第4話 迷子の兄妹

 まずい――


 目を離したのは一瞬だ。街に見惚れた一瞬で、妹の姿が消えた。


 立ち尽くし、必死に平静を保ちながら、それでも頭の中では大慌てで次の行動を考える。


 こういうことは最悪のケースから考える人間だ。ネガティブだと小学校の頃の担任に指摘されたが、それでもぬか喜びするよりはましだと今でも続けている。


 最悪は「誘拐」である。仕方ないことだが、俺と妹はどうしても目立つ。特に、学校指定のブレザーを着ている唯乃は特に。俺は私服だから見慣れない衣装という程度で終わるが、街の人を見る限り、妹の格好は貴族のような、言ってしまえば誘拐犯のカモだ。

 とはいえ、路地裏のような人が少ない場所ならともかく、人通りが多いここ中央通りではそうもいかないだろう。


 次に考えられるのは普通に「迷子」だが、少し場所を離れたとしても、そう時間をおかずに戻ってくるだろう。その場合は、ここに留まることが最善だが…


「気が気じゃないな。とりあえず、タンタとルシルに伝言だけして、中央の方に――おい、そこのやつ止まれ」


 踵をかえす直前、俺の瞳はソレを捉える。すかさず俺は、とある人物の腕を掴んで静止させる。


 ソイツは焦げ茶色の髪の男だ。年齢は20前後、肩掛け鞄を3つ持ち、荷馬車を引いている、おおよそ物売りだろう人物。男は、ソレを片手に持ち、鞄にどうやって詰めようか考えている様子だった。


「え、私…ですか? すみません、どのようなご用件で?」

「その手にあるものはどこで手に入れた?」


 俺の質問に男は口を開き、言葉を口にする前にそれを押し戻す。男は微笑み、目を細めた。


「――”言えない”、と言ったら?」

「そう…だな。教える気になるまで、相応の手を打つだけだ」


 男の発言に思わず、俺の手は男の襟元を掴み上げていた。


 変な気分だった。不安と、憤怒。――それ以上に、俺は独りでいる自分が怖くなっていた。

 虚勢を張るように男を睨みつける。対する男は涼しげな表情で俺を観察していた。鼻音を鳴らし、俺を頭から足先まで流し見た後に、目を閉じ、両手を挙げる。降参の意、と俺は見た。


「商人ではなさそうですね。でしたら多少の情報提供には協力いたしましょう。その様子を見るに、ただならぬ事情がありそうですし。

 私は商人をしています、ユークと言います。あなたはこの道具に見覚えでも?」

「この変じゃ絶対に手に入らない代物だ。そして、今それを持っているのは俺の妹だけだ」

「妹さんが…なるほど。念のため質問します。これは何で、中には何が入っているのかご存じですか?」

「それは筆箱、筆記用具を入れる容器だ。中にはインクのペンが数本と、定規、粉末式の筆記具にそれを消す用の柔らかい石――正しい名前で言うなら、ボールペンにものさし、鉛筆と消しゴムだ」

「ふふ、大正解です。お話しても問題ないでしょう。私はこれをとある少女から買いました。もしかしたら、彼女があなたの――」

「その少女っていうのは今どこだ?」


 男の襟元をさらに強く掴み上げる。


「慌てないでください、妹様はおそらく無事ですよ。私はその少女と最後は東通り、ここから壁沿いに進んでいった道です」


 男――ユークの言葉に少し安堵する。深呼吸をし、気持ちを整理しつつ、襟から手を離した。


「分かった…すまない、乱暴だったな。疑ったことも」

「いえいえ、こちらも荷物を取るついでだったために、妹様を遠くにお連れしてしまいましたね。お詫びとして、これを」


 ユークは鞄の一つから丸めた紙と、三角錐形に削られた赤い宝石に鋼糸こうしを通した小型のアクセサリーを取り出した。


「これは、一体…?」

「紙の方はこの街の地図です。そしてこちらは『探知石』です。この石は本来、山から金脈を、ダンジョンから財宝を探すことができる貴重な石ですが、残念ながらこの石は品質が薄く、小さなものや大きすぎるものは探せない上、そもそも精度が低く、正確な位置が出ない代物です。そんな低品質の『探知石』でも、人探しは問題なくできます

 糸を持って地図の上に垂らし、目を閉じて探したい人を思い浮かべてください」


 ユークの指示通りに動く。頭で唯乃の姿を強く思い浮かべると、探知石が震え始めた。石の切っ先がゆらゆらと地図の上をふらついた後、急にぴたりと静止する。


「『中央公園』ですね。確かに、誰かを待つにはそこがいいでしょう。どうです、馬車に乗って行――」


 ユークの言葉を最後まで聞くことなく俺は一目散に駆け出していた。早く行かなければという意思が前のめりに先走る。去る直前に、呆れたようなため息が聞こえたが気にせず走った。


* * *


 まずい――


 ここは異世界、トゥーリアと呼ばれる街のどこかにいる。ここは中央通りとは違って商業的な活気がなく、住宅街とまではいかないが、さびれた商店街ぐらいの賑わいがある。近くには駐車場ならぬ駐馬車場があり、旅人や商人なんかが荷馬車を停めるための場所らしい。そのため、警備のための衛兵が多く、少しだけ空気がピりついていたりする



ボク――我妻あがつま唯乃は迷子になっていた。


 ことの経緯はこうだ。

 街に入ってすぐ、大通りの左手に看板と地図らしきものが張ってあるのが見えたのでそれを確認していた。それ自体はとても価値のあるもので、衛兵さんが話していた『中央会館』や『ギルド』の位置が分かりやすく書かれていた。他に目についたのは『トゥローディア魔導学園』や『トゥーリア衛兵所』、『中央公園』などがある。

 今更ではあるが、この世界の文字を読むことはできるが、字としては元いた世界のどれとも似ておらず、知識として持っているものではないらしい。たぶん、書くことは難しいだろう。


 地図を見ていたボクに話しかけてきた人がいた。その人は商人らしく、私の顔立ちや身なりで旅人だと考えたらしく、ボクの服やその他私物を売ってほしいと言われた。目先の資金が必要なこともあり、交渉を選択。


 最初は身ぐるみ全部持ってかれるところだった。制服はやっぱり珍しいみたいで、下着まで持ってこうとしたのはちょっと、いやだいぶキツイものがあった。

 最終的に、ボクはタオルと筆記用具のみを売った。スマホをかなり高価な金額で買い取ると言われたが、仮に異世界としても、もしかしたら元の世界に帰ることができるかもしれないし、一応の思い出として取っておきたい。合わせて銀貨15枚を手に入れたが、とうぜんこれがどれくらいのお金なのかはわからない。


 そんなことを話すのに夢中で、いつの間にか歩きながら、商人の荷馬車がある場所――中央通りからは離れたところに来てしまっていたらしく、気づいた時にはここがどこか分からなかった。

 おおよその方向はわかるが、細い抜け道を何度か通ったこともあって自信はない。大きな建物や派手な色の出店もない、何とも色彩の質素な建物ばかりで、目印になるものを覚えていない。


 取引した商人――ユークって名前だったか――に道を聞こうとしたが、足が速く、すでにいなかったことを知った時には軽く絶望した。次会ったら絶対ひっぱたいてやる。


 ――初めての場所とはいえ、方向オンチではないんだけどなぁ。


 壁沿いに歩いていけば門の出入り口にたどりつけるだろうが、さすがに時間がかかりすぎ。兄さんの性格的に、その場でじっと待ってるなんてことはしないだろうし、行くならば――


「目指すは中央広場だね。目立つし、しばらく待っても来なければ、門の衛兵に聞けばいいや」


 ――独り言なんてめずらしい。ボクは思っているよりも不安に感じてるのだろうか。


 自分の感情に戸惑いながらも、足を進める。


 地図に書かれてあった通りなら、この街は大きな壁で囲まれた、円形の街である。今歩いている広い道は中央にある小さな広場から放射状に、かつ等間隔で道が伸びている。その数は8つあり、これを大通りとして、それらを蜘蛛の巣のように無数の小道がつないでいる。


 大通りは大きく「住宅通り」と「商業通り」の2つに分けられる。商業通りは外と中をつなぐ門同士を結ぶ直線状にあり、商人の出店や住民による店や宿が主に並んでいる。住宅通りは商業通りの間に4本存在し、地図によれば、住宅通りごとに階級が分けられているらしい。いわゆる「貴族」「平民」「貧民」というものだ。


 ちなみに、自分がいるのは平民や貴族寄りの通りで、周りを歩いている人は服が豪奢だったり、貴金属を身に着けていたりとどこかきらびやかだ。それでも、ブレザーを着ている自分はより一層浮いているように思う。


 街並みを観察しながら長いこと歩き、ようやく中央広場が見えてきた。


 まず目につくのは大きな噴水である。自分が見たことあるものの中では何より大きく、広場まで距離があるにもかかわらずよく見えたぐらいだ。広場も大きめの公園程度の予想だったが、その広さはかなりのもので、サッカーや野球ができそうな広さである。


「やっと…ついた」


 大きなため息を吐き、設置されていた木製のベンチに腰掛ける。

 どれだけの時間歩いただろうか。少なくとも30分は歩いた。はっきり言って疲れた。それでも、疲れたのはただ歩いたからだけではないのだろう。なれない場所で一人、人の目もあった。精神的疲労も大きいはずだ。


「兄さん、心配してるかな」


 何も言わずに来てしまった。きっと今頃、大慌てでボクのことを探しているはずだ。もしかしたら、怪我したり、何かトラブルに巻き込まれたかもしれない。


 ――怒られるかな。


 ボクと兄さんは仲がいい、と思っている。少なくとも、普通に会話するし、互いのことはよく知っているつもりだ。だからわかる。兄さんはいらないものをすぐ捨てる。思い出や友人――家族でさえも、それがどれだけかけがえのないものであっても、彼には関係ないのだ。


 あやまって許しいてくれるだろうか。それでも、言葉にしてあやまらないといけない。


「—―ごめんね、兄さん」



「だったら、いなく、なるな…」


 強い衝撃とともに隣の席に人が座った。息も絶え絶えといった様子で、その人は呟く。


「にい、さん…よかった」

「それは…こっちの、ゴホッゴホッ。ああ、死ぬぅ」

「運動不足だしね」

「分かってるなら、心配させんなよ…」


 兄が無事なこと、そして自分を見つけてくれたことに安堵する。軽口を叩いてもよくよく聞きなれた返答が返ってきたことに安心する。


「…ごめんね」

「だから、謝るぐらいなら――話はどっかの商人から聞いた」

「それって、ユークって人?」

「そうだよ。おまえの筆箱持ってたから、何事かと問い詰めたら色々教えてくれたって訳。まったく、勝手にいなくなったと思ったら何してんだか」


 呆れて、わかりづらいけど、喜んでて。兄さんはため息を吐きながらボクの頭をなでる。


「少し休んだら、ギルドに行く。そのあとは宿探しな。今日の詫びに飯ぐらいはおごれよな」

「…うん、いいよ! 来る途中においしそうなお店たくさん見つけといたから。連れてってあげるね」



 ――それがボクにとって、何よりうれしかったんだ。

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