しに伝わった。盾から腕へと衝撃が走り、後ろに倒れそうになるのをこらえるので精一杯である。
普段、全くと言っていいほど体を動かすことがない。筋肉もなければ食費に金を使うことを避けることもあって脂肪もない。はっきり言ってヒョロガリである。風吹けば飛ばされそうなほど中身のない体だ。ノーブボアは猪というよりも
力が拮抗する中、ノーブボアはブルルと鼻を鳴らした。盾越しで伝わりにくいが、それはまるで鼻で笑うような仕草に見え、思わず顔が引きつってしまう。
「馬鹿にしやがって…」
姿勢を高くし、上から重力で押さえつける。力の加減に余裕が出たところで空いた右手で腰から短剣を取り出し、頭蓋を狙って上から全力で振り下ろす。危機を察知したノーブボアは体を横にずらすが、完全に回避することはできなかった。右横腹を浅く裂かれ、その瞬間のよろめきを俺は逃さない。
「交代だ、ユノ!」
盾をノーブボアの牙の下へと滑り込ませ、そのまま左後ろへと全身で弾く。ノーブボアはバランスを崩しつつ、勢いを殺しながら俺の横へと流れていく。その方向にいるのはユノだ。
俺の掛け声にユノは行動で反応する。左側を抜けたノーブボア目掛けて、彼女は俺の後ろから奇襲をしかけた。無防備なその横腹に飛び込むようにして、ユノは片手剣を剣先から突き刺す。
奇襲は成功したが剣の刺さりが甘いらしく、ノーブボアは痛みにもがきながらもまだ生き生きとしている。黒い瘴気交じりの息を吐く魔物は目を見開き、キッとユノを睨みつけた。そこには殺意と憎悪、生き物が外敵に向け得る最大の怒りの感情を向けている。
「くぅぅ…ま、だああッッッ!!」
ノーブボアの気迫に押し負けそうな思いを振り払い、声を荒げながら
ズブズブと剣の刀身がノーブボアの体に飲み込まれていく。抵抗がより一層激しくなったのを見て、俺はユノの反対からノーブボアを盾で押さえつける。暴れていた魔物も次第に大人しくなり、小さな断末魔を残して地面へと倒れこむ。
「やったのか…って、あんま口にしないほうがいいんだろうけど」
動かなくなったノーブボアを見つめていると、その亡骸に変化が起こった。最初は口から黒い煙が発生したと思えば、それは胴や足へと
とっさにユノを抱き寄せて亡骸から引きはがす。ノーブボアの全身はそのまま瘴気となって空気中に霧散してしまい、亡骸があった場所には黒い石の塊だけが残されていた。
ユノは先ほどまでノーブボアを突き刺していた剣の刀身をまじまじと見つめていた。
「血がついてない。毛や肉も…。ほんとに魔獣って生き物じゃないんだ」
「もとは生き物でも、魔獣となった後はは瘴気の塊らしいからな。グロテスクなのはごめんだから、助かったといえばそうなんだが」
「それで、これが例の魔石?」
地面に残された魔石を剣先でちょいちょいとつつくユノ。危険はないはずだが、吸ったら最悪の場合死に至る、なんて言われる瘴気に侵されたものから産み落とされたものだ。安易にさわることは避けたいのも分かる。
俺は意を決して魔石を掴み取る。
「――だろうな。持っても何ともないし、大丈夫だろう」
「みせてみせて!」
安全と知るや否や奪い取るように魔石を持っていかれた。ユノは陽光を背にかざして見つめ、一言「きれい…」と呟く。正直、ただの真っ黒い石にしか見えないが、
「大事にしてるとこ悪いが、それはギルドに渡して換金するもんだからな」
「えぇー? そんなぁ…じゃあ、これだけボクがもらっていい? ほかの魔石はお金に
口元で手を合わせ、上目遣いで懇願するユノ。顔の周りにはきらきらとしたエフェクトがかけられ、その迫力は断ることを許さない。
「うぅ…はぁ、1個だけだからな」
「やったー! 兄さん大好き!」
「ったく、調子いいんだから――本当に1個だからな? 後から、『やっぱ3個』はナシな? ねえ聞いてる?」
「よーし、そうと決まればレッツゴーだよ!」
わざとらしく喜んだユノはそのまま俺の腰に抱き着いてくる。それを俺はあやしながら、約束の確認を何度も繰り返す。残念ながら、それの返答を得られることはなかった。
これはもう何度繰り返したか分からない、いつもの兄妹のやり取りである。妹のおねだりはだいたい複数回に渡って行われ、次から次へと要求が重なるのだ。断れない俺にも問題があるのだろが、納得したくないものである。
達観した瞳をユノに向けながら、俺は肩を落とす。そうしている間にも妹は草原をどんどんと進んでいくので、急ぎ足でそれを追い駆ける。元々の目標は3個。
「魔石って、やっぱ魔獣によって大きさがちがうのかな? 色や形は?? たくさん集めれば違いがわかるのかな??? どう思う、兄さん?」
「…ソーダネ」
こうなったユノはもう満足するまで止まらないだろう。とはいえ、小一時間遊ばせればある程度は…と思いたい。
――どうせ、依頼とは別に5個ぐらい魔石を要求されるんだろうな。
その時、ユノの横顔を見て、どうにも嫌な予感が背筋を走った。不吉な想像を頭を振って追い払うも、不安の雲が晴れず明後日の方を向く。
――まさか…ね。流石に10個も集めたりは…ね。
その後、およそ15個ほど集めさせられることを、その時の俺は知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます